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何もなくて豊かな島カオハガンで何を学んできたのか

1年半前の2月、僕は地元の人材育成事業でフィリピン-カオハガン島に居た。3泊5日の割とコミコミのスケジュールで、”世界一住みたい”と言われるカオハガン島の暮らしを見てきた。

目的は、「貧しい中で自然豊かな暮らしに誇りを持っている人たちを間近に感じ、僕らの村の将来を考える」ためだった。

カオハガン視察の個人的な目的

カオハガン島は1990年代に日本人の崎山さんが個人で購入し、その島に違法に暮らしていた現地の人たちを追い出すことなく共生してきた歴史がある。当時は、海のものを採って食べるという「その日暮らし」を絵に描いたような暮らしだったようだ。

この島が「世界一住みたい」と言われる所以は、どこにあるのだろう?本やネットの情報で入ってくる「豊かな暮らし」の実際はどんなだろう?そんな思いを胸に、10人のチームが派遣された。(と言っても、この事業はある若者の2年越しのアイデアが実った「自分たちで考えた企画」だった)

「幸せ」というワードに何か引っかかるものを感じていた僕は、カオハガンの暮らしと僕らの地元の共通点は見い出したい、という気持ちで現地の暮らしから自然との関り方を学ぶつもりだった。僕らの地元:泰阜村も自然は豊かだ。豊かすぎるくらいだ。

カオハガンの暮らしは変わっていた

'95年に崎山さんが書かれた本を頼りにカオハガンへ行ったわけではなく、当時本に書かれた暮らしが今も行われているとは思わなかったけど、本やネットの情報で想像した以上にカオハガンは変わっていた。

子どもたちはiPhoneを持ち、TVや冷蔵庫がある家が増えたという。「豊か」の方向性が、まるで戦後の日本のようだ。社会の変化に合わせて生活様式が変わるのは世界共通ということなのだろう。ニートが居るというのも衝撃を受けつつ、なんだか納得だった。自分の地元を見ているようだ。

ではこのような変化で、豊かさが無くなったか?と言われるとそんなことはなく、釣り(漁)をして得た魚を食べたり売ったりする暮らしは今もあった。無いものは自分たちで作り、島全体で助け合い、自然の恵みに感謝する風土は今も島全体を覆っていた。

そこに貨幣文化が入ってきて、「欲しいものは作る」から「欲しいものは買う」という選択肢が増えたんだろう。

世界中から注目されるようになり観光客が増え、観光を生業にする島民も増えた。

崎山さんとのセッションの中で印象に残っていた言葉は「テクノロジーの進化は必ずしも人を幸せに(豊かに)しないんじゃないか」という言葉。iPhone片手にニートを決め込む島の若者を見ると、重い言葉だった。

僕はテクノロジーに関しては盲信しているタイプで、田舎を救う手立ての一つになりうると考えている。5Gがスタンダードになり、日本の(世界の)どこに居ても仕事ができる可能性が広がる。そうなったときに、田舎は選ばれやすいんじゃないか。そんな漠然とした希望があった。だからテクノロジーは地方の助けになる、と。

崎山さんには、

”豊かさと便利”は必ずしも同じじゃないんだよ

そう言われた気がする。

カオハガンで起こっていることは僕らの地元でも起こるし、僕らの国で起こったことの一部はカオハガンでも起こるだろう。いいことも悪いことも。

カオハガンの人々は今の暮らしに誇りを持っていた

外食文化・貨幣文化が入ってきたことで健康やニートの問題は出てきているにせよ、島民の方との対話の中では「自分は幸せ」だという言葉がよく出てきた。というより「なんでそんなこと聞くの?当然じゃない」というニュアンスだった。僕らが毎度のように「幸せか?」と聞くのを半ば「またその質問?」といった感じで(でも優しく)答えてくれた。

彼ら・彼女らに、自らの暮らしに自信を持たせたのは世界中の評価だという話を聞いた。「普段の自分たちのその日暮らしの生活」に憧れ、世界中から視察や体験に来るからだ。”それこそが幸せな生き方だ”と。

そこで初めて、自分たちの暮らしの価値に気付いたんだろうな。

カオハガンの暮らしを見て学んだこと

カオハガンの人々の暮らしを体験し、日本に帰ってきた僕が心にとどめたキーワードは「つながり」「自然の恵み」「地元の価値」だった。

カオハガンの人々のつながりは強烈だった。ごはん時に、隣の家の子が食器をもって来てても普通にごはんをあげるという。昔の日本にもあったんだろうな、こういう風景。

日本の田舎にも「組」や「区」といったコミュニティはあるが、そういう文化も煙たがられ、ずいぶんご近所の関係性が薄まってきている。都会の人から見たら、ご近所づきあい、はありがたいものではなく”縛り”に見えるだろう。田舎移住のネックになるのもうなづける。

ただ、人のつながりが希薄になると地域としての価値そのものも薄まる気がする。地域行事等で元気すぎる地域には僕も住みたくないが、「地区で生まれた子供は地区の皆で育てる」くらいの風土が若干残る今の泰阜村は心地いい。子供がマイ食器をもって近所に行っても、たぶんご飯くれるんじゃないかな(笑)

自然の恵みや人のつながりの意味にいくら気づけたとしても、今の僕らはテクノロジーも、資本がベースの暮らし方も捨てることはできないだろう。それらを捨てれば日本ではまさに世捨て人だ。

ここで二分法的な考え方になってしまうと、カオハガンが〇、僕らの暮らしは×になってしまう。そうではなく、カオハガンで学んだ「自然の恵みに感謝する暮らし」を取り入れ、今幸せを感じているものも残さなきゃいけないと思う。

僕らが本気で取り組めば、単純に昔の暮らしに戻るのではなく、豊かさや地元の価値に、ここに住む皆が気づける暮らしを提案してくことができるはずだ。

僕らの地元の価値、しっかり言語化して発信していきたいな。それが僕が考える地元ブランディングだから。

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