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ペドロとイネスと共に栄華を伝える修道院

アフォンソは息子のペドロをコンスタンサ・マヌエルと結婚させる。ところがペドロはコンスタンサの女官イネス・デ・カストロに恋をして不倫の愛に溺れる。アフォンソは当然ペドロに関係を断つよう迫るが、ペドロは聞き入れない。コンスタンサはフェルナンドを出産したが早世する。その後、ペドロはイネスとの間にも子供が生まれた。

アフォンソは、公務をないがしろにして、イネスとの愛の生活を送るペドロに絶望し、とうとう家臣にイネスを暗殺させまする。絶望したペドロは、その後二度と結婚せず独身を通す。

このお話はノンフィクションです。
ポルトガル文学や舞台芸術にも登場するお話です。

アフォンソ・・・・第7代ポルトガル王国の国王アフォンソ4世
ペドロ・・・・・・第8代ポルトガル王国の国王ペドロ1世
コンスタンサ
・・・カスティーリャ(後のスペイン)王族
イネス・・・・・・コンスタンサの従姉妹で女官

ペドロ1世の死後、ポルトガル中部に流れるアルコ川とバサ川に沿って発展してきた街、アルコバッサに建てられたサンタ・マリア・デ・アルコバッサ修道院に、ペドロとイネスは今もなお、二人仲良く並んで眠っています。

アルコバッサ修道院は、ポルトガル王家と深いつながりがあります。
ポルトガル王国の第9代国王までのボルゴーニャ家は、フランスのブルゴーニュ出身。

ブルゴーニュポルトガル語で、ボルゴーニャ

初代 アフォンソ1世・・1139年~1185年
2代 サンシュ1世・・・1185年~1212年
3代 アフォンソ2世・・1212年~1223年
4代 サンシュ2世・・・1223年~1247年
5代 アフォンソ3世・・1248年~1279年
6代 ディニス1世・・・1279年~1325年
7代 アフォンソ4世・・1325年~1357年
8代 ペドロ1世・・・・1357年~1367年
9代 フェルナンド1世・1367年~1383年

そして、フランスのブルゴーニュ地方は、ベネディクト会から派生した、シトー会発祥の地です。

サンタ・マリア・デ・アルコバッサ修道院シトー会修道院の宗教建築物。壮大な規模と優れた建築資材、繊細な建築様式、典型的なゴシック建築の傑作です。

ブルゴーニュで発展した美学的技法が伝授され、フランスのフォントネーにあるシトー会初期建築物をモデルにした、禁欲主義の精神が顕著に残されています。また、回廊、礼拝堂、客室、寄宿舎、食堂、洗面所、厨房が備わっています。

ポルトガル初代国王、アフォンソ1世の所願により建てられた、

アルコバッサ修道院は、

1989年 世界文化遺産に登録されました。

初代国王のアフォンソ1世の父がレコンキスタに参加するため、フランスのブルゴーニュからイベリア半島に来ました。ポルトガルのギマランイスで生まれたアフォンソ1世は、父の後を継ぎ、当時のスペイン、カスティーリャ=レオン王国との難しい問題を解決しながら、レコンキスタを進めて行きます。

1147年サンタレンでの勝利に続き、リスボンまでを奪回した後、ポルトガル王国の確固たる地位を築くため、レコンキスタを無事に終えられるため、シトー会と十字軍に捧げる意味を込めて、アルコバッサ修道院を、1178年に建築を始めました。

その後、ポルトガルは、スペインよりも早くレコンキスタを終え、スペインよりも早く大航海時代を始めます。

アルコバッサ修道院は、勇敢でパイオニア的な役割を果たしながら、中世ヨーロッパの発展を支えたポルトガルの過去の栄華を、今も仲睦ましく眠るペドロとイネスと共に、これからも、世界に伝えて行くことでしょう。


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