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小さいデザイン会社なりの"組織"についての考え

先月、broom inc.に、ぼくを含めて3人目となる、新しいメンバーが加入しました。それが↓彼、芝 貴紀(シバ タカノリ)。通称しばきち、踊ってます。ぼくの学生時代の同期で、年は4つ上。

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芝 貴紀 (シバタカノリ) / Director, Designer / 1988年和歌山県和歌山市生まれ / 学生時代は、プロダクトデザインを専攻し、井本とは同期の間柄。卒業後は大阪で、インテリア・エクステリア空間における製品や内装建築金物の開発・設計、商業イベントや展示空間の企画・ディレクションなど、多様な業種に携わる。2020年11月broomに参画。様々な分野で得た経験と広い視野を活かし、戦略的なアプローチを企てる。

会社は、1期目を終える頃(現在3期目)、すでにリソースがパツパツな状況ではあったのですが、あえて表向きに採用活動は行わず、芝を1年弱待った、という経緯があります。

そもそもリソース不足が読めた段階で採用に乗り出したり、ぼくと一緒にbroom inc. を立ち上げた坂本が多摩美卒ということもあり、そのコネをつかってインターンやアルバイトを引っ張ってきたりと、そういう選択肢ももちろんあったのだけど、それらのカードをぜんぶ捨てて、"ただ待つ"に至った背景には、ちゃんと意思があったので、書いておこうかな、と。

少人数デザイン事務所の暗黒面

まず、いわゆるデザイン事務所といわれる業態について、特にぼくらに限らず、数人規模の会社は、組織というよりは、どちらかというと個人商店に近い感覚があります。それは、おおよそ会社のバリューそのものが特定の人物にがっつり属人化していることに起因します。

なので、代表者個人の名を売るアプローチを行うところが多い気がします。それ自体が悪いとはまったく思わないし、実際に1人でやり抜いているなら、それはとてもかっこいいことだと思います。でも、ほとんどの場合、支えてくれる人がいるものです。

だけど、そんな中、なんでもかんでも代表者の手柄になるケースが世の中にはあって、属する人にとって「いや、それ俺のアイデアじゃね?」ってことが度々起こっていたり、とにかくそんなクソ文化が未だに蔓延っていることにぼくは、前々から怒っています。挙句、代表者を、絶対的存在として崇めるような空気があったり。いや、宗教かよ!って。

ぼく自身がそういうデザイン事務所に一時身を置いていた経歴があったので、なかば反面教師的に、会社を立ち上げた時点で「この業態を継続するかぎり、雇用関係が主従関係に変質してしまうような採用は死んでもやらん」と決めていましたし、

もしも人数が増えるなら、まずはその文化の土壌を築くために、ぼくと互いに率直に意見できる坂本に加えて、その2人の関係や発言にまで物申せるもう1人、という、公正な土台にさらに公正委員会を備えつけたような組織の最小単位を、はじめに築きたいと思っていました。

要は、仕事が属人化していたとしても、他人を巻き込むなら、それなりの敬意を体現しつつ、自分だけじゃなく全体としてハッピーでいられる仕組みを考えましょうよ、って話です。

もし芝を待たず、足元のリソース欲しさに適当な新手を引き入れたら(それがいちばん簡単だしスピーディなわけだが)、"闇"の二の舞 〜 負のループに陥りそうな気がしたので、自身のリソース課題は"とにかくがんばる"という精神論でねじ伏せつつ、"ただ待つ"という選択をしたのでした。

「この人だったら応援できる」がいちばん健全

話は変わるけど、broom inc.では募集こそしていませんでしたが、ありがたいことに、インターンの申し出を中心に、一緒に働きたいと声をかけてもらえることが時々あります。前述の意思決定があることが主な理由で、これまでそれらをすべて断ってきました。しかし、今後はそれらにもきちんと向き合いたいと思っていて、その際の基本方針も大方固まってきました。

たとえば、優秀なデザイナーは成長意欲が高く、「独立したい/自分でやりたい」という思いを抱えているのが普通だと考えているのですが、これまで声をかけてくれた人の中には、その段階でそこまでさらけ出す人はいなかったし、もしぼくも同じ立場なら嘘はつかないまでも、わざわざ自分からは言い出さないと思います。

でもやっぱり、独立がどうとかに限らず、"個々の展望"を互いに触れないまま、過度にドライな状態で仕事をするのが、ぼくはイヤです。なので、経営者としては「独立するまでこの会社で好きにやったらいいよ!」と言えることがいちばんかっこいいと思うけど、一方で、辞めることが決まっている人への投資を実施しにくいのも事実です。

だから、そのかっこいいセリフを余裕で吐けるくらいの超絶売れっ子状態になるまでは扉を閉ざそう、とも一瞬頭をよぎりましたが、今はそうじゃありません。

自社の経営状態や、個人のスキル以前に、「この人だったら応援できる」という関係性そのものがいちばんの資産で、互いにその認識があれば、独立意思の有無やその他いろいろな問題もやわらかく超えていける、と感じています。極端な話、もし会社というつながりが解消したとしても、何かしらで関わってはいるんだろうなーと思える感じ。ぼくにとっては、坂本と芝がそうだし、もし4人、5人と拡がっても、この基準は変わらないかなぁ、と。(→それにより、採用のプロセスで相当な接触回数を経ることになると思うけど。。) それに、そういう人に出会えること自体が稀有とも思っているので、積極的にいろんな人と会いたいです。

仕事は仕事で割り切って、ビジネスパートナーとして在るべきというドライで現代的な説が濃厚な中、ぼくは古くさくもあったかい、こういう考え方の方が好きだなー、と。

すこし話は飛びますが、学生の時、ぼくと芝の同期にあたる友人がいて、彼女はたしか、台湾→カナダ→日本と移り住んできた経緯があり、人生観もとても豊かでした。当時、あまり周りに相談もせず、1人で黙々と課題をこなしていたぼくを見て、どこかの国のことわざだから覚えときな、と彼女が贈ってくれた言葉が今になって、突き刺さっています。

「If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together. ( はやく行きたいなら、ひとりで行けばいいけど、遠くまで行きたいなら、みんなで行った方がいいよ!)」

と、まぁ、そんな具合に、お互いを尊重しつつも「飲みにいこー」→「めんどくせーから、やだわw」と言えるような、やわらかい関係のやつらと一緒に良い仕事をしていきたいと思っています。

親しき仲にも礼儀あり

坂本はbroom inc.を立ち上げる以前からの友人だし、芝も学生時代の同期で友人。「そんな友人ばっかりで本当に仕事になるのか?」と、過程でわりと真剣に悩んだことがあります 。なにせ、そういう俗説をよく耳にするので。

この問いに対する、現在のぼくの回答としては、"まったく問題ない" です。たしかに人によっては破綻する場合もあるとは思うけど、そのそもそもの見極めさえ誤らなければ、具体的には「親しき仲にも礼儀あり」を徹底する、ただそれだけで十分。

たとえば、日常的なことでいえば..、賞賛すべきことは賞賛するし、ダメなことはダメと言う。これはもしかすると、変な気をつかう必要が互いに限りなくゼロな分、友人であることがむしろ強みとして働いているかもしれない。仕事に関して、中途半端は互いに絶対に許さないという文化が育ってきている実感があります。

細かいことでいえば..、芝を誘う際、「友人だから、一緒にやろう」ではなく、会社はこういうビジョンがあって、こういう状況で、これだけのお金は確約するから、うちにきてくれないか?と話しました。

ぜんぶ、至極あたりまえのことだけど、そういう基本中の基本をちゃんとしさえすれば、友人である⇆ない、は全く問題化しないのではないかな、とぼくは思います。

まとめ

いろいろ書いたけど、まとめるとこう→。親しき仲にも礼儀を持ちつつ、応援したいと思える人たちと仕事をして、頑張った人が頑張った分だけ適正に賞賛される、そういう会社をつくりたい、ということ。

なんか要約すると、尚更あたりまえのことを言っている気がするけどw
まぁいっか、おわり。

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