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あなたの恋愛方程式

「なぁ、どこからが好きだと思う?」

19歳の時、同い年のバイト仲間が思い悩んだように僕に訊いてきました。

人を好きになる基準というのは、とてもあいまいなものです。人によってさまざまな基準があるでしょう。ここで言う”好き”というのは、キスがしたいとかそういう性的な意味合いを含んだ“好き”になります。

僕は逆に訊き返してみましたが、彼の答えはあいまいなものでした。

「幸せになってほしいと思える人が好きな人だと思うんだよね…」

これは、きれいごとです(笑)。だったら、自分と付き合わなくてもその人が好きな人と付き合えばいいですし、友人や家族に対しては、幸せになってほしいと思わないということにもなります。僕は彼に考え直すように告げました。すると彼は、考え抜いた後にこう言います。

「例えば、美味しいものを食べるじゃん?それを共有したくなる人じゃないかなって思うんだよね…」

じゃあ、SNSで世界中にそれを発信している人はどうなる?(笑)
その人たちは世界中の人を恋愛対象として見てるのか。

まぁ、基準は人それぞれでいいんですが、なんとなく僕の中では納得がいきませんでした。すると、近くにいた26歳の男が言います。

「たとえ離れていても、その人のことが自然と頭に思い浮かんだら、好きってことじゃないかな?」

なるほど。無条件にその人が脳内を支配する状況こそが、恋なのかもしれない。確かに、全然関係ない場面で好きな女性のことを頭に思い浮かべることはあります。多分それは、その人を思い出すことが、自分にとって気持ちが良いことだからだと思います。僕らはその言葉に納得して頷きました。

そして昨日、僕はまた違う友人に好きの基準を訊きました。

「多分、その人の人生に関わりたいって思うことなんだよね…」

これは、大きく出ました(笑)。人生背負いだしてます。なるほど、だからこそ結婚があるわけですし、突き詰めていけば人生に関与することだと思います。しかし彼は、奇妙なことを言い続けます。

「だから、自分との関係性が終わったとしても、好きなんだよね…」

さて、話がこじれていきそうです(笑)。関係性が終わったとしてもその人の人生に関わりたいと思う、それが迷惑な人からすれば、悪い意味で捉えられがちかもしれませんが、意味はなんとなく分かります。その人へ向けられた愛情を簡単に手放せるわけではなく、どうしても考えてしまうからこそ、好きなんです。

ちょっと話を戻して、

「たとえ離れていても、その人のことが自然と頭に思い浮かんだら、好きってことじゃないかな?」

という理屈がありましたが、その人の人生に関わりたいというのは、これと共存しているのではないかと思うのです。

つまり、「頭から離れない+人生に関与したい」

こういう式が出来上がります。これが共にあるからこそ、好きという感情を持つんだと思うんです。これって別の言葉に置き換えられると思うんです。

つまり、「恋+愛」。

多分彼からは、愛する基準を聞いたと思います。
「頭から離れない」のが恋で、「人生に関与したい」が愛
もしかしたら、恋愛を具現化すると、こういうことかもしれません。

もちろんこれは、僕の一説にすぎないので、他の恋愛定義があれば、コメント欄でお待ちしています。

式にした僕が言うのもなんですが、恋愛の熱量は数字に表せないですね。

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