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趣味は「映画と読書と音楽」と言っても良いですか? vol.149 読書 沢木耕太郎「深夜特急5 ートルコ・ギリシャ・地中海」

こんにちは、カメラマンの稲垣です。

今日は読書 沢木耕太郎さんの「深夜特急5 ートルコ・ギリシャ・地中海」についてです。

この深夜特急もついにアジアを超えヨーロッパに。

今までのアジアの熱気でワクワクしていた文章も、次第に内省的になり、
旅の終わりを感じさせる様に。

沢木さんの肉体的な疲労もあるでしょうが、国が成熟するにつれ、旅人の感じるエキサイティングさが薄くなってしまう。

国も変わっていき、沢木さんの心情も変化していく。

今までの中国、東南アジア、インド、は熱にうなされるようにワクワクしたが、

今回トルコ、ギリシャは寂しさが漂う。

けど嫌な寂しさじゃないんです。

ギリシャの遺跡を見て「滅びるものは滅びるに任せておけばいい」という、

人間が歳をとる、歳をとるのを受け入れる、ような感覚。

国が成熟すると言うことは、熱が冷めていくのを、受け入れてしまったことになるのでしょうか。

たった数年の旅で、そんな人生観を得れるなんてやはり沢木さんの「深夜特急」は特別の旅行記ですね。

その国の楽しかったことだけでなく、割と自分の旅について考えていることが多い巻でした。

P.18
車内灯に照らされてぼんやり映る自分の顔を見ているうちに、胸の奥に小さな痛みが走った。だが、私はそれについて考えないことにして、その向こうの闇を見つづけた。

P.61 
ほぼ六時間も呆然と窓の外を眺めていたらしい。いや、外は闇だったから、眺めていたのは私の心の奥だったかもしれない

P.94
本当は旅は人生に似ているのだ。どちらも何かを失うことなしに前に進ことはできない。

P.122
まだ、旅は終われない。なぜなら、私の心の底で旅の終わりを深く納得するものがないからだ。

P.130
それはこれまでどのような局面でも切り抜けてこられた自信が支えている判断でもあっただろう。しかし一方で、私は自分の深いところで腐りかけているものがあるのを感じていた。

P.157
自分が何となく物足りなく感じていることが不思議だった。これまでと何かが違っている。具体的には何がどう違っているのかは明瞭ではないが、違っていると言う感じは眠りにつくまで消えなかった。



沢木さんの心の葛藤を読めるのがとても印象的。


物語(ノンフィクションなので物語というか体験記)は、アンカラで一人のトルコ人女性を尋ね、イスタンブールで熊をけしかけられ、ギリシャで廃墟で老人と出会い、見知らぬ人にパーティーに誘われ、フェリーから地中海を見て旅の終わりを感じる。

毎回あまり有名な観光地へ行かず、ただ街を歩くところが好きだが、ギリシャの廃墟での老人との会話がまた良い。

自分が旅するのは美しい景色を見るためではない、その老人はテレビも新刊本も必要ない、しかし彼もまた人だけは必要としていたのではなかったのか、”彼もまた”

そう沢木さんも人との出会いのために旅をしていたのかも。

人との出会い、自分自身との出会い。

そんな沢木さんですが、割と女性に関しては奥ゆかしい、もしかして書いていないだけかもしれませんがw

トルコで会った美術家にイスタンブールで困ったら弟子であるこの女性に連絡しなさいと言われる。「でも、気をつけてね。とても美しい人だから」
沢木さんは連絡を取らなかった。
P.124
しかし私はついに連絡を取らなかった。そして、私は自分にこう慰めていた。
心に残しておけばいつかまたここに来られるかもしれないのだから、と。

素敵すぎる!

今日はここまで。






彼らがその道の途中で見たいものがあるとすれば、仏塔でもモスクでもなく、恐らくそれは自分自身であるはずです。
P.227「深夜特急5 ートルコ・ギリシャ・地中海」より



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