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あなたは、誰の自慢にもならなくていい。

自慢の恋人、自慢の友達、自慢の兄弟、自慢の父、自慢の母…。

時々、自分の周りの人のことを「自慢の○○」と言って、誇り高く話す人がいますが、僕は、そういう話し方に少し引いてしまいます。

たとえ、自分の母がすごいとしても、それは母がするべき自慢であって、僕の自慢ではない。

つまり、他人と自分を混同したくないのです。

もちろん、尊敬している点を話すことはありますが、それを自分のことのようには話しません。

なぜなら、まるで自分のことのように周りの人の自慢話をしたら、自分が満足してしまうからです。

ちょっとだけ、自分も達成した気分になってしまうのです。

確かに、自分の周りの人が誰かに褒められると、ちょっぴり誇らしい気持ちになりますが、他人は自分の所有物ではありませんし、他人は自分の一部ではありません。

他人を自慢することで、自分が頑張らなきゃいけないことから目を背けたくないし、他人を一人の人間として尊敬するなら、他人の自慢を横取りするべきではないと思います。

だから僕は、他人のスゴいところを話すときは、必ず最後に自分の話に持っていきます。

「僕の高校の同級生が、この前、朝ドラに出てたんですよ!(中略)僕も、全国放送の番組に関わりたいですね…」

こんな感じで、必ず他人と自分を区別して話しています。

それに、自分と他人を混同し続けると、常に他人の活躍を期待するだけの人生になって、周りの人にプレッシャーを与えてしまいます。

プレッシャーが強くかかると、周りの人も「スゴい実績残さなきゃ・・・」「自慢してもらえるように頑張ろう!」と、余計な力が入ってしまいます。

誰かの期待に応えようとするのは、精神的にキツいことです。

自分がどれだけ頑張っても、期待に応えられないことだってあるでしょうし、期待に応えたと思ったのに、周りの人の反応がイマイチなんていうこともあると思います。

だからこそ、近くにいる人は、期待の負担を減らしてあげるべきだと思うのです。

そもそも、相手がすごいから、家族や兄弟や友達や恋人になったわけではないでしょう。

仕事では、ある程度の実績や技能が必要とされますが、それ以外の人間関係は、何も武器を持たずに接することができるのが魅力の一つです。

自慢される義務もなければ、自慢したい願望もない。

心地の良い人間関係とは、そういう人間関係のことだと思います。

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