「当たり前の幸せ」を改めて思い知った、助産師の娘からのLINE
今朝は全身の筋肉痛で悶絶しました。
今年の目標の一つでもある「健康管理に努める」をまだ守っているからです。
フェードアウトする確率高し。
「身体が資本」と言いますが、病弱なわたしは他人よりも心掛けなければいけない。
健康なのが当たり前じゃないからです。
メンテナンスやケアを怠っていると、年始のようなことになりますからね。
でも、当たり前のことって、意識していないと忘れてしまうことも多いんですよね。
*
夜中0時過ぎ。
助産師の娘からのLINEでした。
昨年の春、大学院を卒業し(正確には休学中)、悪戦苦闘しながら働いています。
働き出して間もないころは、
「できない自分が情けない」
「大学(研究室)に戻ろうか」
など、仕事を続けられるか悩んでいました。
少しずつ仕事にも職場の人間関係にも慣れてきたと言っていた矢先のこと。
今夜は夜勤だと言っていたけど、どうしたのかな?
と思いLINEを開くと……
なぜなのか聞いてみると、
出産と死産の対応が立て続けにあったというのです。
それだけならまだしも、死産の対応で衝撃的な場面を見てしまったらしく……。
アドレナリンが出てしまい、休憩時間に仮眠がとれないだけでなく、興奮してしまってドキドキする。
夜中に連絡する相手といったら……わたしだったということです。
*
助産師は新しい命の誕生をサポートする仕事。
でも、それだけではありません。
悲しい現実に直面することも多々あります。
(わたし自身、助産師ではないので詳しいことはわかりませんが……)
生死にかかわる仕事は、自分のメンタルを強く保てなければ続けるのは難しい。
(豆腐メンタルのわたしには厳しい仕事だと思います汗)
また、悲しい現実が当たり前になるのも、心が痛みますよね。
その仕事を娘が選択した際、正直わたしと夫は反対しました。
何度も話し合ったけれど、娘の気持ちは変わらず。
それでも自分の目標に向かって努力する娘をみているうちに、応援しようと思えるようになりました。
などと、一通りLINEのやりとりをしたあと、
と娘がメッセージを送ってきました。
その通りです。
そのことを知っているはずなのに、当たり前になっていました。
*
わたしのいとこは、出産時の影響で重度の脳性麻痺で生まれました。
その日のうちに亡くなってしまうだろう、と主治医は判断をしましたが、生命力が強かったいとこは翌日も心臓が動いていたのです。
当時、わたしは11歳。
いとこの誕生を楽しみに待っていました。
はじめていとこを抱っこしたのは、生後3か月でした。
色白で、大きくてまんまるの目。
めちゃくちゃ可愛くて、障害があるなんて信じられませんでした。
わたしはミルクの香りがする顔をすりすりしたり、チューしたり、いとこの傍につきっきり。
「こんな普通なのに、どこが悪いの?」と、母に聞くと、
「お産は大変なんだよ。五体満足で生まれないこともあるの」と、涙をこらえながら話してくれました。
そう話してくれた母も、妹を出産したときに足に菌が入って腫れてしまい、歩けなくなった経験があります。
数年間の治療の甲斐があって、いまは問題なく歩けるようになりましたが、身に染みて実感している母からの言葉。
わたしも19歳のときにガンになり、子どもは授からないと主治医に言われました。
しかし、数年後に結婚し、奇跡的に子宝に恵まれました。
出産の際、母は「分娩室で生まれてくる子どもを見届けたい」と言いました。
病気の母から生まれてくる子どもが気が気ではなかったんでしょう。
もし万が一、五体満足でなかった場合、わたしよりも先に現実を受け止めたい。
という思いだったのかもしれません。
子どもたちは2人とも無事に生まれました。
月日が経ち、いま娘は25歳、息子は23歳です。
子育てはワンオペが多くて大変だったので、子どもが授からないかもしれないなんて、忘れていました。
若いときに病気をしたり、子育てが大変で、「元気になりたい」「幸せになりたい」と思ってばかり。
でも、「幸せになりたい」と思うのではなく、いまあることに感謝して、「幸せに気づく」ことなんだと思い知らされました。
娘が助産師になったからこそ、子どもたちが大切な存在だと改めて気づきました。
これからは、幸せに気づけるよう、日々丁寧に過ごしたいと思います。
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