嘘の行方


「最近恋人が出来まして、なんと結婚することになりました」友達にメッセージを送った。

そう、四月一日。一年の間でクリスマスの次にワクワクする一日。エイプルリフール!

この日だけは大事な人にも大嘘をついても許される大大大イベントだ。今年はどんな嘘にしようか悩んだ結果、恋人ができスピード結婚したというネタを思いついた。

「てかさ、自分でもびっくりしてるねんけど、最近恋人が出来まして、結婚することになりました!」

「え、どゆこと?」

「え、ほんま?」

「え、どゆこと?大丈夫?」

「本のタイトル?」と立て続けに送られてきた。

本のタイトルは不覚にも笑ってしまった。確かにありそう。だとしても私のオススメの仕方が雑すぎる。もっと丁寧におススメくらい出来る。彼女はエイプルリフールの存在を全く忘れているみたいだった。一向に気付く気配がなかったので、今日が四月一日だという事に意識を向かせようと、

「てかさ、最近日付け感覚バグってきててさ、今日って何日やっけ?」

「え?大丈夫?しんどい?え?」

「え、ちょっとまって、、、」

「やられたあああああああああかあぁああ」

という感じでやっと気付いてくれました。日付の感覚が無くなったという私の発言に、ストレスやらなんやらでやられて、どうでもよくなり、血迷った結果、急に結婚したのかと思ったらしい。確かにこの間会った時はそんな話は一つも話題にしていなかったが、しんどい?って聞いてきたのはそういう事か。そんな考えに至る友達がほんとに面白くて最高だな〜。と思った幸せな一日でした。来年も忘れててね。


こういう種類の嘘は本当に楽しいと思ってしまう。ドッキリとかサプライズの嘘とか。嘘で後悔した事と言えば、小学生の頃に沢山あったなと思う。

ある日、同じマンションに引っ越して来た人が、引っ越しの挨拶でお菓子を持って来てくれた事があって、「下の階に引っ越して来たものなんですけど、これ良かったら」というやつで。

母は、お返しでと、家にあったちょっとしたお菓子を渡していた。

私の家では、お小遣いは駄菓子屋さんに行く時に一日100円と決まっていたので、駄菓子屋さんに行っても10個しかお菓子が買えないし、一つ30円のお菓子を買ってしまうともう三つくらいしか買えない。それが凄く嫌で、悲しくて、どうにかしてお菓子をもっと沢山ゲット出来ないかと頭を悩ませた。そして思いついたのが、この日の出来事を再現したらいいのではないか.... と思ってしまった。

一人で行う勇気は少しも無かったので、周りの友人達を集めて「お菓子が沢山貰えるから」という理由でみんなを見事にいざなう事に成功した。小学生には充分すぎる魅力要素だった。私の家からも、みんなの家からも、駄菓子屋さんからも少し離れた軒並みをターゲットにすることにした。


私はみんなの先頭に立ち、出来るだけ堂々さを装った。そしておもむろにチャイムを押した。

「はーい。」「あ.... こんにちは!近くに最近引っ越してきたものです。」

優しそうなおばあちゃんが出てきた。不思議そうに私達を見て、「わざわざ挨拶しに来てくれたの?」と笑ってくれた。

「そうなんです。あの...。よろしくお願いします!!!」とお菓子も洗剤も何も渡さずに、頭だけ下げた。

「わざわざありがとうね。偉いね〜。ちょっと待っててね!」と言うと、おばあちゃんは家の中から沢山のお菓子を手に抱えて、「みんなで食べなさい。また遊びにきてね。」と言って優しく笑ってくれた。


いつも集まっていた駐車場に集まって、それをみんなで食べた。パーフェクトクライムだった。任務は完了された。本当に美味しいお菓子だった。おばあちゃんのあの優しい顔だけが忘れられなかった。これだけは未だに馬鹿な事をしたなと思うし、本当に嘘をついた事をおばあちゃんに謝りたい...。みんなを巻き込んでしまったことも謝りたい。みんなも美味しそうに食べてたやんとか絶対に言わない。


まず何でこんな事になってしまったんだろう。食べ物への維持が凄すぎる。そこまでして欲しかったお菓子への執着心、謎の行動力が恐ろしい。

もっと小さい頃に、友達と遊んでいたら、誰かが飴ちゃんをくれた事があった。私一人に何故かくれたのだった。

誰かから何かを与えて貰った時は、絶対にお友達に分けてあげなさい。独り占めはしたらあかんよ。自分がされて嫌な事は絶対に人にしたあかん。物心ついた頃から、母が私に言い続けてくれていた事だった。一瞬考えたが、これは流石に分けなくていいだろう、と思い食べようとした。

その時それをどこで見ていたんだ母ちゃんが、凄い勢いで、「桜!飴ちゃん分けてあげなさい!二人に!」と叫んできた。

訳が分からなかった。飴ちゃんだぞ。どうやって分けるんだよ。物事には限界というものが存在してだな、と小さいながらに思った。友達の顔を一瞬伺って見たけど、別に欲しくなさそうだった。母は飴ちゃんを私から奪い取り、歯で割ってみせた。恐ろしかった。私は泣くことしか出来なかった。

あの飴玉事件があってから、単純に食べれる時に食べとかないと精神と、貰えるものは貰っておけ精神が肥大化してしまった。そしてこれは肥大化した成れの果てなのですが、もう小学生でも何でもない今でも、居酒屋とかに行くと、レジの所にたまに飴ちゃんとかガムではなく小さなクッキーや、チョコなどが置いてあるお店がある。

本当に魅力的なお店だと思う。そしてご自由にお取りください♪とか書いてくれている。本当にご自由に取ってしまう。「ちょ、本間に恥ずかしいからやめてそんな持って帰らんといて」と友人に言われた事が何度もある。


でも流石に最近は、これは一つとは書かれていないけど、大人なら分かれよと言われているのだ。つまり人間力が試されていると言う事だし、それに私が三つも四つも取ったら、他の人の分が無くなる。そして防犯カメラを見たバイトの大学生にきっと笑われる。お金が無いと思われる。と自制出来るようになりました。どうしても食べたい種類が二つある場合は二つ取っていますが、最近は一人一つをきちんと守っています。

それに昔に比べたら、本当に大人になれたなと思う。実感が確信としてある。昔だったら、美味しいケーキとかちょっとちょうだい〜と言われてもあげるのが惜しかった。今なら美味しかったら、相手にも味わってみて欲しくなって、食べる?と聞いている。

大人だ。これこそ大人だ。幸せを分かち合いたいという感情から来ている行動だ。大人の人達にそれ少しちょうだい!と言うと、「好きなだけ食べ」と言ってくれてた気がする。小さい頃は何も思わなかったけど、何ならお腹いっぱいになったんかな?とか思ってしまっていたけど、あれは大人の余裕だ。あれこそ優しさだったのだ。なんて子供だったんだ。私は。

母ちゃん。母ちゃんはこれを私に教えたかったんですね。幸せは独り占めするものじゃなくて、誰かと半分こして、与えて、広げていくものって事を教えたかったんですね。娘、ようやく分かった気がします。流石に「好きなだけ食べや」という台詞は、まだ言えないかもしれないですが、分け与える精神はきちんと備わってきています。いつか、好きなだけ食べや。何なら全部食べていいよ。なんて言える懐の大きい大人になれたらいいなと思います。そして嘘をつかない人間でいます。ps.カフェの美味しいケーキは大体小さいです




























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