❝私の大好きな友達が愛に溢れる理由❞ 前編

私には敬愛する友人が一人いて、彼女はめちゃくちゃ大変なことが人生で山ほどあったのに、いつも人に優しくて、深い深い愛情をばら撒いている。
私自身はと言うと、負けず劣らずヤバい経験もしてきた中で、ずっと殻に閉じこもって、寂しさだけをこじらせて生きてきた。

(なんで彼女は女神様で居られるんだろう…)と常々思ってきたんだけど、今日なんとなくその理由が分かったような気がしたので、書き留めてみる。

結論から言うと、多分彼女は❛ あるはずの愛 ❜という幻肢痛のようなものに悩まさていないんだと思う。愛されていることを知っていて、だから、あるはずの愛には悩まず、そこに在る愛にお返しをしている。

私の話をしよう。
今日、母親とかなりドギツい言い合いをした。

「私と似たような境遇で、辛い経験をしている人が居たよ。やっぱりこの境遇は難しいよ。」

と言ったところ、

「そんな事で仲間ができたと思うな。誰でもそんなものだ。」
「お前が辛いのは知ってるが話しても何の意味もない。」
「いちいち傷ついているお前にうんざりだ。いいから強くなれ。」

と、突き放された。
過去のトラウマから何から全部【そんなことで苦しんでいるお前が悪い】と否定された気持ちになって、最低最悪の気分になった。

そこで私は生まれて初めて気が付いたんだ。この人のどうしようもない弱さに。

母は多分、「こうすれば幸せになれる」という道しるべを私に見せたかった。けれど、彼女がどう頑張っても私の持って生まれた境遇は変えられなくて、もうこれ以上打つ手がなかった。
今日彼女が吐いた言葉たちは、「あとはお前が頑張るしかない。私に出来ることはもう無いんだ。」という、嘆きだったんだと思う。

ここで一つ言いたいのは、私は決して道しるべを誰かには求めていないということ。
自分が唯一無二の経験をして、誰にも私のことなんか救えなくて、自分自身が奮い立つしかないなんてこと、今までの人生で散々思い知らされた。
私が求めていたのは、奮い立つ時も、打ちひしがれている時にも、手を握っていてくれる人。
【私は、あなたが辛いのを知っている。】と言って寄り添ってくれる人。
悲しいかな、彼女にはその感覚が理解できないらしい。

人は、相手を救える技量がないと知ったとき、絶望して何かを傷つける。
それは彼ら自身だったり、彼らには手が負えない誰かだったりする。
「そんな事で傷ついてもさぁ〜、仕方ないじゃん。どうしようもない事だよ、それ。笑。」などとのたまったりする。

こういった言葉に悪気はなくて、ただ、【誰かを救うヒーロー】になりたくて、なれないのに無理して立場を保とうとするから、余計なことを言うハメになる。
【誰かを救うヒーロー】は、「そうなんだ、大変だね。」と言うだけではなれないから。

大人同士ならこういった心の動きは明白に分かる。しかし、子どもにとっては親は常に【正真正銘のヒーロー】だ。

(お母さんは私よりずっと強いから、こんなことじゃ傷つかないんだ…。弱い私がいけないんだ…。)

そうして私は、自分の心を自分でぐちゃぐちゃにしていった。

それが大きな検討違いであるとも知らずに。

後編に続く

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