親友と朝
「ケンリュウのバッティングって、当たるときと当たらない時の差、ヤバくない?」
「アイツ、安定しないよなー」
「ぶっちゃけ言っていい? 下手くそ!」
「ハハハッ!」
ケンリュウが誰なのかを知らない竜一は、ただただ、二人の会話を聞きながら歩いていた。毎朝、千田と周太は、誰かの悪口を楽しそうに言っている。その人物は、竜一が見たことのない他校の生徒、竜一が授業を受けたことない先生、竜一が喋ったことのない野球部員であることは、竜一にも予想がついていた。しかし、二人は竜一に構うことなく、竜一が会話に入れない話題を選び続ける。竜一にとって、二人と一緒に登校する時間は、苦痛以外の何物でもなかった。二人との時間を1秒でも短くしたい竜一は、歩く速度を上げた。
「おい竜一、何でそんなに急いでるの? 遅刻ギリギリでもないのに?」
竜一が、二人より体一つ分前に出たとき、千田は竜一の歩くペースが上がっていることに気づいた。
「そうだよ! 朝から生徒会でもあるのか?」
周太は、ほくそ笑みながら、千田と目を合わせた。
「ごめん、速かった? あっ、もしかしたら学校に呼ばれた気がしたのかもな! 生徒会長になってから、常に学校を良くすることしか考えていないんだよね!」
竜一は、何とか明るく振る舞うが、竜一が喋れば喋るほど、二人は白けていく。
「あっ、そう」
千田は、その言葉だけを吐き捨て、また周太とケンリュウの話を始めた。今朝も竜一は、穏やかな朝の日差しの下で、冷たい空気を浴びていた。どれだけ天気が良くても、竜一は、朝の日差しが大嫌いだった。
「竜一さ、毎朝アイツらと登校して、大変だよなー」
志村は、右の人差し指でバスケットボールを回しながら、竜一の表情を二、三度伺う。
「朝から、最悪だよ。でも、あの時間さえ耐えれば、お前が教室でバカなことやってるから、もうその頃には忘れてるかな」
竜一は、志村の目は見ずに、体育館の天井にかかるバドミントンのシャトルを数えながら、志村の問いかけに答えた。
「うるせぇな! じゃあさ…」
「竜一先輩! この子が、先輩のことカッコいいって言ってますよ!」
志村が何かを言いかけるも、その声は、近くを通りかかった女子バレー部の関根愛にかき消された。
「関根、いちいち大声で言うなよ! 楓も、迷惑そうじゃん!」
「えっ? 楓だってよ? 覚えられてるじゃん!」
関根は、からかうように笑いながら、楓の肩を叩いた。楓は関根の体に隠れて、顔を真っ赤にしている。
「じゃあ、竜一先輩の連絡先、教えといて良いですか?」
「まぁ、いいよ」
竜一は、本人の前で断るのは気が引けて、仕方なく許可した。
「お前ら、うっせぇんだよ! 竜一がスゴいのは認めるけどな、その親友は俺なんだよ! まずは俺に挨拶しろよ!」
志村は、割り込まれた腹いせに、話したこともない二人を睨みつけ、暴言を吐いた。
「あっ、そうなんすね。でも、竜一先輩には、結衣先輩がいますもんね。生徒会で、いつもいい感じっすよ!」
関根は、志村を軽くあしらって、竜一だけに話しかける。
「俺の話をきけよ!」
志村はふてくされ、バスケットボールを関根を目がけて投げつけた。ボールは、関根と楓の間の頭上をかすめ、関根はむすっとした表情で、「アイツ、何なの?」とボソッと囁きながら、楓とともにバレー部の方へ走っていった。
「志村、暴言はまだしも、暴力はダメだろ」
竜一は呆れ顔で笑いながら、志村の肩に手を置いた。
「いや、これは全部、成績優秀で生徒会長で、バスケも上手くて、女子にモテるお前の方が問題だ! 問題児すぎる!」
志村は、竜一の顔を指して真剣に言うも、竜一は「そんなことない」と言いながら笑う。
「っていうかさ、志村がそんな暴力的だから、女子が近づいてこないんだよ」
「だって、お前のファンって、俺のこと見下してる感じがするんだよね」
「そんなことないと思うよ。志村は、ちゃんと話せば面白いから、お前の方がモテる素質あると思うし…」
「おっ。さすがは俺の親友! 確かに俺、志村って名字だから、ちょっとは志村けんの血が混ざってると思うんだよね。…って、俺は変なおじさんじゃねぇわ!」
「そういうところは、あんまり面白くないけどな。あと、親友っていうのも違うかなー」
竜一は、わざとらしく迷惑そうな表情を作り、志村から体を遠ざけた。
「てめぇ、なんだとー!」
志村は竜一を追いかけ、竜一は体育館中を駆け回って逃げた。二人の笑い声は、体育館の外まで漏れていた。竜一にとって、千田と周太が視界に入らない体育館は、安全で幸せな空間だった。
「あの、付き合ってください」
竜一が中学に入学してから、女子に告白されるのは、これで24回目だった。放課後に誰もいない教室に呼ばれるのは、これが12回目。結衣からの告白は、これで4回目だった。
「ごめん。今は付き合う気はないんだ。ほら、生徒会とか部活とか、いろいろ忙しくて…」
竜一は、他の人に告白された時は、「ごめん」とだけ言って断るが、結衣の告白を断るときは、結衣を傷つけたくない気持ちが先行して、いつも言い訳のようになっていた。
「…またダメかぁ。竜一って、恋愛に興味ないの?」
無理に笑顔を作って話す結衣の目には、涙が溜まっている。
「うーん。そうなのかなぁ? 自分でもよく分からないんだよね…」
竜一は、自分の気持ちを誤魔化しながら、無理に微笑んだ。
「そっか。じゃあ、これからもラインとかしても、迷惑じゃないかな?」
結衣は、自分の可能性がゼロではないことが分かると、安堵したような笑みを浮かべた。
「うん。いつでも連絡していいよ! 毎回楽しいから」
「優しいね。ありがとう。でも、このことは、秘密にしといてね。何回も振られて、恥ずかしいからさ…」
「うん。分かった」
結衣は自分の目から涙が流れてきそうなことを察知し、急いで教室から出た。竜一は、全身から力が抜け、机の上に腰を下ろした。告白を断ることは慣れていても、結衣の告白を断るのは、胸が痛んだ。自分の正直な気持ちを伝えられないのが、毎回辛かった。
中学二年の冬休み前日のことだった。竜一は、オール5を取り、クラス内で注目されていた。その時、生徒会長に就任した竜一は、「生徒の鏡だ!」と先生たちにも褒められた。竜一も嬉しくて、同じ教室にいた千田や結衣に自慢した。竜一と千田は親友といっても過言ではないほど、仲が良かった。幼稚園からの幼馴染みで、授業で二人一組を作るように指示されたら、竜一はすぐに千田のところに駆けつけていた。毎朝一緒に登校するのは、小学校の頃からお決まりだった。
「竜一、やっぱ俺、千田のこと、好きになれないんだよな…」
放課後、バスケ部の部室で、志村はポツリとつぶやいた。中学から一緒になった志村は、千田と性格が合わず、喋ることすら嫌がっていた。
「そんなこと言うなよ! アイツ、昔から良いヤツなんだよ? 俺が財布忘れた時、映画のチケット、奢ってくれたし…」
不満そうな顔を浮かべる志村を、竜一はいつものようになだめ、千田が良い人間であることを語り始めた。
「竜一、ずっと、言いたくて言えなかったんだけどさ、もう言っていいかな?」
いつもなら、志村は黙ってその話を聞くが、今回は竜一の話を遮った。
「なんだよ?」
竜一は、どうせまた、千田の悪口を追加してくるのだろうと思い、呆れ顔で構えていた。
「千田は、竜一のこと、超嫌ってるよ」
志村は、竜一から目をそらさず、ゆっくりとした口調で言った。
「千田が? 今、アイツと喧嘩してないんだけどな…」
志村は気まずそうに、竜一の言葉を聞いていた。
「これ、本当だよ。小学校の時から陰で嫌っていたらしいよ。今も、竜一がいないところで、すぐに悪口言うんだよ、アイツ。そういうとこが、一番嫌かな」
「おい志村、大丈夫か?」
竜一は、志村の言うことを全く聞き入れず、やけに本気の顔つきになった、志村の精神状態を心配した。
「アイツ今日、マジでウザかったぜ」
「えっ、今度は何?」
竜一と志村が話し込んでいると、遠くから千田と周太の声が聞こえた。千田は周太に愚痴を言いながら、竜一と志村のいる部室に近づいてくる。バスケ部と野球部の部室は隣にあるため、千田と周太の声は、次第にハッキリ聞こえてくる。
「自分がオール5だからって、めっちゃ自慢しててさ、『スゴい!』って言われるの待ちだったのが、本っ当に、ウザかった」
「うわぁ。ウザいな」
「しかも、わざわざ結衣のとこ行って、アピールしている感じが、カッコつけながら下心丸出しで、すっごくキモかったぜ」
「うわっ、そんなの見たら目が腐りそう」
竜一は、自分のことを言われていると分かっていたが、現実として認めたくない気持ちが、頭の中を支配した。今すぐ、千田と周太の前に出ていって、「そんなことないわ!」と明るく言いたい。部室から出て行こうと、ドアノブに手をかけたが、志村が竜一の腕を掴み、首を横に振った。
「あぁー、アイツどっか行ってくんねぇかな。目障りなんだよな」
「確かに! 天国とかどう?」
「周太、甘いな。俺なら地獄行きを願う!」
「ハハハハハッ!」
二人の声は、部室の廊下に響き渡った。竜一と志村は、二人がいなくなるのを待ってから、ようやく喋りだした。
「だろ? まぁ、お前がスゴいから、嫉妬してんだよ、千田も、周太も。あんまり、気にしなくていいと思うよ」
志村は、ショックで固まった竜一を慰めたが、竜一はしばらく黙ったままだった。竜一は、頭の中を整理することで、精いっぱいだった。親友の千田が、自分のことを嫌っていた。一緒に遊んだことのないの周太も、自分のことを嫌っていた。
「じゃあ、そろそろ行こうぜ」
志村は沈黙に耐えきれず、部室のドアを開ける。
「志村、友達って、こうやって終わっていくんだな…」
「そうだな…。まぁ、気にすんな!」
竜一の暗い声のトーンに引っ張られないように、志村は普段通りの声のトーンを守りながら、言葉を返した。
竜一は、冬休みの間、自分の何が悪かったのかを考える毎日だった。志村が言っているように、ただの嫉妬かもしれない。しかし、千田が成績が良い人を憎むような素振りを、竜一は見たことがなかった。だとしたら、結衣が原因なのではないだろうか。好きな女の前で、カッコつけているヤツがいたら、確かに目障りだ。竜一は、自分にできる最大限の努力は、結衣と話しているところを、千田に見せないようにすることしかないと思った。竜一は、それで千田との仲を取り戻せるなら、それで良かった。しかし、千田は違った。
「おっ、竜一! おはよう!」
冬休み明けの登校初日、いつもの待ち合わせ場所には、当然かのように周太がいて、その日から3人で登校することになった。千田と周太は、竜一が会話に入れないように、二人で喋り続けた。そのとき竜一は、もう、千田とは友達に戻れないと悟った。それから千田は、竜一の根も葉もない噂を広めたり、偶然を装って野球ボールを当てたりして、嫌がらせを繰り返すようになった。竜一が目立てば目立つほど、嫌がらせはエスカレートしていった。ここまで徹底的に苦しめてくる千田を見た竜一は、他の誰かが被害を受けるのが怖かった。千田は偶然だと言い張っているが、実際に志村が野球ボールを何度か当てられたことがあった。竜一は、結衣とはラインだけで会話するようになり、志村と喋る頻度も少なくした。その効果もあってか、三年生に上がる頃、千田の嫌がらせは次第に少なくなった気がした。
竜一が、結衣の4度目の告白を断った翌朝、千田と周太は竜一を見るなり、笑いをこらえながら通学路を歩いていた。
「ごめん。今は付き合う気はないんだ」
「でも、連絡はとっていいよね?」
「うん。いつでも連絡していいよ! 毎回楽しいから」
「ヤバっ! キープしてんじゃん! 調子乗ってるなぁー!」
竜一は、体全身に鳥肌が立った。目の前で起きていることが、すぐに理解できなかった。
「竜一、キープする男って、どう思う?」
千田はわざとらしく、竜一に話を振った。
「まぁ、あんま良くないよな…」
竜一が答えた途端、千田と周太は目を合わせ、笑いをこらえきれずに吹き出した。
「でもさ竜一、いくらなんでも、結衣をキープしながら、バレー部の楓ちゃんをラインで口説くのは、よくないぜ? ハハハハハ!」
周太は、竜一の動揺する顔を見て、より拍車をかける。
「えっ? お前ら、何なの?」
竜一の声は、憤るあまり、わずかに震えていた。
「何って? 本当のことしか言ってないよ! だって、全部本人たちから聞いたよ!」
千田の言葉を聞いた瞬間、竜一の体は寒気に襲われた。もう、誰も信じられなかった。楓とラインはしたが、口説いたことはなかった。結衣との告白は、秘密だということにしていたはず。もう、無理だ。
「竜一、後輩の女子に、手ぇだしてんじゃねぇよ!」
「竜一、生徒会長のくせに、女癖が悪いぞ!」
校門前をくぐると、千田と周太はここぞとばかりに大声を出した。部活動の一環で掃除している生徒、委員会活動で花に水をあげる生徒、校門で挨拶している先生が、竜一に注目する。傍から見れば、仲の良い男子が、ふざけ合っているようにしか見えないだろう。竜一は二人の言葉をかき消すように、「やめろよ!」と叫びながら、自分もふざけ合っている一員に混ざっているフリをし、靴箱までの距離を乗り切った。いつもだったら、あっという間に歩くこの距離も、その日の竜一にとっては、格段に長く感じた。千田と周太が自分たちのクラスの靴箱に行くのを見届け、竜一も自分のクラスの靴箱に向かった。
「竜一、大丈夫?」
後ろから、志村が心配そうに話しかけてきた。どこから見ていたのか分からないが、志村には関わらないでほしかった。
「大丈夫だよ! いちいち聞いてくんな!」
竜一は、声を荒らげてしまった。何の罪もない志村に、八つ当たりをした自分が恥ずかしくなって、急いで上履きに履き替え、早歩きで教室に向かった。
それから、竜一の学校生活は反転した。女癖が悪いと噂になり、ときどき「あれって本当なの?」と聞いてくる女子もいた。竜一は否定したが、それよりも自分のことを信じてもらえないことが、ショックでやりきれなかった。楓や結衣が、千田と周太にそう伝えたわけではないだろう。おそらく、女子同士で話していたことが、悪いように漏れてしまったのだ。竜一は、自分自身が女癖が悪い男に見られていると思うと、生きているだけで恥ずかしくなった。給食を食べるだけでも、どこか申し訳ない気持ちがあった。竜一は誰のことも信じられなくなり、誰かに話しかけられても、素っ気なく返事をするだけになった。生徒会長として、人前に出ないといけない時だけ、口を開くようになった。それでも、朝の登校はやめなかった。なるべく、千田の近くにいるようにして、自分の悪口を言いにくくさせることだけが、学校に行く目的になっていた。これ以上、苦しみたくなかった。これ以上、自分の愚かな姿を誰にも見せたくなかった。
そんな生活が2カ月続いたころ、竜一は、一睡もできずに朝を迎えることが多くなった。どれだけ眠りにつこうとしても、頭の中は学校での不安が襲ってきた。実際に暴力を振るわれているわけでもなく、決して無視されているわけでもない。周りから見れば、いじめには見えないだろうし、もし竜一がいじめだと訴えても、千田と周太は「そんなつもりなかった…」と、悪気のないふりをするだろう。竜一は、自分の悪い噂を流されるかもしれないと、急に怖くなることがあった。
「俺なんて、どっか行っちゃえばいいんだもんな…」
竜一は、いつもの待ち合わせ場所に向かいながら、独り言をつぶやいた。
「おっ。まだ、周太たち、来てないんだよね」
「そっか」
竜一が来たことを確認した千田は、竜一を見るなり、それだけを言い放った。すぐに目線をスマホに移し、ガムを嚙みながら他校の女子のSNSを見ている。
「ごめーん!遅れた。 じゃあ、行こうぜ!」
遠くから、周太が走ってきた。その後ろには、少し気まずそうに愛想笑いをする志村もいた。竜一は、開いた口がふさがらなかった。千田は、そんな竜一を見て、笑いを堪えている。竜一も、その視線を感じていたため、動揺していることを勘づかれないように、慌てて開いた口を閉める。
「いやぁ、周太のトイレが長くてさ…」
半笑いで喋りだした志村は、竜一に一瞥もくれず、千田だけを見て言った。
「違う! お前のトイレが長かったんだろ!」
周太は、いつも以上に声を張っている。竜一も、愛想笑いを浮かべていた。
「まぁ、なかなか出なくてさ。ごめんな」
「そうか。志村もケンリュウみたいになるな。ケンリュウも野球の試合中、しょっちゅうトイレ行くんだよなー」
「じゃあ、これから志村ケンリュウって呼ぼうぜ!」
「ハハハハハ! いいね!」
千田と周太は、いつも通り、ケンリュウの悪口で盛り上がった。
「志村ケンリュウだったら、せめて、志村けんにして! 俺、志村けんの血、多分入ってるし」
志村は、千田と周太の会話に入り、楽しそうに笑っている。竜一は、志村も敵になってしまった喪失感で、今にも倒れてしまいそうだった。今までの自分の全てを嫌いになった。オール5をとって自慢したこと、女子に優しくしたこと、生徒会長になったこと、バスケが上手くなったこと。そのどれもが千田の嫉妬の引き金となり、ついにここまで成長してしまった。全部、俺が出しゃばらなければ良かったと、竜一は心の底から強く思った。
「志村、竜一に言いたいことあるんだろ? 正直に言えば?」
千田は、話の流れを無視して、志村に話を振った。あまりの唐突さに少し驚いた竜一は、志村から何を言われるかが怖くなった。できれば、走って逃げ出したかった。
「あぁ、竜一にっていうか、みんなに聞きたいんだけど、ケンリュウってだれ?」
志村は、ヘラヘラしながら、竜一がずっと聞けなかったことを千田と周太にきいた。
「それじゃないだろ! 性格がどうこうって、言ってたじゃん!」
周太は、呆れ顔で志村の肩に手を乗せた。
「あぁ、あれはどうでもいいんだよ。ケンリュウって、他校の野球部?」
志村は、千田の目をまっすぐ見つめてきいた。
「あぁ、そうだけど。で、竜一がなんだったっけ?」
千田は、志村の質問を軽くあしらい、竜一を貶めることをしたがっている。竜一の悪口を引き出したくて、うずうずしているのが、竜一本人にも伝わった。
「あぁー! なるほどね! 5・7・5で詠むやつね。…ってそれは、川柳だろ!」
志村は、千田の肩に左手の甲をぶつけ、一人きりでボケとツッコミを始めた。
「…」
志村が放った言葉は、恐ろしいほど場を凍りつかせた。
「お前、何? マジでウケないんだけど」
千田は眉間にしわを寄せて、志村を睨みつけた。
「いやだって、ケンリュウって、誰か分からないからさ。逆水平チョップしてくるプロレスラーかと思ったよ。…って、それ天龍だろ!」
志村は声を張り上げ、思いきり周太の喉元に指先を突き刺した。志村は笑いながらやっているが、それにしては強すぎると思い、竜一は不思議そうに見ていた。
「痛っ。お前、マジで空気読めないな」
周太は、不意を突かれたと言わんばかりに目を丸くし、千田と目を合わせた。志村は、千田と周太の仲間だったはずなのに、場を凍りつかせてまで、二人の期待を裏切っている。
「いや、ケンリュウって、誰のことか分からないからさ…」
志村は、そう言いながら竜一を見て、ニヤリと笑った。
「ケンリュウって、便の通りのことを言っていると思ったよ。今日の俺はよく出たけどね」
「それ、便通だろ! ちょっと、イントネーション違うし…」
竜一は、志村に劣らない声量で叫び、志村の右肩を手の甲で強く叩き、そのままガシッと掴んだ。
「しかもお前、今日は便通がよくなくて、遅れて来たんだろ?」
「そうだった…」
志村は、竜一と目が合うと、涙が流れてきた。
「なんだよ! 言葉が出ないなら、もう、このくだり、やめようぜ」
竜一は、志村の涙にはふれず、志村の肩から手を離した。
「一応言っとくけど、すんげぇ、スベってるよ、お前ら」
千田は、嚙んでいたガムを、志村に目がけて吐き捨て、周太と先に校門まで歩いて行った。
「じゃあ、ケンリュウって、竜一に嫉妬して、しょうもない嫌がらせをする、クソつまんないヤツらか?」
志村は、背中を向けて先に行く二人に問いかけるように、その言葉を放った。
「それ、センシュウじゃねぇか! アイツらの頭文字とって、センシュウって呼ぶヤツ見たことねぇよ!」
「まぁ、彼らは名コンビだから、これからはそう呼ぼうぜ」
「あんなもん、クソコンビだろうが! アイツらと毎日登校してるけどな、愛想笑いしかしたことねぇよ!」
「アイツら、ずっとスベってるもんなー」
「うーん。お前の次にスベってるな」
「てめぇ、なんだとー!」
竜一は、志村から逃げるように駆け出し、志村はその背中を追いかけ、そのまま千田と周太を追い越し、校門をくぐり抜けた。
「志村、お前も終わったな」
志村が千田を追い越したタイミングで、千田は志村だけに聞こえる声量で言った。
「てめぇみたいに、人間として終わるよりは全然マシだわ! お前って、ダサいし頭悪いし、見てて痛々しい…。お前みたいなヤツなぁ…」
志村は振り返って、千田の襟元をがっしり掴み、叫ぶように言った。
「志村ぁぁぁぁ!」
遠くから叫びながら、バスケ部の顧問が走ってきた。
「うるせぇなぁ! ここまで我慢したのに、止めてくんじゃねよ!」
志村は、先生に向かってそう言い放つも、体を千田から引き離され、そのまま生徒指導室に連れて行かれた。
「千田、もうお前らと一緒に登校しない。これ以上、アイツがおかしくなるのは、もう見てられない」
竜一は、千田と周太のことを睨みつけた。
「はっ! 早くそうしれよ! 毎朝お前が邪魔で仕方なかったよ!」
竜一は、千田のその言葉を最後まで聞かず、生徒指導室に向かった。
志村は、生徒指導室で一週間の出席停止処分を命じられた。理由は、先生への言葉遣いがなっていなかったからというものだった。どれだけ竜一が志村をかばっても、懲罰を軽くすることはできなかった。志村は、千田と周太がこれまでにしてきたことを話したが、千田と周太は先生に追及されても「そんなつもりなかった」「悪い気にさせたなら、ごめん」と、感情のない言葉を並べて、いとも簡単に先生を騙した。
「いやぁ、昨日は大変だったな…。っていうかお前、今日から出席停止だろ?」
「まぁ、そうだけど、せっかく起きたんだから、お前と一緒に登校してあげるよ」
志村は、制服は着ているが、カバンは背負っておらず、ポケットに手を突っ込んだまま歩いた。
「志村って、すごいな」
竜一は、志村の目を真っ直ぐ見て言った。
「なんだよ急に。まぁ、確かに昨日の俺はすごかったよな」
志村は、はにかむように笑った。
「うん、おかげで、学校が楽しくなりそうだよ」
「まぁ、ケンリュウって言葉を使いつつ、一人でボケとツッコミやるなんて、想像つかないよなー。想像を絶して、ごめんな!」
「あぁ、それはすごく面白くなかった。超凍りついてたし」
「おい! じゃあ、他に何がすごいんだよ?」
「俺のこと、助けに来てくれたじゃねぇか。それが一番、嬉しかったんだよ」
「そっか。俺も、竜一が自分を取り戻したのが、一番嬉しかったな。お前がお前じゃないと、俺も俺じゃなくなるんだよ」
「ごめん。これからは自分を押し殺さないよ。今度はお前に借りを返すからな」
「でも昨日、俺も助けられたよ。あのまま一人ケンリュウやり続けてたら、精神持たなかったよ」
「フッ。親友、なめんなよ」
「ん? なんて?」
「いや、なんか、『朝の登校って、こんなに気持ちが良いものだったっけ?』って、思ってさ…」
「普通朝は、爽やかな気分を味わうもんなんだよ。お前の感覚が、おかしくなってんだ」
「知らなかったわ…」
「お前もバカだな。じゃあ、そろそろ校門近くなってきたから、この辺で」
「うん」
「あっ、志村! ありがとうな」
「おい竜一、それを言うならセンキューだろ?」
「ケンリュウのイントネーションで、言ってくんなよ! 昨日の悪夢を思い出すだろ! じゃあ」
「あっ、竜一!」
「なんだよ?」
「お前も、親友、なめんなよ?」
「聞こえてたのかよ」
竜一は恥ずかしくなり、すぐに志村に背を向けて、早歩きで校門をくぐった。視線の先には、千田と周太がいたが、颯爽と二人を追い越し、その先にいた結衣のところへ駆けつける。
「おっ、結衣! おはよう!」
結衣は、明るく話しかけてきた竜一に驚いたが、嬉しそうに笑った。なんて、清々しいんだろう。竜一は、穏やかな朝の日差しを浴びながら、初めてそう思った。
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