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僕が「国際協力」を仕事にした理由(#1不登校の妹)

今日は、どうして僕がこの業界で仕事をしているかそのきっかけをお話したいと思います。

不登校の妹

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中学生の時に、妹が不登校になりました。理由は知らないし、聞かないけど、ある日突然に学校に行けなくなってしまった。母親はいわゆる「教育ママ」でしたから、偏差値の高い学校を出て、大学を出て、良い就職先に就職する、そういうことが僕たち子どもにとって幸せなことだと心底信じていました。子どもの頃は、勉強については厳しく指導されたし、勉強しないとヒステリーになって叱られたりもしました。

そんな折、娘が突然学校に行かなくなる。母親にとっては、青天の霹靂だったと思います。自分の愛する子どもが幸せを手に入れるはずのルートから逸脱して、学校に行けなくなってしまった。そんな娘を前に、我が娘をどう理解したらいいのか、それまで信じていた価値観をどう捉えたらいいのか、それを考えるのは母親にとって本当に苦しいことだったんだろうと思います。

その時に、娘が置かれた、学校にいけないという状況を理解するために、母親はこれまでしがみついていた価値観をかなぐり捨てて、娘の「今」に目を向けることに決め、とうとう「学校に行かなくてもいいよ」と心の底から言えるようになった。それは、一人の人間として、とても尊敬することだし、そんな母を持って誇らしいと思っています。念のため、断っておきますが、学校に行きたくないのであれば行かなくても良いということが正しいと思っているからそう思うのではありません。これまで信じてきた価値観を、今目の前にいる娘を愛するために捨て去ることが出来る、そこに尊敬の念を抱きます。

こう言葉にしてしまうと、案外すんなりと母親の価値観が変わっただけの話なんですが、そのプロセスにおいては地獄のような毎日がありました。妹が包丁を持ち出して「もう死ぬ」と言ったり、毎朝玄関で行く行かないで怒号が飛び交う。僕と弟は、それを横目で見ながら、家を出て学校へ行っていました。

そんなことを毎日繰り返して、いつしか妹のせいで家族がばらばらになってしまったんだと思うようになっていた。妹のせいで親がけんかするんだと思っていた。家族の不和はすべて妹が生み出したものだと、妹が憎くて憎くてたまりませんでした

ある日、妹が親と外出しているタイミングで、漫画を借りようと妹の部屋に入った時、妹の机の上に日記を見つけました。何の気なしに、ぱらぱらと見ていると、あるページを境にして、毎日「学校に行きたい」と書いてあるのを見つけました。毎日毎日「学校に行きたい」と書いてある。それを見て、今までの自分の行いを心底、悔い恥じました。世界にたった一人の妹が悩み苦しんでいるのを近くで見ているのに、兄として自分が何ができるかとは考えずに、それには巻き込まれないようにしながら、全部を妹のせいにしていた自分に対して情けない気持ちでいっぱいになりました

翌朝、これまでとは違う心持ちで玄関で親と行く行かないを繰り返している妹を見ると、そのランドセルにはきちんとその日の時間割に基づいた教科書や道具の準備がされていることに気が付きました。単に学校に行かないのではなくて、行きたくても行けないことに初めて気が付いた瞬間でした。結果として行けないのに、そんなことを繰り返して明日もきっと行けないことは薄らとわかっているのに、毎晩翌朝に学校に行けることを信じて準備をする。でも、結局嘘みたいな体調不良が起きて学校に行けない。その日は泣きながら学校へ行きました。幼心に本当にかわいそうだと思いました

だから、僕は小学校の先生になって、みんなが楽しく学校へ通うことが出来るようなクラスを教師として創れるような小学校の先生になりたいと思うようになりました。

カンボジアのインターンシップ

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そして、教員養成の大学に入学しました。そろそろ教員採用試験の勉強を始めようかという3年生の後半に、大学の廊下に張り出してあった「カンボジア インターンシップ募集」のチラシになぜか目が留まりました。なぜかはわからないけど、ふっと「参加したい」と思いました。参加することを即決して、すぐにチラシに書かれた連絡先に参加連絡をしました。お金が足りなかったので、親に頼んでお金を出してもらいました。

カンボジアでストリートチルドレンに出会う

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インターンでしたから、一応インターンみたいなことをするのですが、ただ修復している遺跡の崩れた瓦礫を右から左へ運ぶだけの繰り返しでした。瓦礫を崩して、それを材料としてもう一度レンガを作り、遺跡を修復することが目的なのですが、英語もクメール語も話せない、専門性も何もない21歳の僕は炎天下で瓦礫を運ぶ仕事しかできませんでした。

休みの日にふらり、タイとの国境の町へ行ってみました。あわよくば、逃げ出そうともしていました。ぽつぽつと歩いていると、わっとストリートチルドレンに囲まれて、あれ買え、これ買えと色んな土産物を押し付けてくられたのです。もちろん、お金なんてないですから何も買わずに、会話が始まるんですが、例にもれず「君の夢ってなに?」とか聞いちゃうんですよね。ださいけど。そうすると、パイロットとか、学校の先生とか学校で専門的な教育を受けないと就けない仕事ばかりを言う。この時に、はっと不登校の妹と目の前のストリートチルドレンがリンクしました。理由や背景は違えど、「学校に行きたいけど、行けない」という現象は同じであると。そうして、僕は国際協力に関心を持って、もっと知りたい、勉強したいと思って広島大学大学院国際協力研究科に入学することになるのです。

続きは明日。それではアディオス!


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