見出し画像

もう、運命の出会いなんて要らない。

運命を信じたくなくなるのが、人間の性です。

素敵な人と出会って、素敵なことが起きて、素敵な人生を歩める。

多少なりとも、そんな理想を想い描きながら、生きてしまいます。

運命的な人生に魅力を感じる人が多いからこそ、他人に「○○に行けば、良い出会いがあるよ!」という情報を提供する人も多いです。

セミナーを受ければ、サークルに入れば、マッチングアプリに登録すれば、県外に出れば、海外に行けば、何かが変わる気はします。

確かに、自分のいる環境には多少影響を受けると思います。

新たな環境に身を置くことによって、何かとの運命的な出会いを果たすこともあると思います。

しかし、運命ごときに変えられない人間もいるのです。

新しい環境で、新しい人に出会い、そこそこ充実しているのに、何かもの足りないと憂いてしまう人は、必ずいます。

そういう人は結局、自分自身を諦められないのです。

僕もその一人で、どんな状況であろうが、どんな言葉を言われようが、どんな出会いがあろうが、なかなか自分を変えようとは思いません。

結局のところ、自分の生き方に自信があって、他人に流されるのを好まず、自分が素敵だと思う基準も明確なのです。

それをハッキリと言葉にしないまでも、自分の心の中でその軸がちゃんとしている人は、意外と多いものです。

自分の軸を持っている人は、素敵な人や出来事に出会う確率が減っていきます。

もっと正確に言うと、基準が明確な分だけ、素敵だと思える人や出来事が少ないのです。

僕の場合だと、知らない土地で他人に親切にされても、自分とその場で仲良くしてくれる人がいたとしても、綺麗な景色を見たとしても、あまり素敵だと思えません。

僕の素敵なことの基準は、他人に話した時に、心に残るかどうかです。

他人から親切にされた話も、人と仲良くなった話をしても、綺麗な景色を見た話を誰かに話しても、「で?」と言われそうで怖いです(笑)。

そして自分だって、そんな話を聞いても「ふーん」としか言えません。

だから僕は、運命的な素敵には、めっぽう鈍感です(笑)。

素敵なことが少ない人生は、ちょっと損しているかもしれません。

しかし、それはそれで、悪いことだとは思いません。

自分自身を諦められないと気づいてしまえば、あとは自らの素敵を追求していけばいいのです。

僕の場合で言えば、このnoteで使えそうなネタを提供してくれる場所や人に、たくさん出会っていけばいいのです。

結局、こうしてものを書いたり、話したりする自分が好きなのです。

どんな自分が好きなのかを知れば、もう運命は要りません。

運命に抗いたくなったら、自分の軸で生きた方がラクです。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!