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どんなときも、絶対に人生を賭けない。

よく、「人生を賭けた挑戦」などという言葉を聞きますが、僕はこの言葉があまり好きではありません。

だって、”人生を賭けた――”とか言われると、とても気が重くなってしまいませんか?

この文言を初めて身近で聞いたのは、おそらく受験の時です。

先生が生徒に「お前たちの人生が賭かっている受験だ」と言ってきました。

もちろん、この言葉で自分を鼓舞できる生徒もいると思いますが、僕の場合はプレッシャーに感じすぎて、手が動かなくなりました。

だって、人生と引き換えにする「賭け」に参加するなんて、恐ろしいです。

負けた瞬間に人生が終わってしまうなら、参加したくありませんし、負けた場合は、どうやって生きれば良いのでしょうか(笑)。

そんな僕の屁理屈に対して、先生たちは「負けた時のことは考えるな!」と言います。

しかし、僕はその言葉に対して、こう思います。

いやいや、先生よ。「賭け」の本質を分かっていない。勝つ人がいれば、負ける人がいるのが賭けだ。めちゃくちゃ勉強したからって、絶対に勝てる保証はない。それに、その賭ける金品が人生とは、いくらなんでも重たすぎないか。

先生は、こんな屁理屈を言う僕に、苦笑いするでしょう(笑)。

会話では屁理屈に聞こえますが、「人生を賭けた――」という文言は、結構深刻に捉えられても仕方ありません。

ネガティブで繊細な人からすれば、「この賭けに負けたら、自分は終わりだ」と追い詰める行為は、珍しいことではありません。

本当に負けてしまった場合、大きな挫折のまま、もう立ち上がれなくなることだってあるのです。

そうやって自分の人生を諦めてしまうのなら、はじめから「人生を賭けた受験」に参加しなければ良いんです。

たとえ、受験勉強をして受験するにしても、人生を賭けているわけではないという意識がないといけません。「志望校に進めたからといって、幸せな人生が待っているわけではない」ということを頭に入れておかないと、理想の生活と違った時に、「こんなはずじゃなかった…」と落ち込むだけです。

何か一つ達成することで、充実感が味わえるし、環境も変わっていくかもしれませんが、たかが一つの挑戦で、劇的に人生が良くなるなんていうのは、妄想でしかないと思います。

だって、そんなものがあるなら、みんな挑戦していると思いますから(笑)。

最も大事なことは、自分が楽しく笑って生きることです。

そのためには、全ての挑戦を楽しむぐらいの気持ちで動いた方が、前に進めます。

だから僕は、どんなときも、絶対に人生を賭けません。

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