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三流とアンラーニング、セレピを得るには

最近読んだ2冊の本から考えていることを書く。


1冊目は、「みんなのアンラーニング論(長岡健著)」という法政大学の先生が書いた本。実は、一度ゼミにお邪魔したことがあり、ひとつの専門分野をつきつめるのではなくさまざまな世界・分野をまたいで学ぶ「越境」学習を主な活動としているゼミのスタイルにとても感心した。私自身、一番いろいろなことに興味が湧くし他の世界への飛び込み方を知っておいた方がいい大学生という時期にひとつの専門・文献・論文のことばかりやらなくてはいけないのはどうなんだろう?と思っていたから。

本の中では、5人の先駆的な方々の例や学習のステップ・手法など具体的な話を用いながら、「学習=目標達成のための知識やスキルを効率的に得るための手段」という考え方ではなく、「学習そのものへの価値」に注目した考え方を中心にその必要性やステップを論じている。ちなみに、アンラーニングとは、これまでの価値観や習慣を認識し、新しいものを取り入れながら取捨選択して学びを修正していくこと。

私たちは、リベラルアーツを通じて、知識・スキルを習得するだけではなく、「自分の知的な世界を広げていこう」とする意欲や姿勢を身体知化していきます。<中略>内容が何であれ、これまで知らなかったテーマに関心が湧いてきて、「ちょっと学んでみようかな」と行動を起こしたのなら、結果的に自分のキャリアにプラスにならなかったとしても、それは価値ある「学習」です。

みんなのアンラーニング論

この部分、「まさに!!」となった。初めてここまでこの感覚を言語化している文章を見た。大学生のとき、個別塾の講師をしていて、教育のゴールは「自分で学ぼうと思う意欲」をつくることだと実感した経験がある。ひとつのやり方を全員にあてはめて、無理矢理暗記させることではない。

先生はこの「学習」をつくっていくため大切なことのひとつが「越境」だと言う。知らない世界に飛び込む・知らない人と話すことは、怖い。どきどきするし、もやもやする。でも、それそのものが学びになるし、楽しい。学んでやろう、得てやろうという気持ちでなく、「半分自分のため・半分相手のため」のような自由な関係であることが大切なんだそう。
これもめちゃくちゃ身に覚えがあって、すごく共感した。他にもたくさん学びに関する興味深いことが書いてあったが、いったんここでは置いておく。

もう一冊の本は、「三流のすすめ(安田登著・ミシマ社)」。世の中は「一流」が賞賛されがちだけど、「三流=いろいろなことをやる人」的生き方の方がいい人ってもっといっぱいいるんじゃないか?ということを古典や自身の人生経験をふまえて深掘りしてくれている。良く言うと好奇心旺盛・バイタリティーがある、悪く言うと飽きっぽいし中途半端。完全にわたしはこのタイプなので、自分を肯定したくて買いました(笑)

三流の人は、一流の人ほどの準備もせずに、いろいろなことをどんどんするから極めることなど絶対できない。そして、よく失敗をします。でも、それをあまり気にしない。それも三流の人の特徴です。
究める人の生き方は、目標に向かって一直線に進む「直線的な生き方」です。それに対して究めない人の生き方は、ぐるぐるとあちらこちらまわっていく「螺旋的な生き方」です。

三流のすすめ

私も、大学時代にとある先生に「よくばりだ」とかけられた一言にぐさっと来たことがある。タイへの留学にモンゴルボランティア、サークルもかけもちして、あげく休学して新潟へ。もっとすごい人はいるし、この作者ほどはいろいろなことをやっていないけれど、私もタイプ的には三流タイプなのだろう。興味をあって、自分の中のセンサーが反応したら、そちらの方へ体を動かしていく。
さらに安田さんは、興味をもったり知りたくなったときに「情報」や「物」で満たすのではなく、「行動」することが大切と言っている。情報だけで知った気になるときと実際に行動してみることはかなり違うよなあ、と私も思う。

他にも、状況や人によって人格が変わる「サブパーソナリティ」や、共感能力が高いために没入しやすい「内臓が反応する共感」など、良いなあと思える章が盛沢山の本。とにかく自分が三流人であることをプラス方向に自覚できる。

2冊とも、量的にも深く論じている視点は違っているしテイストも違う本だけれど、私にはものすごく共通のテーマに見えた。どちらも、「損得や役に立つかどうかを考えず、いろいろな世界を見てみる・行動してみる」ことの大切さを伝えてくれる。

そんな越境の力があれば、きっと人生は豊かになっていく。年をとっても、楽しみを見つけられる。想像力がはたらいて、いろいろな立場の人のことも考えられる。異分野を知っているからこそのひらめきが訪れるかもしれない。
最近よく聞いているポッドキャスト「ゆとりっ子たちのたわごと」の2人も、「セレンディピティ=素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること」って大事だよね!!という話をよくしていて、共感しているけれど、これも通ずるところがある気がする。曲までつくっている(笑)
ゆとたわのトークを聞いてると、セレピをひきよせるセンサーというか、感覚的なものがするどいなと思う。その感覚は、言葉でなかなか説明できないけれど。

さて、越境や予想外の起こる世界へ行く大切さは分かったけれど、実はなかなかそれができない人はたくさんいると思う。機会がなかったとか、大人になればなるほどないよなーとか時期的なものもあるけど、やっぱり知らない世界に行く「怖さ」が立ちはだかる。もちろん、失敗するかもという恐怖も。「大丈夫だよ!!」なんて言われてもそう解消できない怖さ。

個人的には、自分との関わりがまったくないものに飛び込むのはやっぱりけっこう厳しいと思う。でも、世の中に自分との関わりが10はなくとも1くらいはあるものって、意外とたくさんある。例えば、今自分が住んでいる町。歩いてみてふと知らなかったお店に入ることもできる。本屋に行って、たまたま目に入った小説を買って読んでみることもできる。そういう小さなところにも、「予想外の世界」は転がっている。

結局、「やってみた」の繰り返しでしか怖さはなくなっていかない。それは長岡先生が言うように、「身体知」なのだから。

あと、学んだことを自分でふりかえったり他の人と話したりすることで、言語化をする。言葉をたくさん自分の中に増やして、言語化をくりかえしていくと、だんだん「メタ化(抽象化)」が進んでくる。そうすると、別の分野と別の分野がつながりやすくなり、興味を広げやすくなる気がする。私はよく、「キーワード」でそれを広げているな。どんなに違うように見える物事も、言語化していくと実は共通点がひとつくらいはある。それを見つけると、世界を見る解像度が上がっていく。それはとても楽しく、ここちよい達成感がある。

ちなみに、誰にでもわかるように説明できるようにする必要はなくて、「なんかよいんだよな!!」をまずはくりかえすことが大切そう。色、音、雰囲気、明るさ、あたたかさ…そういう五感的・感覚的なものへの反応の練習。「自分と1つくらいつながりのある、未開拓の世界」を見つけるには、センサーを磨くことが大事だと思う。

三流や越境やセレピを得るためには、前提として、時間の余裕による「心と体の健康さ」が必要であることは否めない。なのに、日本の60歳くらいまでの人にはたぶん、あまりに時間がない。無理矢理でも自分で時間をつくれる強いマインドがある人はいい。でも、支配されているような時間が多いとたぶん、予想外を楽しむ余裕がない。あとはそれぞれのキャパシティも違うから、それを自分でわかっておかないと余白もつくれない。

かくいう私も、予想外を楽しむ時間はどんどん減っている。そりゃあ、年をとるほど人間関係やコミュニティは固定化されていくし、体力も減っていくから仕方ないのだけれど…せめて、「予想外」を引き連れてきてくれるともだちがほしいね、という話を友達とした。そういう友達をつくるところもすでに予想外へ飛び込まなくてはいけないのだけれど。

もう少し言語化したいところもあるけど、ひとまずここまで。とりあえず、今本業でやっていること以外にも興味があることがあるけど、飛び込んでいいのか…とためらっている人や、いろいろなことをやりすぎて中途半端なんじゃないか?と思っている人にはおすすめの本です。

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