教師の存在意義について
先日、ゼミ内でこんなお話をしてました。
「AIは善か悪か」
いろんな意見が出る中で、あるゼミ生が
「AIの台頭によって、例えば、教師っていらなくなると思うんだよね。」
と言っていました。
果たしてそうかな?
私はすごく疑問に思って、そこから長い長い議論が始まりました(笑)
これが私が所属するゼミの日常です。
議論が長い。みんなすごく語る。たのしい。
最高なゼミなのです。
さて、そこで私が主張した教師の存在意義。
確かにAI技術の普及や、ITによって実際に「スタディサプリ」などの教育アプリが充実して、勉強を教えてもらう分には、下手したらそこらの教師よりも質が良く、効率的に学べるものができていると思います。
しかし、教師が存在している1番の意味は、
学生に社会を教えること
なのではないかと私は思います。
なんのために部活に入るのか、班活動をするのか、
それは集団生活という、社会で生きていく上で避けられない道理を学び、慣れるためだと思います。
しかしポンとその集団に入れられただけでは、子供たちはなにもわかりません。
それをうまく導き、経験を踏まえて社会を教えていくのが教師の仕事なのではないでしょうか。
教師の仕事はもちろんそれだけではありません。
たくさんあります。
それによって、教師の重労働や長時間の残業が強いられています。
じゃあ教師のお仕事を細分化して、技術に頼れる部分は頼る。人間が必要な仕事は人間が担う。
それがうまく役割分担できれば、教師ってもっと有意義な存在になるのでは?と思うんです。
授業はオンデマンドの動画によって行えばいい。
でもそのフォローは人の目が必要。
部活動のマネジメントはAIがやればいい。
でも人間関係や個人の悩みは先生が介入したほうがうまくいく。
このようにテクノロジーと人との共存によって、絶対もっとうまく社会が回るし、現存の社会問題も緩和されるはずです。
これは教師だけの話かと言ったらそうではないです。
全ての業界、職種について言えること。
私はそのテクノロジーと人との共存を推進したいし、社会をいい方向に変化させたい。
ここ最近毎日こんなことばかり考えてます。
頭おかしくなりそうです(笑)
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