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「優等生な私」は中学時代がつらかった

ある日、ラジオからこんな話が流れてきた。同世代のパーソナリティが自分自身のことを語っていて、「自分は優等生タイプの人生を送ってきて、自分に対して完璧を求めてしまう。それが今の生きづらさにつながっている」という話。

それを聞いて、わかる~~~~~と思いながら、私の頭の中は中学時代の思い出でいっぱいになっていった。

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今私は29歳なので、約15年前。あの頃の2倍の年齢になっている。東京の中では自然の多い方の地域で私の中学生活はスタートした。小6の終わりに家を買って家族5人で引っ越してきたばかり。ほぼ転校生みたいな状態で入学した。

部活は3年間バスケ部だった。引退試合は1回目で負けたけど、副キャプテンでずっとスタメンだった。成績はほぼ常にオール5で、テストの成績は学年でいつも5番以内に入っていた。いわゆる優等生というか、なんでもそこそこできるタイプ。器用と言えば器用なのだろう。美術も好きだし、音楽も好き。国語も、数学も、理科も、別に夜中まで勉強なんてしていなかったけど、自分なりにノートをまとめたらだいたい覚えられた。

ここだけ書くと、すごい成功者というか、なんでもできてさぞ楽しい学生活だったのではと思われるかもしれないが、私は人生の中で中学生の頃が一番しんどかった。
別にいじめられていたわけではない。部活のメンバーとも、ギャルっぽい子たちとも、クラスの友達とも、まじめな人たちとも、ほどほどにそつなくコミュニケーションをとって放課後にプリクラを取りに行ったり友達の家に遊びに行ったり楽しくすごしていた。

でもどこかでずっと気を張っていた。今思うと、どうふるまえば「正解」かを常に見極めるあまり、疲れていたんだと思う。成績とスポーツに関しては一生懸命やればそれが普通に良い結果につながるからまだよかったけど、友達との関係=会話のノリやキャラづくり、相手に良く思われる言い方については「正解」を出すのが難しく、過度に神経を使っていた。それが微妙にばれていたのか、「グループでお互いのいいところと悪いところを言おう」みたいな授業(多感な時期にはきつい授業)で友達に「ユーモアがない、おもしろくない」と言われてぐさっときたのを今でも覚えている。

そして、バスケ部特有の「限界を超えるのが正義」という精神論?にもなじめなかった。80点のプレイはできるけど、とびぬけた精神力や技術がないのが私。勝つことにもちっとも執着できず、練習はただただきつかった。土日の練習に行く前には、このまま行かずにいれたらどんなに良いか…と朝ごはんを見つめていつも思っていた。

逃げ場はあった。優しくて本の話ができる司書さんがいる図書室。あと、家に帰るといる大好きな犬。3年生になってからは同じくらいの熱量で勉強できる塾も逃げ場になった。無意識のうちにいつも救われていた。

優等生気質はやっかいだ。ある程度のことができてしまうことによって、まわりからも評価されたり褒められたりすることによって、自分への期待値・基準が勝手に高くなっていく。だから、弱音を吐けなかったり、辞められずに我慢して続けてしまったりする。それがなかったら私は部活を辞めたり、学校をずる休みしたりできたのだろうか?
ひとつ思うのは、この中学生活をこんなにしんどく感じている時点で、「なんでもできる」というのもまた思い込みにすぎないということ。私なりの弱さがそこにははっきりとあって、それが今は「ネガティブな言葉・抑圧的な雰囲気に弱い」とか「整理整頓が苦手」とかって言語化できているけれど、当時は「なんか嫌だな、つらいな、」という感情をもつので精一杯だった。

弱さは、強さによって見えなくできる。私は成績が良い・スポーツができるといった強みで自分の弱さを見えなくしていたのかもしれない。本当はどちらも自分であり、どちらも簡単に変えたり消したりできるものではない。だとすると、強さよりも弱さに早く気づけた方が、人生は生きやすいかもしれない。その弱さを持ったままどう生きていこう?という思考になるから。でもきっと教育では先に「○○ちゃんはこれが得意ですごいね」と褒められるからますます自分で弱さを認識しなくなる。もしくは弱さを「直そう」とする言い方をされる。それだと、「私はここが強いんだ」というところばかり認識して、弱い部分は「見なくなる」。

幸いなことに、私は高校に入り、大学受験に失敗したことや大学に入って、新潟に来て出会った人たちによって、少しずつ「自分への期待値・基準の高さ」から解放されていった。それは、心がときほぐされていくような、むしろ小学生の頃の私に戻っていくような感覚だった。もちろん今でも優等生気質の自分がたまに顔をのぞかせるけれど、「ああこんな自分もいるな」とつきあっていく認識を持つことができている。

一度こんな風に文章という形で中学時代のことを書いてみたいと思っていた。今振り返ると、しんどいという気持ちをある程度自分で認められていただけでもよかったのだと思う。なんとなく心配そうに私を見ていた当時の担任の先生にもそれは伝わっていたのかもしれないし、記憶にないだけで家族に話したこともあったのかもしれない。その気持ちが何によるものだったのかが分からなかっただけで、気持ち自体は認めることができていた。

大人になるにつれて出会った人たちにも恵まれていた。弱さについて話せる人が多くなった。「外向型HSP」という言葉も知ったし、成績以外に人間にはたくさんの価値基準があることも知ったし、親の気持ちも分かってきた。中学時代の私に会うことができたら、「未来はそんなにしんどくないよ」と伝えたい。
そんな私は今でも、BUMP OF CHICKENの「魔法の料理」を聞くと泣いてしまう。


いつか全部わかる ずっと先の事
疑いたいのもわかる 君だからわかる
メソメソすんなって
君の願いはちゃんと叶うよ 怖くても よく見て欲しい
これから失くす宝物が くれたものが今 宝物


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