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2020年コロナの旅24日目:古都クラクフ―女の子と俺と、時々アレックス―

2020/01/09

起床して朝食を取るべくダイニングキッチンに行くと、ラテン系の若い女性がパジャマ姿でコーヒーを飲んでいた。艶々した太い茶髪で、眉毛も濃い。

おはよう、と言ってスパゲッティをゆでる。なぜかポーランドのスパゲッティは茹で時間が劇的に短い。2分で茹で上がって、皿に盛り、ペストを絡めて朝ごはんの出来上がり。

食事用の机は一つしかないので、女性に座っていいか聞いてみた。

「もちろん!」

人懐っこい笑顔の女性と、何となく世間話をする。彼女の名はマリアと言い、スペインのマドリッド出身らしい。普段はワルシャワの大学で学んでいるが、冬休みでクラクフに遊びに来ているのだと言う。私は昨日のゲットーツアーが面白かったので、今日はより一般的なクラクフのメジャーな見どころ巡りをすることにした。話の流れで一応マリアも誘ったが、彼女はもうそのツアーには参加したことがあるとのことだった。彼女は今晩には宿を出るらしいので、もう会うことはないかもしれぬ。しかしこれもご縁なので連絡先だけ交換した。

12時からのツアーの待ち合わせ場所は、クラクフの旧市街の北側にあるシティーウォールの残骸の前であった。シティーウォールというのは、まあ市街壁とでも訳せるだろうか。欧州や中国、中東の中世都市に見られる、街を取り囲む外壁である。

昨日と同様に黄色い傘を持った小柄な中年女性の元に行き、軽く雑談をする。昨日ビッグトムにあったよ、というと、ああ彼ほんとにビッグよね、と言った。

所定の開始時間から10分ほどたって、フリーウォーキングについて女性ガイドが昨日のビッグトムと同じ口上をはじめる。トムよりもハキハキとしてしっかりした印象の人だ。

Brama Florianskaという名前のその市街壁の遺構は、もともと複数あった門のうちの生き残りらしい。門の真上には見張り櫓があり、塔のようになっている。この塔に、内側から見ると聖フロリアンというクラクフの守護聖人の鏝絵がしてあるので、「フロリアン門」と呼ばれているらしい。共産主義時代に、「城壁なんて旧時代的なものぶっ壊せ!」という機運が高まりこのフロリアン門も含めて全て破壊される予定だったらしいが、1300年ごろに築かれた城壁の歴史的価値と美観に与える効果を惜しんだある学者の抗議によってなんとかこの守護聖人を祀る門だけは守られた。

内側から見たフロリアン門

その、抗議の仕方というのが面白い。最初、その学者は必死に市街壁の歴史的価値や美しさを説いた。しかし、街の人々は聞く耳を持たない。むしろ豊かな歴史を持つことこそ、旧時代の遺物である証左ではないか。

学者は精魂尽き果てる直前で、起死回生を狙って切り口を変えて最後の説得を試みた。

「クラクフ市民諸君、あなた方の意向はよくわかった。この美しい市街壁も、あなた方の目には旧時代の、旧弊の象徴としてしか映っていない。結構である。勝手にしたまえ。市街壁でもなんでも壊してしまえ!…しかしながら諸君、諸君らは一つ見落としていることがあるのではないだろうか。我らが愛するこのクラクフには冬の北風という名物があることを!この北風は例年我々市民を骨の髄まで寒からしめることは周知のところであるが、しかしこの市街壁、分けても市域の北面に位置するこのフロリアン門は実に数世紀にわたってクラクフの街を北風の直撃から守ってきた。もしもこの北の守りがなくなってしまったら、恐ろしいことが起こる…」

ガイドの迫真の演技がここで少し途切れる。北風がもたらす「恐ろしいこと」とは何なのか…ツアー参加者たちはかたずをのんでその答えを待つ。

「諸君、あさましきことに、北風は我らがクラクフの街を行く淑女のスカートの裾を煽り上げ、ああ、げに恐ろしきかな、その猛威は…口にすることも憚られるのでありますが…淑女諸君の…あ、足首を、然り、足首をも露出せしめるに違いないのだ!」

夏になればタンクトップにホットパンツも当たり前どころか河原で全裸の人々も散見される現代欧州においてはもはやお笑い種のような話だが、当時のクラクフ市民はこれを聞いて恐慌をきたし、ぜひともフロリアン門だけは残さねばならないということは自明の事項のごとく迅速に取り決められたと言う。

時代の変遷を感じさせられる挿話から始まったツアーは、いよいよフロリアン門をくぐって旧市域に入る。

聖フロリアンは消防団を組織したことで防火の聖人とされているらしい。壁の内側から見ると、鏝絵のフロリアンは水がめのようなものを持っている。

通りをぞろぞろ歩いていくと、古めかしいクラクフの街並みの中でもひときわ古色豊かで美しい建物群が姿を現す。ヤゲウォ―大学である。キャンパスの中に入る。ヨーロッパの建物は中庭が良い。建物に四角く囲まれた中にちょっとした石畳の空間があり、中央には彫刻をあしらった噴水が置かれている。

この、コートヤードとでもいうのだろうか、囲まれた中庭様の空間に立って上を見上げると、屋根の四隅から雨樋が突き出している。ガイドによると、建築用語でそれらは”puker”というらしい。「げろ吐き」とでも訳しておこう。確かによく見ると、それぞれの雨樋の先端、水が「吐きだされる」部分には竜の顔のような細工がされている。

ヤゲロー大学を出て、再三訪れている中央広場にまたやってくる。ここでも興味深い話があった。ガイドは我々を、広場の一角にある一見何の変哲もない教会へと誘った。

一見地味な教会

「これクラクフで一番古い教会なんだけど、入り口が何で半地下にあるか分かる人はいるかしら。実はね、この教会が地下にあるんじゃなくて、広場の地面の高さが上がってきた結果なんです。なんでそういう風になっているかというと、当時はまだ石畳も無くて土の広場だったんですが、ある時路上にゴミが貯まり過ぎまして、これは掃除するのも面倒だということでその上からさらに土をおっかぶせたんですね。それがなかなかうまく行ったので、それを踏襲してゴミが貯まるたびに広場全体を埋め立てるということを繰り返し、ついには現在の高さになったわけなんです。ですから、このクラクフの広場を掘り返すと昔のゴミが今でも発掘されるんです。それが考古学的に価値があるらしくて…面白い歴史の因果ね。ヨーロッパの都市には同じような埋め立てを行ってきたところが少なからずあるので、旅行しながら古そうな建物を見かけたら入り口の高さに注目してみてね。」

この後訪れた都市を思い返してみても、確かにブルガリアのソフィアなんかは古代ローマの地層、中世の地層、共産主義時代の地層と、歴史の積み重なりが目に見えるようで面白かった。

さて次はクラクフの古城、ヴァヴェル城に参る。この城も、ヤゲウォー大学も、「カジミェシュ大王」と呼ばれるカジミェシュ3世が作らせたものである。昨日ウォーキングツアーで歩き回ったカジミェシュの名前の由来となった人物でもある。農民やユダヤ人など当時の弱者を厚く保護してクラクフならびにポーランドの繁栄を築いた賢王で、「カジミェシュ農民王」と呼ばれたり、「木造のポーランドにあらわれてレンガ造りのポーランドを残して去った」とも評されているらしい。

ヴァヴェル城はそんな賢君に始まる歴史を持つ訳であるが、第二次世界大戦中にはポーランドにおけるナチスの戦略本部が置かれた場所としても知られている。というか、ヴァヴェル城ならびにクラクフの街に中世の街並みが完全に残されているのはここにナチスが本部を置いたからだそうだ。その間ナチスの兵士たちが城壁に射撃をして遊んでいたらしく、城壁だけは補修の必要があった。多くの市民が寄付に協力し、寄付者の名前を現在城壁の名前入りレンガに見ることができる。神社の玉垣みたいだ。

クラクフの玉垣

ヴァヴェル城を簡単に見学して、ツアーは終わった。今回は、懐具合と相談してお金は払わないことにした。

昨日知り合ったアレックスと晩御飯を食べに出ることになっていたのだが、半端に時間が余っていたので一度宿に戻ることにした。帰ってみると、私のベッドの枕元に紙切れが置いてある。ひらって見てみると、マリアからのメッセージだった。彼女は宿を去ったらしい。

マリアからの置手紙。嬉しかった。

旧市街の巨大な頭のところでアレックスと待ち合わせ、どの店に入るか思案を始める。彼は自分で建設会社を持っているだけあって、金に糸目をつけようとしない。というか、イギリス人の彼にとって、ポーランドの外食の相場はあまりにも安く、金銭感覚がマヒしているようだった。私は物価が安い国に行っても、だからと言って過剰な浪費はしないことにしている。「この食事1000円…でも日本で食べたら5000円はしそうだし良いか!」とはならないように。5分の1の物価の国なら、5分の1か、贅沢しても3分の1くらいの出費に抑える。

巨大な頭

しかしイギリス人よりもさらに消極的な日本人である私は「安いとこがいいかなあ…あ、でも全然どこでもいいよ」と相手の察しに懸けたあいまいな抵抗しかできず、結局我々はクラクフの旧市街の広場にある最も観光客向けの高価な店に入ることになった。

全面ガラス張りの店内に煌めくガスストーブがまばゆい。むさくるしい男二人で入るには少し洒落すぎているようにも思われる。アレックスは礼儀正しく教養があって男らしい好漢なのだが、その状況に私は少し気まずさを感じて随分一人でしゃべってしまった。

「ずいぶん洒落てるな。値段もちょっとするみたいだけど(まだ言ってる)。写真でも撮ってもらおうか。折角高い店に来たんだから。なんだかちょっと気まずいな、カップルかなにかみたいで…」

カップルという言葉を口にしたところで、いよいよ私の多弁、というか落ち着きのなさを妙な意味にとられては嫌だと思ったので、夜から会う予定になっている女性のことを話した。シリア人の女性で、ヤゲウォー大学に学ぶ才媛らしい。アレックスは、「そいつはいいな。しかしポーランドでシリアの人とは珍しい。お前なかなかやるな」というような賛辞を贈った。

私は臓物の煮込みを頼み、アレックスは具の多いサラダのようなものを頼む。どちらもなかなかうまい。

臓物の煮込み
サラダと入れ墨の英国紳士

食事を終え、900円ばかり払って店を出た。アレックスと、日本かイギリスか、あるいはまたどこぞの旅の天地でまた会おう、と言って分かれる。

ミライという名のシリア人の女性とは、やはり広場の巨大な頭のところで待ち合わせをする。

巨大な頭

とっぷり日も暮れて随分寒かったのでミライが好きだというココア屋さんにいくことにした。行って見るとカーシャが勧めていた店であった。店内は洒落ている。

ミライは感じの良い女性だった。我々はお互いの国の話などする。彼女はシリア正教徒、すなわちキリスト教徒なので、服装など普通のヨーロッパの人と変わらない。目も明るいグレーで、髪は黒いが地毛はブロンドなのを染めていると言う。もっとも、昔の写真を見せてもらったがブロンドというよりはブルネットのように見えた。私の髪のように漆黒ではないが、ブロンドとは言い難いのではないか。それでも、「シリアではこれくらい地毛が明るかったらブロンドって言われるんだよ」とのことだった。もう少し話したかったのだが、店じまいで外に出る。家に招きたいところだけど兄弟たちがシリアから遊びに来ているので難しいと言われ、あっさりと解散。私としても、彼女とはぼんやりとした友達程度の関係がよさそうだと感じていた。

寒風の中、コートの襟を立てて家路につく。


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