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「相手の立場を考えて、人と接する」なんて嘘だ。

よく、相手の立場を考えることこそが、コミュニケーションの正義だと、もてはやされています。

モテる人や仕事での人付き合いが上手い人に、コミュニケーションのコツをきくと、大体は「相手の立場を考えること」をモットーにしている場合が多いですし、確かに相手の立場を考えて話すことは、すごく大事なことだと思います。

そんな人たちに憧れた僕は、ここ最近は人の顔色を気にして喋るようにしました。

相手がどんな話を好きそうなのか、どんな話をすると嫌がるのか、口数はどのぐらいが良いのか、しっかりと観察しています。

もちろん、実践だけでなく、コミュニケーションや人付き合いが上手い人の話す言葉もよく観察しました。

そうして観察し続けた僕は、コミュニケーションが上手い人たちに文句が言いたくなりました。

「お前ら、噓つきじゃねぇかよ」

彼らを見て、何度もそう思いました。

その理由は、彼らは自分視点の話、自分が今気づいた感情、自分の秘めていた思いなどを、めちゃくちゃ喋っていたからです。

つまり、僕からすれば、相手の立場を考えて喋っているようには見えませんでした。

相手の立場を考えれば、オチもない話は要らないでしょうし、「お腹すいたー」とかの子どもみたいな言葉も要らないし、「実は…○○なんです」なんて謎の告白をする意味が分かりません。

でも結果としては、相手とすごく楽しそうに喋っていました。

もし、これを計算づくで彼らがやっているなら、すごいと思いますが、おそらく彼らは相手の立場を考えても、ちょっと本音が漏れてしまうほど脆いからこそ、人間味が出て、愛されるのだろうなと思いました。

やっぱり、方法というのは、人によって異なるものです。

王道の正攻法であっても、ちゃんと自分に合うのかを考えてから、実行に移すべきです。

僕のような自分を殺せる人間が、「相手の立場を考えて人と接することが大事」という正攻法を試すと、いろいろと自分に負荷がかかります。

相手の立場を考えると、喋って良い言葉を限定してしまうし、何かふざけたくても相手に必要かを考えてしまうし、自分のしたい話もしていいものか分からないし、そんなことをしている間に、何も喋れないで時間は過ぎていくし…。

僕と同じように、環境によって自分を殺せる人間は、「相手の立場を考えて、人と接する」ことなんて、もう標準装備されているのです。

むしろ逆に、「腹減ったー」とか「実は僕…O型なんです」といったくだらないことを言って、人間性をあえて出すぐらいが、ちょうどいいのかもしれません。

「子どものような人間性を出して、人と接する」がコミュニケーションの正攻法です。

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