可愛げを見せられる勇気がある人は、愛される。
人間だれしも、「誰かに好かれたい」と思うことがあります。
誰かに好かれることで、精神的に助けてもらえたり、楽しいコミュニケーションが生まれやすくなって、生きやすい世界を作ることができます。
僕は、人に愛されにくい人間なので、そういう世界を作ることは苦手です。
とはいっても、いつまでも言い訳しても仕方がないので、誰かと会った時は、とにかくその人を笑わせたりすることに全力です。
自分が面白いと思ったことを、面倒くさいけど喋り続けます。
相手は笑ってくれますし、それなりに楽しそうにしてくれます。
だからといって、僕は簡単に、愛される人間になるわけではありません。「なんか、いっぱい喋っていた人間」という印象があるだけで、いつでも近くにいてほしい存在になることはできないことが多いです。
もう、ここまで疲弊してもダメなら、「人に愛されるのは無理じゃないか」と思ってしまうこともあります(笑)。
そんな僕とは対照的な人間を見ると、すごく羨ましくも感じますし、劣等感も感じます。
僕の高校の同級生で人間者の代々木くんは、昔から人に愛される才能が、ずば抜けています。
本人は「本当の友達なんていないよ…」「誕生日、祝われるの嫌なんだよね」とか、ちょっとした心の闇を抱えてそうな発言をしていますが、LINEの友達は僕の10倍はいますし、SNSで誕生日が毎年祝われています(笑)。
人気者の代々木くんと不人気者の僕には、どんな差があるのでしょうか。
僕なりに考えた、その最も大きな差は、「可愛げ」です。
相手を喜ばせよう、相手を笑わせようと思っているのは僕かもしれませんが、僕はそればっかりやりすぎて、人間っぽい可愛さがありません。
人の発言を一言も聞き逃さないし、隙あらばすぐにウケを狙おうとするし、自分から率先して話を進めるし、相手をついてこさせることしかできません。
しかし、代々木くんは、全く逆です。
自分主導で何かをすることはなく、とにかく相手についていきます。
自分らしい発言もしますが、バカにされる隙もちゃんと与えますし、人に尊敬される隙もちゃんと与えて、相手に考える時間も与えるので、相手も楽なのでしょう。
相手のペースに合わせてこようとするのも、可愛らしさの一つです。
ドジなところがあったり、不完全な部分があったりするだけで可愛いのに、その上で相手のペースに合わせられるなんて、最高の人間です。
そうやって、多くの人の居心地を良くする人が、「愛される人」になるんだろうなぁと思います。
人は、自分のペースを守れた方が、圧倒的に居心地がいいですから。
しかも、その人本来の可愛さも見せることができると、より心地が良くなります。可愛い動物をペットにしたくなる感覚に近いかもしれません。
確かに、僕の周りの人も、僕にとって居心地のいい空間を作ってくれている人たちばかりです。
相手のペースに合わせながらも、その人本来の可愛げを見せる。
今の僕には、すごく難しいです(笑)。
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