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田舎暮らしの良さってメリデメでは語れない気がする

長野に住んでいて「いいよね〜」。よその人によく言われる項目。

空気が美味しい
水が美味しい
自然がいっぱい
緑がいっぱい
食べ物がおいしい
人があたたかい
子育てしやすい

移住者も多いし(ちなみに私もうっかり移住者だった)、田舎っていいよね!と言われることも多いけれど、そして私もこの地が大好きだけど、どうもしっくりこない。自分の心の声に耳を澄ましてみると実際にはこんな感じだった。

アウトプットすると整理されるかなぁ……(図解練習中)

空気がおいしい
……と思ったことはない。だって空気だよ?空気の味ってどんな味?息してるけど空気って味わってないよね?ふつう。

水が美味しい
ちょっとあるかも。だけど、気づくのは他所に行ったときくらい。
水が美味しい=田舎いい!住みたい!ほどのモチベーションには……なるのかなぁ。疑問。

食べ物がおいしい
入手できるものによるのでは?宅配もあるし。産直もあるし。
まぁ美味しいものに出会える確率は高いかもしれない。直売所いくつかあるし(でも当たり外れあるよ?)。
美味しいというより、農作物が近所から攻めてくるのは確か。
突然大量に!だから献立変更を余儀なくされること多い。今はタケノコと山菜。夏はスイカ。スイカ割りって割らないとやっていけないから生まれた儀式なのかもしれないと本気で思った。

自然がいっぱい
……山はある。確かにある。そこにある。だけどあるだけだよ?

緑がいっぱい
都会の公園の方がよっぽど整備されててきれいな緑では?
草を見ると敵だと思ってるけど?

人があたたかい
人による。近所にはいい人もいればとんでもない人もいるし。うまいことやっていくしかない気がしている。

子育てしやすい
確かに散歩する場所には困らない。でも行政サービスについては別問題。ちなみにご近所さんに預けるという選択肢を考えたことはない。共働きなら普通に児童館に行くのでは?そしたらそこの環境次第だし。

うーん、あんまり魅力的に思えない。というかツッコミだらけで笑えちゃう。それなのに住むのにはめっちゃいいところ!という実感があるのはなんでだろう。ここが好き!と思うのはなんでだろう。項目で挙げると、確かに上記のようなことなんだけど、文字にした途端色褪せてくる感覚はどこから来るのだろう。

おそらく利便性、暮らしやすさ、選択肢の多さで考えると都会の方が絶対にいい。普通に考えて、それらのメリットが「自然ってなんかいいよね」の「なんか」を凌駕することはない気がする。

じゃあこの「なんかいい」はメリットデメリットの尺度では測れないナニかなのか……。

今の場所(程よい田舎)で10年ほど暮らしてみて1つだけ言えるのは、日々の何気ないシーンで「理由を考えすぎない求めすぎない」「その中で自然な方を選ぶ」ということが身についてきて自然に暮らしている感覚はあるということ。無理して生きている感じはあまりしない。最大の変化は旬と季節の移り変わりに敏感になったこと。お日様が出ると、おはよう世界!的なことを言いたくなっちゃう(どうかと思うので心の中に留めている)。散歩も好きになった。でもメリットデメリットの理論の中では「その程度のことで……」なんだよなぁ。そういう価値観とは違う軸で生きているんだろうけれど、どう違うかをまだうまいこと説明できない、可視化できない。

と思いながら、庭の草をむしっていた今日。これも近所の目があってやっている側面もあって面倒なはずなのに、なんでか幸せにつながっているはずのこと。

なんでだろう。
図解してみてなんか糸口が掴めるかなぁと思ったのだけど、掴めなかったなぁ。

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こちらのnoteはアラフォー子育て中、自営業専従者(農家)の私が、本業以外の領域で自分のためのキャリアチャレンジをするために始めました。今のところ変な意地で毎日noteを更新してもうすぐひと月。キャリアのことを模索しながら、同時にnoteを続けながら幸せになろうともがいている記録。具体と抽象のあいだをウロウロする癖がありますが、それもそのままにもがいています。キャリアチャレンジも突き詰めていくと幸せになるため!と開き直っています。
このnoteをはじめた当初はデザイン系で副業を!と思っていたのですが、「副業」がゴールではなく、今は「自分の看板を立てる」ことを大目標に設定し直しました。副業、本業も含めたキャリアチャレンジみたいなところを探っている感じが今。だから小手先の技術よりも、気になったことに首を突っ込んでみて知見を広げることをまず重視しています。図解というかグラレコというか…をやってみたいというのもその1つ。そういうのに興味を持ち始めた記事はこちら。


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