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「国際協力」を仕事にしたい あなたへ

国際協力にあこがれを持っていて、これから国際協力の仕事に就きたいと思っている人たち向けに、国際協力業界で働く私から重要だと思うけど、誰も言わないことをお伝えしたいと思います。すでに就いている方も参考にして頂きたいです。

「国際協力」の仕事には大義が内在化されている

公共性の高い仕事は大体何でもそうですが、その仕事自体に大義が内在しています。

大辞林によれば、大義とは以下のような意味です。

①人間として踏み行うべき最も大切な道。特に、国家・君主に対して国民のとるべき道をいうことが多い。 「悠久の-」 「 -にもとる」

②重要な意義。大切な意味。 「 -を忘れて小威儀に滞ると/十善法語」

だから、自分自身でその仕事の意義や意味を問い直さなくとも、社会に貢献していることを自然と感じることが出来る。

ミュージシャンになりたいことを親に伝えた時には反対されるけども、警察官や教師、消防士、医師、などの公共性の高い仕事に就きたいと言っても反対されることが極めて稀なのは、問わずして社会的な貢献度の高い仕事であることが共通理解としてあるからです(もちろん収入が不安定とか、そういうこともありますが、公共性の高い仕事や社会的な要請が大きい仕事は食いぱぐれることはないので、同じロジックです)。

国際協力の仕事も同じです。JICA職員も国連職員も開発コンサルタントもNGO職員も世界の社会課題を解決するために存在している仕事であって、それらの大義や社会性については語る必要がないほど高いものです。

でも、社会通念として自明の大義にもたれかかって仕事をしていると、その仕事がいくら公共性の高い仕事であったとしても、意味性を見いだせずに心がぽっきり折れるときがきます。その時に精神的支柱になるのは、あなたにとっての仕事の大義です

人身売買された少女を各村々へ戻すNGO活動

私の友人でネパールから人身売買されてインドへ売られる女児たちを、現地警察と連携し、国境沿いの町で水際で食い止め、元々住んでいた村々の家族のところへ戻すというNGO活動をしている友人がいます。

ある時、彼から泣きながら電話がかかってきました。

家族から売りに出された女の子を家族の元に戻しても、家族がその女の子を受け入れてくれることは、ほとんどなく、結局 元来た道を戻ってインドの国境の町まで戻ってくることになるのだと彼は教えてくれました。そして、彼は、その女の子を2回絶望させているのだと言いました。家族に売られた1回と受け入れてくれなかったもう1回。

売られた絶望から奇跡的に助かり、大きな安堵と共に、また家族と暮らせることを楽しみにしながら、家族の元へ戻る。しかし、村に着いたら、家族は受け入れてくれない、目も合わせてくれない。僕は、2度家族から見放された、その女の子がインドの国境の町まで戻ってくるその間、車の荷台で彼女がどんな気持ちであるかを想像すると、悲しくてやりきれません。

投げたボールがすぐに跳ね返ってこない仕事

国際協力の仕事はインプットしたら、すぐにアウトプットが出るような そういう仕事ではありません。それは、他の公共性の高い仕事でも同じです。

教師だってそうです。クラスの問題を抱えた子どもを指導する、でもその指導の結果が いつ、どのような形で開花するかはわからない。でも、いつか開花する瞬間が、わかってくれる瞬間がくると信じて全力で子どもに向き合うのが教師です。

キャリア官僚だってそうです。今回の緊急事態宣言や一律の現金給付、これらを素早く適切に運用するために血みどろになって働いているのだと思います(それらの政治的判断についての是非には触れませんが、どのような主張があるにしても、一生懸命働いていることは事実ですし、政治的主張とは別にそこに想いを寄せられないのは想像力が欠如していると思います)。でも、それらの運用が為されている場面に直接居合わせる事は無いし、それらで助かった人たちから直接感謝を受ける事も無い。それでも、日本国民のためにギリギリの状態でも、なんとか回していくわけです。

こういった仕事において、壁にボールを投げたら、その直後に跳ね返ってきてボールが手元に戻ってくる、そういうことはあり得ません。投げたボールはいつ返ってくるかもわからない、そもそも生きているうちにボールが手元に返ってくるかどうかもわからない。そういう仕事なのです。

先のインドの友人はそのNGOを始めたのは、人身売買を食い止めるためだった。食い止めたら、人身売買された子どももそのお父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも妹も泣いて喜んでくれる、自分はその地域の人身売買の子どもたちしか救えないけど、少なくともその地域における人身売買の問題は解決できると信じていたわけです。でも、現実はそうならなかった。感謝されるどころか、その場にいる誰も幸せにならないような状況を引き起こすことになってしまった。

それでも辞めずに続けるために

人身売買をなくすためにはそうした草の根の活動が絶対に必要です。こういったNGOの現場レベルの努力の積み重ねが世界をより良く変えてきました。でも、その過程には何のやりがいも見いだせないような、今すぐにでも逃げ出したくなるような瞬間がいくつもあるのだろうと想像します。そんな時に、その仕事自体に内在化された「ありもの」の大義にもたれかかっていては心は折れます。だって、目の前の事だけ見たら、何のやりがいもないから。

それでも続けていくためには、「自分はなぜこの仕事をしているのか」をあなたの言葉で説明できないといけない。どこかの誰かに与えられた大義ではではなくて、「あなたの大義」である必要がある。

それが出来れば、目の前にはだかっている大きな課題のその先にかろうじて希望を見出すことが出来る。インプットしたらすぐにアウトプットが得られないような仕事を生業とするのであれば、目の前の状況がどれだけつらくても、悲しくて、嫌で嫌でたまらなくても、自分の大義に基づいた大局観を持てなくてはなりません。その大局のうちに、今この瞬間を位置づけるという仕方でしかやりがいは見いだせないからです。解釈の次元を一つ繰り上げにする必要がある。

今この瞬間を切り取ったら、家族から見放される絶望を二度も経験させてしまっている、誰も幸せを見出せない。それでも、きっと未来に人身売買が世の中からなくなって、家族が家族として暮らしていける、そんな世界が実現できると信じる。

今この瞬間は、そんな世界に至るためのなのだと、そのように認識しないと続けてはいけません。

だから、国際協力を仕事にするのであれば、長期的な視座で物事を見て今の状況を全体のうちに位置づける能力が絶対に必要です。それは、語学力や学歴、現地経験とか、そんなことよりも圧倒的に重要な能力、姿勢だと思います。テクニカルなスキルなんて、頑張れば身に付きます。

それでは、アディオス!

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