ランチさまざま

在宅で仕事をするようになって随分時間が経った。
最初の出社禁止令が出たのは去年の3月のことだから、ちょうど一年ほどが経つ。

一年たっても相変わらず悩むのは日々自宅で食べるランチのことだ。
インスタントやレトルトを食べ続けるのは気が進まないし、Uber eatsに頼っていたらエンゲル係数がとんでもないことになってしまう。
自宅の近くにある飲食店は小さな町中華とドトールコーヒー、ケンタッキーフライドチキンくらいのものだし、こちらも毎日のランチの選択肢としてはちょっと心許ない。
いきおいもっぱら自炊に頼ることになるのだけれど、限られた時間の中でそれなり栄養がある(少なくとも栄養をとった気分になれて、罪悪感がない)食べ物を準備するのは、簡単ではない。

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ランチというのはつくづく悩みを孕んでいるのだ。

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「夏休みは嫌なのよ」
子供のころの夏休み、8月も終盤に差し掛かると母が毎年のように言っていたのを思い出す。
「給食って本当にありがたいのね」
とにかく毎日のランチの献立を考えるのが苦痛なのだという。

ピーマンまみれのナポリタン。(やけにピーマンが好きな兄妹だったのだ)
ベランダで収穫した大葉をどっさりのせた和風ボンゴレスパゲティ。
もやしと豚肉のあんかけがかかったラーメン。
鮭と卵が入ったカラフルなピラフ。
あっさりした蕎麦はボリュームを補う焼きおにぎりと一緒に食卓にのぼる。

思い返すとずいぶんいろんなものを食べさせてもらってきたなと思う。
そして、これだけのクオリティのランチを用意し続けるのは確かに大変だっただろう、とも。

「もう何も思いつかないから、何でも食べたいものを言って」
そう言われると私がいつもあげていたのは「ミカン素麺」なるもので、これはただ氷水のなかに素麺とともに缶詰のミカンが浮いている、というものだ。
幼い私は食事の中で甘い果物が食べられるということに単純に心躍らせていたのだ。
あれだけバラエティに富んだ様々なメニューを用意してもらっておいて、お気に入りのメニューがミカン素麺というのは何とも張り合いがなく、母はきっと内心脱力していたに違いない。

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社会人になって最初に勤めたのはIT企業で、あちこちのお客様先に出歩く仕事だった。
どんなお客様先でもほぼ必ず話題になるのはランチのことだ。

いわく、社食が美味しいとか美味しくないとか。
いわく、会社周辺のランチスポットが高いとか安いとか。
いわく、出入りのお弁当屋さんの品数が多いとか少ないとか。

お客様先の社食でランチを食べるのは、企業の素顔が見えるようで楽しいことでもあった。
製薬会社ではいかにも栄養バランスのとれたヘルシーな定食。
自動車会社では工場ごとに味付けが異なるというボリュームたっぷりの名物カレー。
化粧品会社では人気レストランとのコラボが誇らしげに歌われたお洒落なデリ風のメニュー。

社食は社風であり、そこで供されるランチは社員にどんな働き方と生活を望むかのメッセージでもある。

ちなみに私の勤め先にはランチのケータリング業者が入っていて、白ご飯のおかずに必ず麺類(焼きうどんとか炒めたスパゲティとか)と揚げ物がついているという食べ盛りの男子高生みたいなメニューをワンコインで食べられるシステムだった。
このランチに込められた会社からのメッセージはシンプルだ。
「がんがん食べてがんがん働け」

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あの頃の母のようにうんうんとうなって頭を抱えながら、今日も家で食べるランチのことを考える。
私には母ほどの才覚はないので、とにかくタンパク質と野菜をとるということだけ頭においておく。

例えば、豚肉と野菜をいれたお味噌汁だけ作る。
具だくさんのお味噌汁は満足感があるから、あとは冷蔵庫の残り物を適当に食べれば良い。
豚肉を入れたお味噌汁は出汁をとらなくて良いから、気楽で好きだ。

あるいは、誰にも会わないということを強みに、にんにくたっぷりの冷凍餃子を焼いてニラ玉スープをつける。
洗って切ったニラを冷凍しておけば、いつでもあっという間にできる簡単で元気の出るメニュー。

どうにも気力が沸かない日には、タンパク質と野菜さえ揃ってさえいれば「納豆とトマト」でも良いこととする。(そしてそんな日はけっこうある)

キッチンに立って何かを切ったり、コンロで煮立つ鍋を眺めたりするのは妙に心が安らぐもので、時に家に籠もりきりなのが息苦しくなる生活の中でふっと息がつける時間だ。
私の在宅ランチには社食のような理想やメッセージがある訳ではないけれど、ひそやかな願いだけを持ってまたキッチンに立つ。
今日も穏やかに、そして健康にと。

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