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【「学校」をつくり直す】 書評#70

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、学校についてです!
なかなかに斬新で、挑戦的なタイトルですね!!

ヘッダーは、青山光一さんの作品を使わせていただきました!
今回の本は、子どもも含め、対話の中から新しい学校の姿を考えていこうと提案する側面がある本です。
普通の学校の様子だとこの本のイメージが伝わらないなぁと、検索キーを「対話」で探したところ、この画像がものすごくしっくりきました!!
しかもタグ付けが「イエナプラン」、完璧です!
ありがとうございます!!


基本情報

苫野一徳(著)
河出書房 出版
2019年3月20日 第1刷発行

全249ページ
読書所要期間14日

私が本書に出会うきっかけ

いつか必ず著者の本を読むことになるだろうと思っていたが、ついにこの度読むことになった。
いよいよきたか!という感じ。

学校における教育を考えるとき、色々調べると必ずこの方の名前が登場する。
この度、あまりにもインパクトの強いタイトルが目につき、「もう我慢できない」といった気持ちで本書の購入を決意した。

この本の本質

親も先生も、子どもたちが楽しく幸せに学校生活を送ってほしいと考えるのに、なぜか実態としてはなかなかそうならないという感覚を抱いている方も多いのではないだろうか。
この問題の本質を追求し解決していくため、つまりは、より良い学校にするための道筋を示そうとするものである。

決して、現在の学校や先生を批判するものではないと、著者は本書内で何度も申し添えているので、ここでも補記しておきたい。

私が感じたこと

1点目 〜システムの問題

本書は、全体で約250ページ。
冒頭の25ページ程、全体の約1割程度を読んだ段階ですでに明確になるのは、著者が教育というシステム全体に問題があると指摘しているということ。
150年間ほぼ変わらないシステムのまま、変わりゆく現代の子を育てようとする構図になっているためだと言う。

いじめ、体罰、指導・統率、ブラック校則、複雑化する人間関係、落ちこぼれ、吹きこぼれ などなど

この構図は、枚挙にいとまがないこれらの問題に通底する不具合だと言う。

だとすれば、このシステム/構図の問題は、障がい福祉の分野における『社会モデル』と一緒ではないか!

私は割と最近この『社会モデル』という考え方を知って衝撃を受けた。
障がいとは、その人の特性から生まれるという従来の発想から離れ、それらの方の特性を無視した障壁を社会の側がつくり出しているとする考え方である。

本書で例示される「落ちこぼれ」や「吹きこぼれ」は、まさにこのモデルの最も理解しやすい事例であると考えられる。
(注:決してこれらの方を障がいと捉えているのではない。あくまで社会側が勝手にレッテルを作り出し、これらの方々を社会の側が生み出しているという構図/システムが似ていると、私が個人的に感じたということ。)

学校の問題と福祉の問題が結びついたことが、今回私にとっての大きな発見であった。

2点目 〜「暑い」と感じること

みなさんは、普段の生活において失敗することはあるだろうか?
当然に、と言うと失礼かもしれないが、人間誰しもあることと思う。

一方で、学校の先生や学校で行われる授業等の活動はどうだろうか。
往々にして、世間や保護者などからの目を気にして、失敗させないように過ごしているというきらいはないだろうか。

私は子どもが4人いて、今全員が義務教育課程にあるため、そう感じる場面がこれまで全くなかったかといえば、必ずしもそうとは言い切れない。
どうしてもリスク回避してしまうと思う。
先生側の立場となれば、無理もない話である。
昨今どの学校職場においてもそうなのかもしれない。

しかし、学校とは、本来『生きる力』を養うことが目的のはずだと私は考えている。
この先の人生において、失敗は必ずある。
それをどう乗り越えるか、その力を身につけることを支援するのが家庭であり、学校であり、そして地域である気がする。

言い換えれば、失敗を起点として問題意識・課題意識が自ずと立ち上がり、これを解決しようと自ら進んで考えることが、その人の成長を後押しするのではないだろうか。
そしてその後押しをするのが、家庭・学校・地域であると考えている。
この三者の連携が、非常に重要だと言えるのではないだろうか。

今私の住む北海道では、例年にないくらい暑い日が続いている。
(注:これを実際に書いたのは9月3日)
北海道では、家にクーラーがあるのは一般的ではなく、我が家も御多分に洩れず設置されていない。
私以外の家族は皆、我が家へクーラーを導入したいと考えているが、私はこのことに関して反対の立場をとっている。

この暑くてストレスなく快適に暮らせないということを失敗と言って良いかわからないが、仮に失敗から発生した課題として捉えたとき、この課題に対して
「どうしたら少しでも快適に過ごせるか」
もっといえば、
「クーラー以外に解決の道はないのか」

これを考えることが学びだと私は考えている。

「なぜクーラーがあった方がいいのか」
も、クーラーが当たり前にあれば、そもそも考えないだろう。
暑くなれば、単純にクーラーを起動させ、涼しくするだけだろう。

何が言いたいかというと、失敗から生じる問題を問題として捉えて、解決しようと課題化し行動するというこの一連の『考える』プロセスが、この先の将来を、とりわけVUCAの厳しい時代を生きる上で非常に重要だと私は考えているということを伝えたかった。

私は『考える力』が養われるべき力ととらえて書いているが、著者はもっと別な表現をしている。
ある種、今流行りの言葉になりつつあるものであるが、それを想像し、ぜひ本書で答え合わせをしてみていただきたい。

むすびに(まとめ)

本書に通底するのは、
「みんなで対話し、考え抜くこと」
だと考えている。

本書を読んだからといって、現在抱えている学校現場における様々な課題が全て解決されるということでは決してない。
読む側も、これを踏まえて
「周囲の人々と議論し、ともに考え行動する」
ことが必要である。

ここには言うまでもなく、主人公である子どもの存在を欠くことはできない。

子どもを含めてみんなでともに考え続ければ、学校は必ずワクワクする場所になる!


以上です。

ワクワクは、おそらく学校だけではつくれません。
子どもたちだけでもつくれません。

家庭や地域の皆さんの総力を集結させなければ、きっと達成されません。「誰かが何かをやってくれる」
では、誰も何もやりません。

できる人が、できることを、できる範囲で。

これは、私のボランティア活動における基本的な考え方です。
無理なく楽しく、ワクワクする学校をみんなでつくっていきましょう!

そのワクワクは、「明日また行きたい」と子どもたちを学校に向かわせ、深く学び合う原動力だと思います。

ちょっと今回は長くなりましたが、本日も誠にありがとうございました!

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