いもまんじゅうの軌跡(修羅の国編)
最初の自己紹介から日にちが空いてしまいましたいもまんじゅうです。
最近日に日に気温が上昇してますね
本日久々の本社出勤だったのですが、外あっつ。的なね。
ということで、誠に勝手ながらワタクシの社会人の歩みを厚かましくも綴っていこうと思います!
新卒での入社からざっくりと時系列順に並べると、
KE社→NH社→CA社→SQ社→GC (イマココ)
となります。
は?ぶってんの?という声が聞こえますねー。
このアルファベット2文字は何を意味するのか。。。
特に壮大なものは込めずに引っ張ります。
定規でこめかみトントンされながら過ごした新卒時代@KE
ワタクシ、オーストラリアの大学に留学をしてまして、卒業後には帰ってきてすぐに就職活動を始めたんですね。
そして50日くらいで内定をもらいましたのですが、そこが早期出社制度、というものを設定していて大学4年の年の7月からパパっと社会人になってしもうたのです。
もっとキャンパスライフを楽しみたかった、、、とぼやいているのも束の間。。。
私の教育担当で女性の先輩がついてくださったんですね。
それはそれは末恐r、とても熱血な御指導とご鞭撻をくださる方で、刃渡り50センチの定規を常に手に持ち、腕を組みながら私の後ろに立つ。
ご鞭撻の際は、そちらの定規でワタクシのこめかみ目掛けてカツーン!っと、失礼、トントン、とミスの箇所をご教授してくださるのです。
おや?定規ってこんな使い方も出来るんだ!と、ワクワクドキドキしながら新しい価値観を教えてくださった、とても素敵な先輩でした。
留学をしており、オーストラリアの大学では英語での授業はもちろんですが、専攻していた学問のジャンルがバラバラだったワタクシは、帰国後の就活では「英語を活かせる仕事」を一つの軸として就活していたんですね。
当時はまだ福岡に住んでおりましたので、結局福岡空港に就航している、韓国系の航空会社に就職することが出来ました。
最初はグランドスタッフの旅客部門で入社、という内定であり、最初の座学とOJT含めて約2週間は、もちろんグランドスタッフの旅客に関しての教育を受けました。
そしてOJTが空けた日の当日。
「お前は貨物だ。」
最初は「お荷物だ」と言われてしまったのかと思い、鳩が豆鉄砲を喰らったとはこのことか、なんてことは思ってないんですが、頭の中は "?" マークでしたね。
そしてその数分後には、刃渡り50センチの定規がこめかみに飛んで来る現実を突き付けられたのです。
「航空貨物」の仕事内容ですが、簡単に言うと輸出輸入の国際貿易の貨物を、航空機に積む指示とオペレーションをする仕事、という感じです。
皆さんが良く登場される航空機は、スパッと真ん中から切ると、画像の様な断面図の構造になっています。
この「コンテナが入るところ」の部分にはご搭乗のお客様のお預け荷物が入るのですが、実はそれって航空機内の本の少しのスペースに収まっちゃうんです。
じゃあ残りのスペースには何が入るの?というところで、航空貨物の登場ですね。
輸出や輸入の製品は品目問わず沢山あります。
それら一つ一つはパッケージ化されある程度の塊になり、それぞれにAWB(Air Way Bill)という名のチケットの様なものが発行されます。
それをこのコンテナにはこのAWBが入っている、みたいな処理を紙とシステム内入力等の作業を通して、まるで荷物のチェックインの様な作業を行うのです。
そして、このAWB達が入った○○番号のコンテナは、この航空機のここの場所に搭載する、という指示書を作り上げます。
これには重量や飛行機のバランスを計算して、安全性を絶対的に担保しつつ、航空機の出発には制限時間がありますので、迅速に、且つ確実におこなう必要があるのです。
最初にも記述したのですが、刃渡り50センチの定g、ではなくて、最初は旅客部門での内定だったので、てっきり接客系に近い仕事をすると想定していた私にとって、貨物部門は未知の領域でした。
もちろん予備知識は無く、毎日毎分毎秒がちんぷんかんぷん。
飛んでくる定規、蹴られるオフィスチェア、浴びせられる罵声。
千葉にある夢の国よりドキドキワクワクでしたね。
そんなこんなな毎日を繰り返し、人って不思議なものですね、その環境に順応するかのように、業務を覚えることと比例して、定規に慣れてくるんですよね。ふっしぎ~
ただ、そんな鬼教官、失礼、ご指導いただいた先輩が寿退社をすることとなり、何故か最後は涙するもんですね。ふっしぎ~
その後も意外と面白さを感じてそのまま続けていたのですが、
「う~ん、やっぱり旅客がしたい」という想いは不思議と消えず、同じ会社での旅客部門への転属を申し出たのですが、受け入れられることはなく。
だったら出来る所に行っちゃお~、ということで人生初の転職をする事になりました。
パイロットになる夢をすぐに諦めた青い翼@NH
人生初の転職。
若い私は愚かでしたね。
「認めたくないものだな、自分自身の、若さ故の過ちというものを」by 赤い彗星のあの人
引用元:URLリンク切れの為画像のみの表示
最初の一社目はシフト制でのお仕事だったので曜日はバラバラの勤務でしたし、もちろんシフトは自分で決めるなんてことは出来ませんでした。
転職活動をしようにも面接の日と出勤の日が被ったりして、なかなか合わず。。
「こがん調子じゃ、転職活動なんかいっちょん出来んばい」
訳:この様な状況下では、転職活動がいっこうに出来ない、ばい。
という事で、「え~い、辞めてから始めちゃえ!」という勢いで、退職願いを出して有給消化中に始めたのですが、その途端に募集がピタッと止まっちゃったんですね。
当時はマジで現職の会社が自分に仕掛けてると思ってました。
もちろんそんなことは無いですし、んなこと言っても時は流れると思っていた私は、何とか色々と調べて、一社ちょうど募集を数日前に締め切ったところがあったのです。
皆さんご存知、日本の2代大手航空会社の青い翼の方の会社です。
募集は数日前に締め切ったけど、、、出すだけタダや!と思って、HPで検索した住所宛に直接郵送。
届いた頃かもしれん!というタイミングで直接電話をし、当時なんと言ったかは覚えてませんが、
「では、選考に進めさせていただきますので、○○に関して案内させて頂きます」
という返答の元、面接をしてもらえたのでした。ふっしぎ~
ご存知のようにとっても大きい会社で、どこで誰がどのように判断して通してもらえたのかは、当時の採用部署にも聞いてみたのですが、よくわかりませんでした。
そして当時の選考内容は筆記試験と、面接はグループディスカッションと個別面接。
今考えればそこに拘る必要は無かったのですが、後が無い!と結構焦っていたワタクシは、全力で挑みました。
そして無事に内定を頂き、青い翼とともに旅客の仕事をする事になったのです。
一緒に入社した同期は約20名、内男性はワタクシ1人。
よくハーレムの様な素敵な職場、と言われるのですが、まず男性として見てもらえません。
厳密に言うと、「オス」として見てもらえない、という表現が正しいかもしれません。
「男性だから」「男でしょ」「男性なのに」
男性という存在は航空業界の現場ではとっても大きい存在なんですよね。
マイノリティ性があるがゆえに発生することが沢山あります。
今考えると完全にセクハラですが、当時のワタクシにとっては、定規で叩かれないだけで、全然天国の様な環境でした。
「責任なんか持てる立場じゃないペーペーだけど、これしきなら全然平気っすよ!!」
という感じ。
仕事内容も、皆さんご存知のグランドスタッフ。
手荷物預けて、チャックインする時にお話するあの係員の方たちのお仕事ですね。
その他にも搭乗口での案内、旅客機の出発に於けるお客様のケアや案内全般、到着されるお客様のお預け御手荷物をスムーズに返却する為のオペレーション、クレーム対応、その他もろもろの業務。
少し年次が上がったりするとそれをスーパーバイズする業務も入ってきたりします。
そしてワタクシは語学の面から、国際線の配属でした。
そんなこんなで英語と日本語で同僚の人たちと楽しく仕事をし、という日々を過ごしていく内に、次第に航空機の仕組みや、空港の仕組み、航空法なんかを調べる様になりました。
気になると調べて勉強したくなっちゃう性分でして。
そしたらある日、セスナ機(小さい民間用の飛行機)のパイロット免許を持っている方と偶然知り合う機会があったんです。
「パイロット目指さないの?」
特に「パイロット王に、俺はなる!!ドンッ」みたいなことは考えた事なくて、気になるから調べる、勉強する、覚える、という知的好奇心を満たす為に覚えてた知識から、その方との話が盛り上がり、そういった一言をきっかけに、「パイロット、目指すのアリかも」みたいな感じで勉強を始めたんですね。
ところがどっこいしょ、現実そんなに甘くはない。
日本でもパイロットの資格を取るには、最安値でも1000万円かかっちゃうんです、当時は。
そして年齢制限付き、その1000万円で取る資格を満26歳までに取得が必須条件。
当時目指そうと思ってころのワタクシは25歳。
そう、一年以内に1000万円かけて血反吐の出る超難関資格の取得をしなければならないことが判明したのです。
博多ラーメン食ってる場合じゃねぇ!!!
ということで、諦めました。
うん、そこまで熱意というか、覚悟がなかったんでしょうね。
ほんと、本気でパイロット目指している方々には、オデコ磨り減るくらいまでの土下座レベルで申し訳ないくらい軽い気持ちだったんです。
「頑張って勉強すればいける!」という、世界ではなかった。
本気で目指している場合は早くて高校生の頃から、航空大学校に入るための勉強と、それに見合った勉強代を支払っているのです。
ちなみにこの数年後には、「パイロット不足」というニュースが出たように、パイロット人材の育成に力を入れるべく、日本でのパイロット資格の取得に関する条件が大幅に緩和され、もちろん努力は必要ですが、今では大分色んな人が目指せる世界にはなりました。
ただ、挫折と呼べるほどの大きなショックではなかった為、引き続き自身のキャリアの事を考えながら、グランドスタッフのお仕事を毎日務めていく日々を過ごすことになるのでした。
そうやった経緯を経て、いもまんじゅうのパイロットへのキャリア進行は早々に幕を閉じたのです。
2社分をサクッと書くつもりでしたが、いざこうやってストーリー的に書いてみると意外と長くなってしまいました。
この続きも需要はあるか分かりませんが、この様に書いてみたのは初めてなので、2部構成にして続きをまた別のnoteで書いていきたいと思います。
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