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「堂上直倫」と「坂本勇人」

ドラゴンズ「堂上直倫」の苦悩

昭和42年生まれの私が小学生のころの話
現在、中日ドラゴンズの内野手、堂上直倫選手の親父さんの堂上照さんが投手として活躍していた。
ドラゴンズファンの私にとって堂上投手は毎日テレビで観る中継ぎの「ごっついおっさん」というイメージだった。

堂上直倫は親父さんもお兄さんも元中日ドラゴンズの選手という史上初のドラゴンズ一家。
ドラキチ」の間で有名な堂上家にあっても最も注目が高かったのが、この次男直倫だった。
愛工大名電高校時代は4番打者として通算55ホーマー、甲子園でも日韓戦でもホームランを量産し、2006年のドラフト目玉の選手だった。
案の定、結果的に入団したドラゴンズ以外にもタイガーズ、ジャイアンツの人気3球団から一位指名を受けている。もともとジャイアンツはこの時、「田中将大」か「堂上直倫」か?と迷っていたようだが、
ドラゴンズ一家の直倫を指名しても「どうせ断られるに違いない」と踏んでいた様子。
ところが一転、ドラフト直前の記者会見で直倫本人が「どこの球団でも行きたい」と表明したことがきっかけで、ジャイアンツの「直倫」指名が固まったという。
なぜこの会見で直倫が「どこでも・・・」と発言したのか・・・  

結局地元で、堂上一家に縁の深いドラゴンズがくじで引当て、堂上直倫のドラゴンズ入団が決まった・・・

ちなみにこの時に直倫くじを外したジャイアンツの外れ一位は「今を時めく坂本勇人」であった。

 この流れから見ても、「地元名古屋の応援」「球団からの期待」が尋常ではないことは分かる。他球団と比較しても名古屋ドラゴンズファンの地元出身選手への押しの強さが半端ないことは有名。
私はこれまでに何人もの地元の大物をつぶしてきた苦い歴史をみてきた。
 余談だが、私個人の意見としては「工藤公康」「槇原寛己」などの歴史に名を遺す名古屋出身選手たちだって、もしもドラゴンズに入団していたら、あそこまで活躍していただろうか?と疑問に思うことがある。
しかも直倫は親子鷹、イケメンときている。人気・実力ともに当時、球団史上NO.1の「押し選手」といって間違いなかったと思う。

しかしここから堂上直倫の苦悩は始まる。

 直倫入団時のドラゴンズは「勝利至上主義」の落合博満政権、いくら人気があっても実力がプロで「通用しなくては使わない。」当たり前のこのことが徹底されていた。
当時のドラゴンズは鉄壁の内野陣、荒木・井端の二遊間コンビにサードは中村紀洋、ファーストはウッズ、高卒ルーキーの入る余地はどこにもない。因みに外野は福留、森野、李と、こちらも強力なメンバー、生え抜きも多いが名古屋出身者のいない外様(とざま)チームだった。
 そのため、ことあるごとに地元の「ドラキチ」からは、地元のスター候補「直倫をつかえ!」とヤジが飛ぶこともしばしば・・・

まさにこの時、19歳の直倫の心境は察するに余りある・・・

結局、何度かチャンスはあったものの、いざというときの井端、荒木の勝負強さ、堅実さには遠く及ばなかった直倫は2020年シーズン終了時点まで球団史上最大級の期待に応えることはできていない。

元タイガーズの川藤幸三さんが自身のYouTubeで言っておられたが、高卒で入団したあと投手から内野手にコンバートの話が出た。
キャンプで初めてショートの守備練習につかされた時、一緒に守っていた「吉田義雄」と「藤田平」の守備をみて「こんなもん1000年やっても追いつかんわ」「上手くなるどころか自信なくなってもうたがな」と本音を漏らしておられた。
またパリーグの1990年代の常勝軍団「西武ライオンズ」がドラフト一位で獲得した東京六大学で大活躍した新人投手は、最初のブルペンでプロの投げる球の凄さを観て、すぐに心が折れてしまったそうな・・・自信喪失したこの投手は二軍戦でもぼこぼこに打たれたあげく、球団部長に呼び出されて「契約金泥棒」と揶揄されたそうな、結局その後も彼が活躍することはなかったという。

 


いっぽうジャイアンツ外れ一位の「坂本勇人」は?

この時のドラフトで「堂上直倫」獲得に失敗したジャイアンツであったが
原辰徳監督は「クリーンナップを打てるスーパーヒーローが欲しい
と大型内野手を獲得して大切に育てる気持ちは捨てていなかった。

鉄壁の野手陣を誇る中日ドラゴンズとは対照的に二岡、小笠原、李承燁、ゴンザレスとビッグネームではあるが30代を過ぎた選手ばかりで手薄感は否めない。
原監督の「若いスーパーヒーロー育成構想」もうなずける。

 堂上直倫をくじで外してしまったジャイアンツの隠し玉として用意されていたのが、青森、光星学院高校の「坂本勇人」だった。堂上ほどの知名度と実績はないが、北海道・東北担当スカウトの大森氏は下級生のころから目を付けていたらしい。実際に堂上を外した後、坂本を単独指名した時には大森氏の顔は喜びに満ち溢れていた

坂本を獲得したジャイアンツ原監督は実績十分の二岡、小笠原をトレードで放出してまでも、坂本の天才的なバッティングセンスを信じて試合に使い続けた。ミスをしても注意はしなかったらしい。のびのびとスターを育てた。スターの気持ちはスターにしかわからないのだろう。まさに棘の道に入った堂上直倫とは対照的だ。

この年の特A評価の高校生はマー君でおなじみの「田中将大」、八重山商工の「大嶺祐太」、そして野手では「堂上直倫」この3人だった。このとき特Aと評価されていなかった「坂本勇人」だが、プロ入りしてからの活躍はマー君と並んで伝説級の超特Aといえるのではないだろうか?
因みにではあるが、2020年シーズンを終わっての坂本と堂上の成績を観てみると、

坂本 1785試合に出場 6852打数2003安打 打率292 本塁打242本       堂上 909試合に出場   1867打数421安打     打率225 本塁打29本

である。堂上もプロ野球選手として立派な成績ではあるが、振り返っても仕方ないがもしも阪神、巨人に入っていたら、今の坂本に匹敵する成績を残せたのではないか?という一抹の疑問がある。そこで2人の性格を占ってみたい。

堂上は金、坂本は水、中心星はお互いに比肩

前置きが長くなりすぎたが、本題の占いに入ることにしよう。

堂上直倫は1988年9月23日生まれ  彼の性格を表す日干は18庚(金の陰)              「デリケートで上品な人、少し線が細い。本物志向でどんな場面でもどんな人に対してもニュートラルに接する人」要約すると、大人な対応をする常識人、つらい顔を見せない、上品な人。                     彼の目標・生き方の指針を示す中心星は「比肩」頑固で負けず嫌いな比肩の人はスポーツ選手にはもってこい。プロスポーツには比肩の人が多い。    宿曜占星術で見た彼の宿命は「壁」曜日は「金曜日」生まれ、金曜日生まれの壁宿は「ズバリ正直者です。社会的な信用を得やすく上位の引き立てを受けやすい。本人はその恩を忘れず報いることを大切に思っています。心中に待望を持っていますが、汚い策などは一切使いません。災難は突発的にやってきます。成功しやすいのですが、性急にして短慮の一面がありますのでその点を気を付けたほうが良いでしょう」とあります。

坂本勇人は1988年12月14日生まれ、彼の性格を表す日干は40癸(水の陰)          「寂しがりやで仲間や家族を大切にする。清く正しく生きていくことで年を取るたびに人生は安定する」                     彼の目標・生き方の指針を示す中心星も「比肩」坂本はドラフト後に語っている「小学生時代から同じチームでプレーしてきた田中将大に自分はいつでもなんでも少し劣っていた。それが悔しくて絶対に追いつきたかった」と述べているが、こうした明確な目標意識が頑固で負けず嫌いな比肩の人を強くするのだろう。                           宿曜占術で観ると宿命はこれまた堂上と同じ「壁」曜日は「水曜日」、水曜日生まれの壁宿は「家族を守る人。利発で常識的です。リーダー運がありますので経営の才能もあります。ただしスケールはさほど大きくありません。名誉を喜ぶ人です。やや表情に暗さがあります。人情にはとても厚い人です」とあります。

あくまでも占いですが、両人とも非常にまじめで正直な人、中心星と宿命が同じというのも皮肉だろうか、わたしは敢えて第一回目の占いに堂上直倫を選んだかというと一昨日の交流戦で西武相手に4安打を放ったということもあり、ここから堂上の巻き返しを期待したいと思ったからだ。ここから坂本の記録を抜くのは難しいかもしれないが、占いで観た結果、彼は指導者、フロントでも十分活躍できると思う。                



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