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10年

あの日から10年が経った。
いま、僕は漫才のネタを作っている(披露する機会があるのかどうか定かではないのだが)。

2011年、僕は自由通りのシェアハウスに住んで、神楽坂のちいさな編プロで働いていた。
震災後、シェアハウスの連中や、支援活動に行きたくても行けない人たちと一緒に(当時、石巻での支援活動に参加するためには様々な条件が多かった)大きな車を調達し週末を利用して石巻で災害支援活動を行っていた。

「ポジティブを届ける」

とてもデリケートな部分に踏み込んだ合言葉の下、僕らは石巻に通った。

シェアハウスでは居酒屋の運営もしていたので、食材をもって炊き出しをしたり、近隣で集めた物資を届けたり、泥かきや企業再建のお手伝いをした。

災害支援活動を続けるうちに自分の中で、多くの気づきと考え方が生まれ、それは僕の核となり、尾道という町に引っ越すという行動を起こし、想像もしていない10年を過ごすことになったのだが、この10年が自分にもたらした変化や出会いは、とてつもなく大きい。

10年。

「ポジティブを届ける」という支援活動において、フジーコージとラブファイターズというコンビを組み、小学校で避難生活を送る石巻の人たちに漫才を披露したことを思い出す。

自分の出来ることをやる。

「出来ること」の方向性が間違っているかもしれないが、正誤よりも大事なことが(明確にコレと言い切れないが)あったから「漫才を届ける」という奇天烈な表現に踏み切れたんだと思う。

石巻に着いて朝、小雨が降る中ネタを練習し、日中に泥かきをし、夜は自衛隊の用意してくれた風呂の中でネタを練習し、日曜の午前中に、避難所である小学校に向かった。
「いま、お笑いは必要ないんじゃないか、不謹慎だとヒンシュクを買うのではないか」と怖くなりながらも、2か月の避難生活を送る人たちの前で(確か5月に行った時だったと記憶している)漫才を披露したのだ。

「どーもー、ラブファイターズですー」

もちろん誰も知らない(芸人さんですらない)コンビの漫才が少し重い空気の中はじまった。

「それは力士やがなー」

クスクスと笑い声が聞こえ、緩んだ頬を目にした時、涙が出るほど嬉しかった。

「ども、ありがとうございました」

ナイアガラの滝を彷彿とさせる僕の脇汗。
子どもたちは「ペロタンやって~」と駆け寄ってくれて、一生分のペロタンをやった。
あるオジサンは「グルテンの毒を吐くあの態度が好きだな~」なんて、大真面目に分析していてワロタ。

誰かに何かが届くというのは、難しくもあるが、とても素晴らしいことだ。
僕は幸運にも直接それを体験することができたのだが、僕らに託してくれたトイレットペーパーやお金、衣料品や想いは確実に届いているのだ。

愛されるではなく、愛す。
また、これに繋がっちゃうんだけど、そーゆーことなんだろう。

そしてまた
10年、50年、100年、その1日、この1秒を僕らはどう過ごすんだろう。

なんてことをTHINKした。
3月11日は、少し立ち止まって考える日、僕はそう思っている。

YOU THINK

今晩のおかずのことでも、気になるあいつのLINEの返信のことでもいい。
少し立ち止まって考えて、その過去とあの未来の間に現在があるということに、僕は感謝する。

さて、引き続き漫才のネタでも考えます。

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