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ポリコレとガンダムSEED FREEDOM

※明らかなネタバレは含まないものの、少しの先入観もなしに映画を観たい人は、ガンダムSEED FREEDOMの映画を観てから読むことを推奨します。


ガンダムSEED FREEDOMを公開初日に観に行った。
映画全体の感想は他に譲りたい。
(ディスティニープランの振り返りをしておいて良かったとは思った。)

さて、観終わったあと、「幾つかのシーンは賛否が分かれるな」と思った。
それは、おそらく多くの人が最も吹き出しそうになったシーンであり、またおそらく多くの人が一番戦闘が盛り上がると思ったシーンである。

今、有名・主要なアニメでは、「ポリコレ」の観点からこういったシーンは排除されているように思う。
ポリコレ、つまり、ジェンダーや人種、宗教のような一定の組織に差別的な表現を排除し、「中立的」な表現を用いることである。
もともとは「より適切」な表現に促していくための言葉であるが、ポリコレによる表現の排除が進んだせいで、テレビが面白くなくなったといった声など、物議を醸すこともある。

冒頭に述べた幾つかのシーンに似たような表現は、約20年前にテレビでシリーズが放映されていたときも使われていた。
このため私は特に不快感はなく観られたが、
・今これらの表現は受け入れられるのだろうか、
・明らかに賛否が分かれることを認識しつつ、おそらく敢えてこの表現を使った制作陣の意図を知りたい
という気持ちが芽生えた。

観終わって、こうしたことをモヤモヤ考えながら、映画のパンフレットを読んでいたら、目にとまった文字があった。
「「正義」は移ろうもの」
「絶対的な正義など存在しない。」
この映画の制作の指針だと書かれていた。

ポリコレのところで書いた、適切な表現、差別的な表現、中立的な表現…これは大いに個々人の正義による。
だからこそ、制作陣は堂々とこうしたシーンを盛り込み、賛否を敢えて分かれさせたのではないだろうか。
「ほら、正義なんて人それぞれでしょ」と…

振り返って考えてみると、最も吹き出しそうになるシーンに限って言えば、それを覗く行為自体の方が、個人の思想の侵害といえる。
単純に笑わせるだけでなく、こうした社会への皮肉すらも意図されていたのかもしれない。

今回の映画の制作陣がこれらを全て織り込み済みで作っていたとすると、いや、そうでなくても、やはり本作は傑作であり、唯一無二の作品だと思う。

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