「察してほしい」はコミュニケーションなのか?

先日、友人夫婦の話を聞いて、コミュニケーションの重要性について考えましたので皆さんに共有したいと思います。

友人夫婦は30代で1歳半の娘さんとの3人暮らしです。友人である女性をAさんとします。ある日、Aさんは娘さんの歯磨きをしようとしていました。しかし、娘さんは歯磨きのイヤイヤ期でなかなかさせてくれません。

Aさんはぐずっている娘さんにだんだんイライラが募ります。さらにその状況下で、そばにいる旦那さんはソファでスマホをいじっているだけです。その姿にAさんのイライラはMaxに。Aさんは仕方なく娘さんの歯磨きを諦め、寝室へ連れていき寝かしつけ始めました。

すると旦那さんが寝室に入ってきて娘さんの歯磨きを始めたのだそうです。そして歯磨き大成功。

後から話を聞くと、ソファでスマホを見ていたのは歯磨きを嫌がらない方法を検索していたからだったそうです。

この話を聞けば、誰もが、二人にはコミュニケーションが足りなかっただけだと感じるでしょう。しかしながら、自分に置き換えて考えてみると、察してほしいとか、言わなくてもわかるといった行動に身に覚えがありませんか。私はこの話を聞いて、自分のことをとても反省しました。この出来事でコミュニケーションが必要だった瞬間をまとめると次の2点です。

①娘の歯磨きがうまくいかずイライラしている

②旦那さんが手伝ってくれないくれないことにイライラしている

Aさんのように行動で気持ちが伝わるのではないかと思ってイライラを口にせずにいることはよくあることです。さらに、旦那さんの行動の真意をくみ取れずイライラした出来事についてもよくあることですが、実は、相手は自分のために行動してくれていた、ということに気づかずに過ごしていることがあるのかもしれません。

特に夫婦や家族となると、余計にわかってくれている、と思い込んでしまいます。しかし別人格なのですから、わからないことはたくさんありますよね。また、気になる部分、気にならない部分というのも人それぞれです。

別の友人Bさんは、LINEの既読から返信までに長時間かける人の返信の一言目を気にします。返信の一言に返信が遅れた理由が書かれてないともやっとするそうです。私は気にしたことがなかったので、それから彼女に返信をする際には返信が遅れた理由を書くようにしました。

このように気にする部分は人それぞれなので、やはり言わないと伝わりません。一見、え?そんなこと気にするの?と思うようなことでも、ある人にとっては重大なことなのです。Aさんの話に戻ると、彼女はどのようなコミュニケーションを取ればよいのでしょうか。

まず、娘さんの歯磨きがうまくいかないことに対しイライラしていましたね。この場合、目的によってコミュニケーションの取り方が変わると思います。一つは共感してもらうことが目的の場合、もう一つは解決してもらうことが目的の場合です。

イライラを共感してもらいたい場合は、素直に、「今歯磨きがうまくいかなくてイライラしてるの。子育てって難しいもんだね。親になって実感するよね~。」などと言ってみると、「大変だね。子供って思い通りにいかないものだね。」と共感してくれるかもしれません。

一方で、解決を求める場合、「歯磨きがうまくいかないんだけど、手伝ってもらえるかな?うまくいくコツをネットで調べてみるからその間歯磨き代わってくれる?」などと言ってみるといいでしょう。今回のAさんの場合、このセリフを言ったら、旦那さんんから、「いや、今実は調べてるんだよね。もう少しでわかりそうだから、そしたら俺がやってみるよ。」といった会話に発展したかもしれませんね。

このように、コミュニケーションはその先の目的に応じて変化します。心理カウンセラーの知人に、「人とのコミュニケーションで大事なのは、トラブルを解決することではなく、その人とどんな関係になりたいかである。」と言われたことがあります。その人とどんな関係になりたいのかを思い浮かべた時、どんなコミュニケーションを取ればその関係に近づくのか、おのずと見えてくるはずです。

人の悩みの多くがは人間関係だと言われます。もしかしたらその原因のひとつに、あなたが伝えることを怠っている場合があるのかもしれません。察してほしい、わかってくれるだろう、という気持ちは捨てて、あたなと大事な人との関係性のために、もう一度コミュニケーションを見つめなおしてみませんか。

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