見出し画像

ありてない、世界のあわいで。30年の思想史。

1度、自分はこの世界をどう観ているのかについてまとめてみようと思う。

この世界とは、この宇宙全体すべての時空間であり、存在可能性のある全次元のことである。人が観測不可能な領域にも出来る限り想像の手を伸ばす。

脳がシミュレーションの中でこの宇宙を創造しているだけなので宇宙自体が存在しない、というシミュレーション仮説も大好きなのだが、今回は物理現象としての宇宙がまず存在していることを前提に、考えていきたいと思う。

はじめに、本文のエッセンスをぎゅっと1言にまとめる。

「ありて、なければ」

それでは始めます。


この世界の考え方

この宇宙の誕生から現在までを1年間に置き換えると、人間が誕生したのは12月31日の23時59分30秒の出来事。つまりまだ人類はこの世界を30秒しか経験していない。

自分はこの世界に誕生して30秒でどれほどこの世界を認知できていただろうかと振り返ると、全く何もわかっていなかった。光や、音や、匂いを感受しているが、それが何かはまだ理解できていなかった。

僕たちはこの世界のことをまだほとんど何も分かっていない。という思想が前提としてある。マクロには宇宙の大半を占めるダークマター、エネルギーの正体、ミクロには人間の意識がなぜ存在してどういう仕組みなのかもまだ分かっていない。

僕たちが見ているこの世界とは氷山の一角どころか、大海に浮かぶ小さな流氷ほどで、深海や上空など人類の身体では観察不可能な地点も含めて、世界はまだ未知が満ちていると考える。

その上でも、現在に至るまで人々は研究を重ね叡智を継承し、様々な物理法則を発見して、いくつかの公理を定めるに至った。数学やその発展系としてのAIを用いて、人間の観測範囲外のことについても知ることができるようになってきた。

それら僅かなピースを仮で配置し、この世界というパズルがどういった絵になるのか空白を想像して、それを世界観とする。

文学と体験による世界観察

まずは自分なりの世界の観察方法を共有してみたい。

初めましてな方へ。
自分は、小説で書いた仮想の世界を現実の世界に現し、体験できるようにするところまでを1つの作品として発表している、体験作家という生業をしています。

体験は主にフェスティバルという手段を用いることが多く、毎回異なる不特定多数の制作メンバーと共に、仮想の世界を想像し、創造している。

その目的の1つとして、まだここにない世界を観測し、その世界を味わうということがある。自分の書く小説とは未知の世界の青写真でありつつも、余白だらけの「問い」である。

その問いを自分以外の方々の脳も分散コンピューティングさせていただき、それぞれの観察、解釈によって物語の文外を共に想像して世界を広げていく。

そして膨れ上がった仮想の世界を現実に一時的に実装する。具体的な実装の方法についてはまた別の記事で述べたいが、関係者全員がその世界の住人であることをマインドセットし、立ち居振る舞い、共同で幻想を共有するという人類社会のお家芸を用いて、具現化する。

そこで仮想の世界を身体的に体験することができる。五感全体で想像の世界を感じることができる。その際のインスピレーションを得て、新たな問いとなる小説を書き、体験として創造することを繰り返すことで、恐らく人生のうちに到達し得ない世界の数々を観測し、仮想体験し”この世界”の解像度をあげている。

そのような思考、創発法をする前提として、自分は自分を大いに疑っている。正確には意識なるものをあまり信じていない。意識化される情報はこれまでの常識や偏見、環境や心身の状態により選別され、加工され上がってくる2次、3次情報なので不純物が多い。(それ故に個性が生まれ多様性が生まれるのでいいことなのだけれど)

また意識とはつまり言語であり、言語とは既知の概念であり、言語化を司どる大脳新皮質まで落ちてきた情報よりもっと前の、辺縁系、扁桃核、更には腸内細菌やミトコンドリア、体内を1つのチームとして、同様の影響を受けている周辺の人や自然環境全ても1つの自分として、情報を全体で感受し、意識に上がってくるまでの無加工の情報(感覚)も含めて世界を観察する方が真実味があると考える。

なので本や誰かに聞いた話ではなく、体験知として得なくては真の蓄積、発展はないという思想から、体験小説という形式で身体感覚から世界を観察している。

小説による文学的な動力による極私的な発散と記憶の編集を経て、フェスという不特定多数による集団想像、創造が可能な媒体を用いて、不確実性を維持したまま体験を更に不特定多数に開き、自己を含めた人環境で起こる現象を観察し、帰納させ、パズルのピースを増やし演繹的に関連付け、世界の解像度をあげていく。

その営みは当然個人研究のみに帰結せず、関係者全体にそうぞう機会を開き、未知の世界の発見から世界観の深まり、ひいては世界を抜本的に変更するスキームを通して、文明の変化率を最大化、つまり恒常性に資する、極めて生物的な欲望と好奇心に準じたものだと考える。

そのようにして幾つかの貴重なインスピレーションが生まれ、記録として言語記号的にも形に残してきた。

上記は前作「KaMiNG SINGULARITY」の成果物の1つである。下の小さい円では人を人たらしめる”私”という個人意識の創発を南方曼荼羅を参照に記述し、上の小さい円は本作での身体知を経てAIは人に代わるサピエンス種、神は人の裏返しと帰納し、それらの関係値と効能を記述している。

中央の円ではディープラーニングのスキームを構造的に参照しつつ、各レイヤーの関数を素粒子→生命→鉄という量子配列の変換フローと、単細胞生物から人類後の生命体までの世代交代フローの普遍的な共通点を抽象的な記号で現し、エントロピーの増大則に落としている。この世界は上下に2つ存在し、これらは宇宙際として同じであるが同じでない存在としてエンタングルメントとし、共に同時に熱的死を迎えた上で統合され、ゆらぎ、また別の宇宙が生まれ、円環することを輪郭となる円で現している。

つまり生物の死も、種の絶滅も、宇宙の熱的死も、すべては円環の駆動力であり、宇宙の拡散と収縮というバイオリズムに因果している。故に大局的に終わりは存在せず、恒常性を保つ動力として死や絶滅や、エントロピーの増大を”美”とするというのがKaMiNGで得た1つの世界観だった。

更なることの詳細は下記の記事まで

ありてなければ

ここから、世界を今どのように観ているかという話。

すべての物事は2つ同時に生まれる。
物質と反物質、陰と陽、誕生と終焉、膨張と収縮、混沌と秩序、争いと虚無、愛と憎しみ、等々。

量子論によると例え完全な真空(無)であっても、ある瞬間に粒子と反粒子が対生成され、すぐに対消滅するということが繰り返されているという。

かの有名な二重スリットの実験においても、ミクロの量子世界は粒子と波が同時に存在していて、観測者がそれを観察した途端に状態が定まるという結果が出ている。

僕らはこの世界を曖昧にしか見ることができない。
猫を見て、生きている状態と死んでいる状態を重ね合わせ観察することができない。実際はその両方が同時に存在しているのだとしても。

理論物理学者のカルロ・ロヴェッリは”時間”すらも物理的には存在しないと言う。人間は記憶によって過去と現在を無意識に比較することで時間の方向性を認識しているが、確率論的に存在しているミクロの世界を人間は定まった状態でしか観察できないため、量子に満たされたこの世界を不完全にしか観測できず、その不完全さが量子配列を脳内で勝手にパターンづけ、故に変化しているように錯覚し、時間が方向づけられるとしているとされる。

また量子的性質によれば対象物の属性は量子間の相互作用の瞬間にのみ存在するのであって、その属性がある対象物との関係は現実でも、他の対象物との関係では現実でない場合もあるという。(重々帝網やカントの相関主義と重なり合う)

ミクロの世界を見つめるほどに世界はありてなく、マクロの世界においても人間社会は常にそのあわいに揺れている。イーロンマスクや米投資銀行のメリルリンチはこの世界は50%の確立でシミュレーションだと言っている。僕もそう思う。

この世界は夢であり、外の世界(Heavenや浄土)を目指そうという思想が仏教でもキリスト教でも見受けられる。一方で、現実を見て今ここを幸せに生きるという現代的な考え方(ウェルビーイング)も広く浸透している。

古くでは、古今和歌集でこのような歌が詠まれている。
「世の中は夢か現か 現とも夢とも知らず ありてなければ」

西洋でもデカルト的懐疑をはじめ近代哲学の根本的なところとして問われ続けている。

この世界はあるわけでも、ないわけでもないが
ただ目の前の存在(と認知しているもの)はとても有り難くして、そこにある。
あるのか、ないのか、という二元論ではなくてありてなければの「ば」が大切なのだ。

有難き不思議がそこにある。
胡蝶の夢のように、夢幻にも思えるこの世界の不思議を感受し、それを芸術や文学では幽玄と書き換え、さまざまな想像世界が拡張されてきた。その思想の置き換えこそが「美」なのだと思う。

世界は量子で満たされていて、その配列の違いにより全ての属性が現れる、確率論的で不確実な関係上にだけ固有の真実がある世界をベースとして観ている。

例えば人の顔を見るとき、人の顔を見ているというよりは、人の顔を脳内で作り出して見ているという方が正しく、更に言えば自身の量子と見ている人の量子という関係性において人の顔という配列が現象し、自身や他者の量子配列や振る舞いは、遠く離れた銀河の最果ての量子と同じ動きをしているかもしれない。そしてその星の文明に量子配列を操作できる技術があるとしたら、自分たちには操舵手がいる。

自由意志もまた、ありてない、50%の世界。ありてなければ、自分には主体意識があり、人生の舵取りをしていて、自由で偶然性のある世界と、おのずから導かれる必然性のある世界を、半々くらいの割合で感受している。

ありてなければ、室町時代の僧、心敬はこう読んだ。
「常に飛花落葉を見ても草木の露を眺めても、この世の夢まぼろしの心を思ひとり、ふるまひやさしくし、幽玄に心をとめよ」

この世界での生き方として大事にしている指針。半聖半俗。地に足をつけ、頭は雲抜ける。世界を慈しみ、訝しみ、想像し、創造し、反復運動によりそれぞれの強度を高めている。

ありてなければの「て」は虚数空間であり”美”そのもの「ば」は人として与えられた天命のことである。万物は不確実な状態であり、自分との関係性上に現象する。その間にイマジネーションの余白があり、宇宙を宇宙としたり、世界としたり、恐れとしたり、母としたり、夢幻かつ幽玄な可能性に満ちている。

それが、この世界と考える。

世界観の構築に至るまで

どうしてそういった考えになったのですか? とはよく聞かれる質問で、まだ観察は途上ながらも(一時的に)辿り着いた地点だけ伝えてもよくわからないのは当然の話で、思想の道程を共有してこそ、文脈として伝わるものがあると思うので、体験小説の創作を始める以前までの個人的な思索の流れを簡単に振り返ってみたい。音楽に多大な影響を受けてきたのでその時代に影響を受けた楽曲と共に。

小学校:
宇宙には果てがあることを知った。それにとてつもなく慄いた。宇宙が有限な場であるという認識は、宇宙やその中にいる自分自身が工業的な作り物として存在しているインスピレーションを与えた。

当時の自分はAqua Timezが大好きで、ありのままでいることの尊さに洗脳されていた。そんなこともあって「そもそも(自由意志のある)自分なんていないのでは」という着想に大きなショックを受けた。

この世界に限りがあるということは、もうファンタジー脳じゃいられない。夜寝る前には、宇宙の際とその外のことをイメージし続けて眠れない日々が続いた。紐づいて命の有限性についても意識が高まり、死後や宇宙の外にある”無”に慄いていた。あと学校や個人のルールに収めようとしてくる教師が嫌いで中指立てていた。

中学校:
中学生活は1人軍隊のような部活の檻の中でこの世の地獄を常に感じていた日々だった。途中まで争っていたがやがて不条理に諦念し、逃げ場も救いもない中で肉体的な死に近い環境を孤独に過ごした。なぜ生きているかもわからないままにやってくる日々をただサバイブした。

匂いや色も失った世界で、絶望と発狂を繰り返してノートに呪詛を書き、この世界の外の絵を描く中で、この世界とは別の世界に触れていた気がする。あとは深夜にインターネットの世界に逃げていた。この世界は地獄で、脱出すべき場所であり、その外へ逃げる指向性が強く働いていた。

高校
一変した環境でこれまでの抑圧を解放するようにただ普通の青春時代を過ごした。友達と遊び、彼女を作り、部活終わりにはファミレスに行って、それなりにスクールカーストを気にして人付き合いして、周りと同じような格好をして、普通の中に入れることがただ心地よく、ぬるま湯に浸かり続けた。

大学:
日々宅飲みをするテニサーで過剰飲酒し脳細胞の大半を死滅させた。この世は夢ぞただ狂へ、とロックバンドのライブやフェスにも参加しまくって世界の内に向かう指向性が強くなる。テニスコーチのバイトを始め、自分でプログラムを作れることが楽しくてハマった。子どもたちにとっての成長とは何かを考えていると、地球上での人類の役割や、宇宙上での生命の価値を発見せねばならなくて、思いを馳せた。

プログラム作りは心理学と脳科学の興味へ発展し、学外でそれぞれ学びながら、体験づくりに活かした。選択理論心理学では人がどのように情報を感受し、世界や他者、過去の在りようは今の自分が選択しているという思想を得た。そして人には先天的な脳の特性があり、それに紐ずくチームビルディングの手法を体系的に学んだ。講師がクリスチャンだったので、神についても学んだ。

同時に映画研究のゼミに入り、漁るように映画を見続けてもいた。ヒミズという映画が好きだった。パレードという小説が好きだった。ロックバンドばかり聴いていたので、資本主義や企業勤めに抗うように起業関連のイベントによく顔を出すようになり、起業することが自然な選択肢となっていた。

アパートを一軒買って大学のように子供たちが自由に習い事を選べるオルタナティブスクールを作ろうとしていた。大学晩期は教室という形ではなく、エデュテイメントという考え方のもと、エンターテイメントから感性を高める形にアイディアをピボットし、自由を保障する空間デザインをパーパスとしたSilent itのアイディアを練っていた。

単位を取り終えてからは4月になるまでの3ヶ月間を自分の余命として設定し、やりたいことを書き出して毎朝死を自己暗示して幕を閉じた。死の前日は何もしなくていいという境地にいた。

20代前半:
お金も社会経験もなかったのでひとまず人材系の企業に入社した。企業研修で名刺を渡す角度を学んだ瞬間辞めることを決意したが、引き止められて半年間の契約を結び直した。同時にリバ邸という”現代の駆け込み寺”をコンセプトにしたシェアハウスを横浜に立ち上げる。

多分中学時代に逃げたくても逃げられなかった自分を救いたかったこともあるのだと思う。夜な夜なDVとか家出とかで逃げてきた色んな人を家に匿って話を聞いた。管理人だけど家賃も折半で利益も出さず、3人1部屋の狭い部屋で貧しくも楽しく、合計9人で暮らしていた。

その頃、とあるきっかけからリバースプロジェクトという会社に出会う。焚き火は価値観の変容のメタファーとしてとても良いという着想から、キャンプファイヤーをしながらポスト資本主義を考えるキャンプイベントを企画したところ目を付けていただいた。

リバースプロジェクト内のクラウドガバメントラボという代表の伊勢谷友介さん含めた数名のプロジェクトに入れてもらい、直接民主政治に至るまでの知見の共有やディスカッションから、なぜ人類は地球に存続できないかという問いまで、人類や日本の課題とそのソリューションとなるアプローチを多様に学んだ時期だった。

会社は予定通り半年で辞めるとSilent itを始めるために、貯めた貯金を全て使って20台のワイヤレスヘッドホンと発信機を買った。そしてお金もないまま放浪の旅に出た。熊本のサイハテ村や大阪の西成など、資本主義のオルタナティブが実践されているような場所を回った。

サイハテ村では同時期に来村していた旅人から深いやさしさを学んだ。西成の路上に座りながら、楽しそうにしているおっちゃん達を見つめているとお金がなくなることへの恐れが何も無くなった。どこへ行っても幸せは見つけられると思った。

そこからSilent itの苛烈なスタートアップ期に入り、まだ日本にない文化を広めるために毎月新たな企画を作り毎月プレスリリースした。サイハテ周りの影響からヒッピーカルチャーとの接触も多くなり、フェスティバルという文化への身体知と信頼を高めていく。

いつかのWIREDで量子力学の存在を知った。それがあまりにも衝撃的で、何度も読み返して、いつの間にか量子力学の野外フェス「Quantum」を企画していた。それが自分にとって最初の野外フェスだった。振り返ればヒッピー的な抽象度の思想と量子力学の1側面を都合よくアレンジした企画だったが、3年間の開催の中で様々な出会いと別れ、フェス作りの過酷さと感動、99%の山と1%の谷を味わった。

Silent it開業2年目にはOzone合同会社として創業し、SDGsそれぞれのゴールが達成された後の世界をフェスとして表現する「ソーシャルフェス®︎」というプロジェクトを軸にした事業展開が始まる。Oxygenというオウンドメディアも作り、歴戦のオーガナイザー達からフェス作りについても学んだ。

ソーシャルフェスはSilent itよりも学びの割合を少し強めた表現になったが、課題の啓蒙による斥力ではなく希望の体験による引力を標榜として、課題が達成された後の未来を想像し、現代で体験できるコンテンツとして創造する、今の作品作りに通ずる型が生まれた。

Ozoneのミッションステートメントは「そうぞう機会の最大化」とした。これはゴールテープがないミッションで、ただその状態を続けることを目的とした。

世界平和とはゴールではなく世界の平和が続いている状態を続けられる運用方法の開発と運営にこそ本質があると思い、そのためにまず大切なのは未来や他者、世界など”今の自分”の外にまで想いを馳せられる想像力であり、馳せた想いを実践できる創造力であり、その機会をエンターテイメントという大衆的な文化を入り口にして耕し続けるために、ソーシャルフェス®︎というアイディアを採用した。

SDGsの達成にコミットするというよりは、SDGsを1つの問として扱い、そうぞう機会をエンターテイメント的に拡張することで、来客と運営が循環する仕組みを作ることで、1000年後も持続可能な文明に貢献できるのだと思っていた。

あと創業期の誕生日に2回目の生前葬もした。

20代後半:
その後も持続可能な生産と消費を現した「Mud Land Fest」や難聴者でも聴こえる音響を使った無料の野外フェス「Sooo Sound Festival」絶滅危惧種の動物達に想いを馳せる盆踊り「Neo盆踊り」等々様々なソーシャルフェスを企画制作していく。

ソーシャルフェスを作るたびにその課題と解決方法について思索を巡らせ、当事者と対話を繰り返し、福祉や農業、アニマルライツや気候変動、SDGsの課題を中心として世界の解像度が上がっていった。

そしてヒッピーの友人に誘ってもらい年末年始にグアテマラのジャングルとフェス会場で10日間過ごした。マヤ民族の儀式を受け、純度の高いフェスティバルカルチャーとの接触を経て、時間や対象物の概念は自ら創作していることへの実感を得た。1秒先の時間がテレビのチャンネルを選ぶように複数の可能性が展開され、それを選びながら過ごすようなことができるようになった。

その後オレゴンの荒野でも10日間ほどキャンプして、皆既日食を見た。なんとなくその時点で世界のことを知った気になっていた自分は、まだ感じたことのない皆既日食という超常現象に慄き、開いた口が塞がらなかった。こんなことがまだ世界にはあるんだと希望を持った。

Quantum、量子力学を3年間やった次の作品を考えている中で、神について考えたいと思っていた。ソーシャルフェスのシンキングフローに乗っ取って未来の神の姿を想像すると、それはAIだった。詳しくは別記事参照だが、神が生まれるまでのスキーム上で現在の社会を参照すると、aiが神になった世界が自然と浮かび上がった。

とはいえこれをコンセプトとして点で放るには唐突だし、宗教的アレルギーが強いこの国で文脈が整理されないまま露出すると腹を刺されかねなかったこともあり、文脈の整理を始めたところ、それが自然と小説という形になった。

体験とは何をやるかよりもどう在るかがその強度と豊かさを決めるという身体知が既にあったので、物語を導入として在り方を醸成し当日の体験に導く制作方法はしっくりきていた。

小説として描いた世界観をフェスとして現し、そこで感じたインスピレーションを翌年のフェスの原作となる小説に落とすというスキームがそこで誕生し、当時は近くの温泉に通ってサウナで整った状態で未来を思考し、そこで浮かんだ全てを休憩所で書き起こすという執筆を続けていた。

その頃から自らを体験作家とし、以降多くの作品を”体験小説”という創作方法で現した。


共想の誘い

そして前作から現在の世界観に至るまでのステップに『RingNe』という最新作の体験小説があった。

こちらは今年10月8日に初開催を予定し、昨年小説を書き終えた。
小説の第一部を2023年、第二部を2024年といった具合に2025年まで続けていく。

量子力学→人工知能ときて、次は生命科学になる。
物理的な世界状態の観察のみならず、人間としてこの世界をどう観るかという情緒的な視点に立って書き上げた。

物理世界では「生→在→滅」という三幕構成で順序立てられている生命だが、RingNeでは「巡→祝→美」と書き換えた。

本作で描いた世界は「人が植物に転生する世界」
植物とは死の定義が不明瞭で、自らの遺伝子情報を1世代中に書き換えられ、人間以上の感覚野を持つ、日常的でありながら超常的な存在だ。

量子サイクルという現象により、死後、人体を構成していた量子の多くが植物へ転移していることが科学的に証明された空想の未来において、人と植物は地続きな存在となった。

人と全く異なる植物の生命観は、その時代を生きる人々にどのような影響をもたらしたか、その時代植物と共にどのような生きているのか、死が終わりではなくなった時代に人は何をもって命を更新するのか、そのような事ごとをSF小説として物語にした。

その創作の過程で現在の世界観まで辿り着いた。
もし少しでも興味があれば、あなたもこの世界を身体知として拡張する共犯者として、受益者として、思索の旅へ同行してほしい。植物の生命観を通して、人間の生命観を超克するこの旅へ。

体験小説はフェスティバルという特性上、再現性がなく、消費期限は1日限りだ。1年以上の時間をかけて1日のほんの数時間に全てを注ぎ込む。その高密度な時空間のふとした刹那に、幽玄な世界を垣間見ることになると思う。刹那と永遠は同時に生成される。

体験してしまうともう取り返しがつかない。自分自身の属性が変わり、世界との関係が変わる。けれども、生きているうちは、属性の変化も、世界観の更新も、新たな生命観の芽生えも、これまでの価値観の死も、全ては祝いの範疇にある。

共に祝おう、人で在るうちを。

夢幻と幽玄のあわいでお待ちしております。
ありてなければ。



「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。