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人生の選択、後悔していますか?

こんばんは、コジコジです。

夜です。雨が降ってきました。明日的な今日は大雨になるみたいです。怖いですね。最近は日本中コロナで手一杯ですけど、こういうタイミングで大地震とか記録的豪雨が起こったらどうなるんでしょう。コロナで大変だからと言って、大地震が起こる確率が下がったりはしません。自然災害に対しても常に気を引き締めていきましょう。

突然ですが、後から自分の人生の選択を後悔することって誰しもありますよね。あの時ああしとけばよかった、とか。僕はあります。人間って生きる上で常に無意識のうちに選択をし続けているらしいです。確かにそうですね。調べてみたら、大体1日で9000回も選択をするみたいです。すごい。その1個1個の選択が自分の人生を決めていくわけですが、その全ての選択は正しい(納得している)か間違っている(後悔している)か、どちらでもないかの3種類に分類できます。それはそう。皆さんは3種類のうち、どの割合が1番大きいですか?たぶん、今成功している人間は、正しい選択をした割合がきっと高いでしょうね。もしかしたら、今成功していても、人生規模の大きな選択が正しかっただけで、日々の些細な選択には後悔してばっかりの人もいるかもしれません。このように日々の選択の正答率を改めて考え直すことは、自分の人生を客観視することに繋がります、たぶん。

私たちの生きる社会では、負け犬には発言権がありません。もちろん社会的敗者にも人権はありますし、政治に参加する権利もあります。しかし、発言権がないというのはそういうことではなく、社会的敗者が何を言おうと、全く説得力がなく人は聞く耳を持たない、ということです。先程の人生の選択の正答率の話にもこれは当てはまります。社会的敗者が「自分は常に正しい選択をしてきた。」と言っても、誰も信じません。むしろ、現状人生の負け組なのだから、逆算的にその人は人生の選択を間違え続けてきたと仮定するのが妥当ですよね。逆に、成功している人が何と言おうと、客観的に見てその人の今までの選択は正しいと評価されるでしょう。つまり、1日9000回もの選択を繰り返す人生において、今までの選択の正誤は現状の結果によって逆算的に評価されるものなのです。現在ニートで何も誇れることがない人間は、例えその人の中で若い頃に誇れるような選択をしていたとしても、結果的にその人の人生の全ての選択が間違いなのです。当時は正しい選択だったのかもしれませんが、その選択が連鎖してマイナスの現状に結びついているので、何と言おうと全て間違いであり、後悔するべき選択をしてきたのです。

そう考えると、人生って本当に結果が全てですよね。人間は毎日9000回も選択を迫られますが、今が負け組ならその9000個全ての選択を間違え続けてきたと言っても過言ではありません。1日9000回なので1年で3285000回です。僕は今22歳なので、本当にざっくり言うと人生で72270000回もの選択をしてきたわけです。72270000回の選択全て間違いだったと思うと、本当に死にたくなります。たぶん、友達のあの子や先輩のあの人よりは今までの人生の選択、全問不正解の可能性が限りなく高い僕ですが、何とか生きてます。

できることなら何の選択もせずに1日を過ごしたいですね。ずっと寝てたらいいのでしょうか。でも寝るか起きるかで寝ていることを選択しているので1回の選択にカウントされてしまいますね。後々これらの選択が全て間違いだったと烙印を押されると考えると、選択をすることが怖くなります。それでも、人生の選択は常に私たちに迫ってきます。

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