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喜捨と日本人

私が参加していたウィーン大学のドイツ語コースには世界中ののムスリムが参加していた。私は概して素朴で人懐っこい彼らが好きで、よく行動を共にしていた。イスラームの重要な教義にジャカートというのがあり、喜捨と訳される。施しをして徳を積むということである。その一つの表れとして、富裕層の寄付による無料の食堂がある。ウィーンにもいくつかそういう食堂があり、苦学生や何となく節約したい人たちが集っていると友人たち聞かされていた。食事にありつけないまでも一度行ってみたいと思っていたところ、ある日の放課後、ラマダンの食事にムスリムみんなで行くがお前もどうだとトルコ人のユゼンチュに誘われたので、わくわくしながら土曜日を待った。

当日、最寄り駅でみんなと待ち合わせ、食堂へ向かう。ラマダンへの取り組み方は人それぞれで、かなり真剣に取り組んでいたらしいユゼンチュはラマダンが始まってからというもの、いつにも増してぼーっとしがちであり、ふらつきながらラマダンの愚痴を言うことしきりであった。

食堂につくと、あふれかえった人が外の道まで満たしていた。しかし一日何回か食事はふるまわれるらしく、あぶれることはないとのこと。10分ほどで我々も中に入り、食事を頂けることになった。銀の、浅く仕切られたお盆をもって列にならび、直接おかずやらご飯やらをよそっていく。その日のメニューはピラフ、パスタの入ったスープ、鶏肉と野菜が油をふんだんに用いてスパイシーに煮られたもの、スパゲッティのような麺、そしてバクラヴァのような甘味まであった。皆が膳を完成させ着席すると、爆音でスピーカーからアラビア語が流れ始めた。すると皆、それぞれにポーズをとる。
トルコ人のユゼンチュ、ハッサン、エムラ、バランは机に両肘をつき、手に塩か何かつまんでいるような形にして天に向け、なにやら経文のような文句を唱え始めた。イラク人のオスマンはコップの水を取り、額につけ、両掌で顔を覆うような形で同じく経を唱え始める。これは何か祈りをささげる時間なのではないかと察し、私も合唱していただきますと唱えることにした。10回ほどいただきますを言ったところで祈りの時間が終わったらしく、皆読経をやめたのでオスマンに聞くと、食事を用意してくれた寄付者と、神に感謝をささげていたという。

いただきます、もそう遠くない祈りであることに少し安心しつつ食事を始める。そして度肝を抜かれる。その時点でウィーンには4か月滞在しており、各種の名店と呼ばれる店にも足を運んでいた私であったが、そのどこよりもこの無料のジャカート食堂の飯がうまかったからである。私は怒涛の勢いで盆を平らげると、許されているとのことだったのでお代わりをした。あまりにもうまいのでかなり大量に持ったのだが、2分ほどでまた大音声のアラビア語が流れ始めた。するとみな食事の手を止め、祈り始める。非常に名残惜しかったが、ほかに思いつかなかったので合唱してごちそうさまと唱える。オスマンが、食事の終わりの挨拶だったんだよ、と教えてくれる。残念ながら私の読みは当たっていた。そして、みな残った大量の食事をゴミ箱に捨てる。時間がないからそうするしかないが、なんともったいないことか。制限時間を延ばしてほしかったが、そもそもムスリムでない身で乗り込んでいる私が波風立てるのもよくないと思い、ほかに倣ってゴミ箱に残飯を捨てる。

いや、これを残飯と呼ぶのは不当だ。スープから立ち上る湯気を見て沸き起こる義憤めいたものを感じ、自分が日本人であることを再認識することとなった。

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