賢い人とは、労力のかけ方に成功した人。
よく、「頭が良い人」「賢い人」と言われる人がいますが、その定義について考えてみると、かなり曖昧で複雑です。
一般的に言われる賢い人は、幅広い知識を持っていて、学校の勉強ができる人のことを言います。そういう人たちは、周りから褒められますし、確かにすごいと思います。
しかし、いざという時にアイデアがどんどん出てくる人は、もっと賢い感じがします。答えがないものを出していける力にも、やっぱり憧れますし、誰も出せない答えを出せるというのは、すごく価値があります。
その他にも、徹底的に人当たりが良い人も「賢いなぁー」と感じます。組織の中で、どの人に取り入ればいいかが瞬時に判断できて、求められていることを理解して、とっさにできる人もすごいです。
後は、何事もある程度は要領よくできてしまう人も賢いと思います。何でも仕事をこなせる人は社会で大きく評価されます。学生時代でも、初めてやるゲームなのに、誰よりも早くコツをつかんでいると、周りから評価されます。
僕は、こういう人たちのことを総称して、賢い人と呼ぶと思います。
この人たちに共通することは、たった一つです。
労力のかけ方に成功したということです。
賢い人とそうでない人に差が出る理由としては、どういう風に労力をかけているかだと思います。
僕は、何事も要領が良いというわけではありませんが、初めてやるゲームなどは、基本的に負けません。
その時、周りからは「本当にすごいな!」と見上げられて良い気になるのですが、冷静に考えて周りと何が違うのかを考えてみました。
その時に周りとの差を感じるのは、そのゲームのコツをつかむことだけに労力をかけていることです。
周りの人たちは、「負けたくない!」という思いが全面に出てしまって、コツをつかむ前に焦りが出てしまいます。
初めてのゲームだから絶対に勝つのは無理だと諦めて、落ち着いてコツをつかもうとするのをやめて、神頼みに労力を使います。
自分がどんなプレーを心がければいいのかということよりも、周りの人の失敗を祈ったり、自分のプレーで力んだりして大きなミスをします。
そうしている間に、僕はコツをつかんで上達していきます。
とても簡単な原理です(笑)。
しかし、こんな単純なことを、人は簡単に忘れてしまいます。
僕は、勉強で成績が上がらなかった時、何をどのぐらい勉強すればいいのかを冷静に考えることができず、ただひたすらに勉強したりして、努力が報われなかったこともありました。
新しいアイデアを出すときも、難しく考えすぎて、一つのアイデアを出すのに何日もかかってしまうこともありました。
コミュニケーションなんて、本音で体当たりすればいいと思っていたら、誰にも好かれなくなりました。
完全に労力のかけ方を間違っていました(笑)。
逆に言えば、それさえ間違わなければ、簡単に賢い人にはなれるはずです。
何もかもできる天才は労力がかかりすぎますが、自分がなりたい賢い人になるのは難しい話ではないかもしれません。
まずは、冷静に事実を見つめることからはじめます。
たまにはゲーム以外で「お前、賢いなぁ!」と言われてみたいので(笑)。
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