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「は」はっぴいえんどと14歳の時の童貞の自分へ

 昨日は労働組合とドラクエに時間を取られ、記事を書くことさえままなりませんでした。しかし!今日の私は違う。自分の大好きなラーメンを食してきたのだ。気力と気合十分。さあ、今日も大好きなアーティストだ。書いていこう。

「はっぴいえんど」、バンド好きな一回はどこかで聴いたことがあるのでは無いだろうか。色んなバンドが紹介される時に引き合いに出されることが多いように感じる。手垢が付きに付きまくっているくらい色んな方に紹介されているが私なりの愛と、言葉で彼らを紹介していきたい。私の音楽における原点のひとつなのでとても彼らは大事な存在だ。とりあえず、どんなバンドなんだいって人のために。

日本語によるロックサウンドを初めて鳴らし、あらゆる意味で先駆者的存在のバンド、はっぴいえんど。アメリカのウエスト・コーストサウンドに影響を受けたサウンドと、これまでのロックは英語で歌うものだという固定観念の枠組を飛び越え、あくまでも日本の原風景や空気を鮮やかに描いた日本語詞との混成は、現在のJ-Popシーンでは当然のことのように聞こえるが、当時の彼らがしたことはアヴァンギャルドな実験だった。日本のものでもアメリカのものでもない、まったく新しい何かが生まれようとしている瞬間の息吹を感じさせ、また現在彼らの影響を受けたフォロワーバンドが多く活躍していることでも、はっぴいえんどは日本の音楽史上に残るオンリーワンのロックバンドであるといっても過言ではない。 HMVより

HMVの紹介が思いの外良かったので紹介しておきます。読んでて愛が伝わってきます!

景色を映し出す

 はっぴいえんどの曲達はひとつ聴く度に景色を映し出してくれる。ニール・ヤングの項でも書いたが私は曲を聴いて、あの時あの場所の記憶が蘇ってくるタイプだ。特にこれが始まっていったのが中2ではっぴいえんどを聴き始めた、あの時だった。最初はCMなどで使われていたこの曲から始まった。そして、この曲に度々帰ってくる。帰ってくる度にまた、新しい発見がある名曲である。どうぞ。

イントロが始まった瞬間に郷愁にさらわれる、この感覚に名前をつけたい。いつも、「ただいま」と言いたくなる居心地の良さがこの曲にはある。日本人ならこの曲に親しみを持たざるを得ないのではないかと生意気にも思っていた頃が長らくあった。

また、はっぴいえんどは色んな景色を内包した曲を沢山持つ。これは細野晴臣、大瀧詠一氏たちの作曲の尽力もあるが一番には松本隆氏の作詞にあるだろう。

風をあつめての制作秘話についてこの動画はとても面白いので是非。

風をあつめてを例に取ってみても、東京から都市化によってどんどん奪われていった街の風景。もうそこには存在しない街、それが風街である。このアルバムのコンセプトともなっている。「風街ろまん」のスタートだ。

オリンピックや高度経済成長から新しく出来るものの偉大さとそれに伴った大きな影もあった。路面電車は東京にも走っていた。海もこんなに汚くなかった。江戸前の魚は寿司にも使われ豊かな資源であった。それら、今までの町並みを一回すべて捨て去るようにして東京は大きくなっていった。

しかし、今の渋谷を見ていても未だに東京の開発は終わるところを知らない。駅の改装工事だって、やっと終わったかと思えば次は違う駅、違う場所でまた始まる。この東京という街は完成することがないのだろう。それを予見していたかのようなこの曲群達は今でも私達の東京に対する視点として新鮮だから愛されるのだろう。

失ったものへの郷愁これはいつの時代も不変なのかな。ただし失ったものは時代によって様々だ。

現代への影響

 はっぴいえんどの系譜は今でも色んな所で見ることが出来る一番大きいところでは星野源だろう。そして、ネバーヤングビーチなんかもはっぴいえんど直系のような音作りを最新アルバムでは突き詰めていっている。そんな、はっぴいえんど由来の音楽を今回は紹介していく。

例えば以前紹介した、サニーデイ・サービスなんかも平成のはっぴいえんどなんて呼ばれていたころもあったようだ。特にこの、東京という曲ははっぴいえんどが作り上げた東京像をアップデートしたと言ってもいいだろう。

ゆでめんの頃のはっぴいえんどっぽいですよねえ。

後は、曲のタイトルなんかからも引き合いに出されることが多い。このネバーヤングビーチのなんかも現代のはっぴいえんどみたいに例えられることもある。

同名の曲で、

同名だとこの曲も。10年代のバンドがフォロワーってのがまずもってすごいですよね。40年経っても愛されてるってそれだけ普遍的な魅力がないとなし得ないことです。

だが、はっぴいえんどは当時はあまり売れず、そのまま個々のソロ活動へと移行していく。というのが、通説だが最近では意外とレコードは売れていたがレーベルも彼ら自信も売上にそこまで関心がなかったため、売れていなかったという認識だったという説もある。

切り売りパート 初めてのデート(?)編

 この世に生を受けているひとのおおよそは初デートのことを覚えているんじゃないだろうか。そう思うくらいに今後の自分の恋愛観に大きな影響を与えるのが初デートだと思っている。まあ、私の初デートはDとの一回こっきりの逢瀬だったのだが、あれは幻!という感覚だったので、今回は自分の中での初めてのデートについての失敗を書いていきたい。

なんかいつも失敗しか書いてないが人間楽しかったことはどんどん雲のように空に消えていく。しかし、あの頃のしくじりってやつはいつまでもミートソースのシミのように中々取れない。しかも、放置しておくともうこれは一生抜けないような自分自身の汚れとなっていく。これだけ書くネタがあるんだからシミだらけの人生だったんだなと再確認できています。

さあ、時はさかのぼり、はっぴいえんどと初めて邂逅した中学2年生。全てにおいて青い年頃である。

もう、何ならこの頃の好きなんて嘘っぱちである。魂で繋がってると、一生添い遂げるなんてかっこいいことを平気で言える年だが、思春期の男にとって大事なのは自分に興味を持ってくれているか。自分のことを肯定してくれているかということであり、その低い低いハードルを超えてしまえば、それすなわち「俺、この子のこと好きかもしれない、、、」とすぐに錯覚を起こすのである。

そんなときが私にもあった。あなたもそうではないだろうか!

その頃部活も顧問と中途半端な喧嘩をしてやめてしまい絶賛プー太郎の私。なぜか男女のグループに合流し、バンドやらなんやらお話をしながら一時間50円の格安のカラオケで日々を過ごす毎日であった。ものすごいデフレだったんだなと書いてみると再確認できる。100円マックには随分とお世話になったもんだ。部活をしていない中学生の放課後ほど金が無く、暇な日常は無い。

そんな有り余る時間の中で私はある女の子に前記の通りの手はずで、アホな恋をしていた。ハードルが低すぎるがゆえの一方通行だったと今では突っ込める。

そして、その子と一回デートにこぎつけることができた。

日がな一日その子と二人っきりの私は浮足立ち、その後過ちを犯すこととなる。

日もくれかけ、親も心配するので帰ろうかという頃になり、急に中身空っぽの勇気が湧いてきた。

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私はなぜかその子の手を握ったのだ。

別に付き合っているわけでもないし、あっちは相当戸惑った様子であったが特に拒否される様子もなく帰りの駅まで不思議な繋がりを保ったまま帰路につこうとしていた。

しかし、この時緊張と体温の上昇により私の手から異常なほどの手汗が湧いてきてしまったのだ。もう、書いていて後悔するくらいにだ!

(うわあ、やっちまった、、、)と後悔するも緊張も合わせてしているために言葉も出てこない中学生の私はその子から「私、手汗すごいんだ、、、!!」とフォローされ死にそうになったのを今でも思い出す。

穴があったら入りたいとはこのことである。

以来、女性と手を繋ぐというイベントは私なりの中々のハードルになっていく。甘酸っぱいというか、湿気を帯びた中学生の頃の恋の記憶。また、一年くらいは漬物石を置いて寝かせておきます。

では、また。

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