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fictional diary#18 魔除けの鏡

宿からお気に入りの喫茶店に行く道の途中に、庭に黄色の花が咲いている小さな家があって、毎日その花を眺めながら歩いていくのが楽しみだった。その家の玄関の、扉のすぐ上には小さな丸い鏡が取りつけられていて、晴れた日には道行く人の目を眩ませるくらいに太陽の光を反射していた。鳥よけなのかと思ったけど、この辺りには庭の害になりそうな大きな鳥はほとんどいない。せいぜい小さなスズメや、ウグイスに似た薄緑色の小鳥が、枝から枝へ飛び移って木の実を食べているくらいだ。なんで玄関に鏡があるのか、その理由を喫茶店の店員のお兄さんに聞いてみた。そうすると、ああ、魔除けだよ、とあっさりした返事が返ってきた。どういうこと?と聞くと、すこし待ってて、と言い残して、彼は手に乗っていたトレイの上の飲み物を店のなかのお客さんに配り、それからこちらに来てわたしのテーブルの席に腰掛けた。あの家に住んでいる人、見たことあるかい、と聞くのでわたしはないと答えた。あそこには老夫婦が住んでいるんだけど、ふたりとも太平洋の小さい島から来た少数民族なんだ。でも見た目にはわからない。もう何十年もここに住んでいるし、家も、服装も、言葉もぜんぶこっちに馴染んでいるから。まったく予想しなかった話の展開に、わたしはおざなりに相槌をうつしかなくなってしまった。ここら辺の住民も、最初のころは文句を言ったりしたらしいんだ。まぶしいからやめてくれって。でも何を言ってもだめだった。あの鏡だけはね、どうしても譲れないらしい。お兄さんは真剣な顔で、身をのりだしてその話をした。なにか重大な秘密を告げているような口ぶりだった。ドアを勢いよく開けて、店に新しいお客さんが入ってきた。お兄さんはわたしの肩にちょっと手をかけて微笑み、それからテーブルを離れてお客さんのほうへ歩いていった。わたしは、なんで玄関に鏡を置くのが魔除けになるのかな、とぼんやり考えながら、さっき注文した熱いお茶を飲んだ。喫茶店からの帰り道、またその家の前を通った。老夫婦が出てこないか、窓から姿が見えないかと道から覗きこんでみたけれど、中に人がいるのかいないのかもよくわからなかった。そうやってしばらく立っていると、ふと雲の隙間から太陽の光が差しこんで、町を照らした。鏡から反射する光がわたしの目を刺し、まるでその小さな家ぜんぶが、光のベールにすっぽり覆われているように見えた。


Fictional Diary..... in企画(あいえぬきかく)主宰、藍屋奈々子の空想旅行記。ほんものの写真と、ほんとうじゃないかもしれない思い出。