【ネタバレあり】待つことが完結した日。【シンエヴァ感想】
この記事には、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のネタバレが含まれます。
この記事は考察記事ではありません。すべて私個人の感想です。
「新劇場版 : 序」が公開された2017年。私はまだ高校2年生だった
地元に映画館がなく、車で1時間弱かかる大きな映画館まで、親に連れてきてもらった覚えがある。
あれから14年。私は31歳のおっさんになり、社会の酸いも甘いもそれなりに経験していた。
新劇場版の最終話、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が公開されて数ヶ月経つ今日、私はアマプラにて公開されていたこの映画を初めて視聴した。
破もQもきちんと劇場に観に行っていたが、最終話だけは劇場で見ることをしなかった。
否、できなかった。
「Fate/Heaven's Feel」の時もそうだ。1話2話と劇場で見ておきながら、最終話だけは見ることができなかったし、レンタルが始まっている今も結末を観ることができないでいる。
これを見てしまったら物語が終わる。どんな結末になるかわからないから、その終わりを見るのが怖かったのである。
しかしそれ以上に、この物語がハッピーエンドで終わるのかどうか、そればかりが気になって、不安だった。
私は極度のバッドエンド恐怖症であり、ハッピーエンド愛好家だ。それも「メリーバッドエンド」も認められない過激派である。
勇者によって魔王が倒され、姫は救い出されて世界も救われる。
第一、第二、第三者の誰もが幸せだと思える結末を、私は極度に愛している。
このせいで、私はエヴァンゲリオンの最終話を劇場で見ることは終ぞ叶わなかった。
怖かったのだ。
コンテンツが終わることへの寂寥感よりも、こんなにも自分を投げ打って、世界のために戦ったシンジ、アスカ、レイ、マリの物語が、あまりに救いのないバッドエンドで幕を閉じるかもしれない。
あのQの終わり方でハッピーエンドを確信できるはずもなく、私は今日この日まで、シンエヴァを見る覚悟を整えることができずにいた。
しかし、改めてQを見返して思ったのだ。見届けなければならないと。
思えば、こんなにも長くコンテンツを追ったことはなかった。
そもそもエヴァンゲリオン自体がかなり長命のコンテンツであり、私の人生と共に更新されていっていたので、「追う」というよりも「待っていた」という言葉の方が正しいように思う。
この物語がどんな終着になるのか、本心ではずっと待ち侘びていたはずで。きちんと見届けなければならないと、不意にスイッチが入ったのである。
【ここからネタバレ】
私は、エヴァンゲリオンの最終話を見て、まさかここまでスッキリとした気持ちになるとは思わなかった。
色々な解釈があると思う。さまざまな考察があると思う。きっと見る人にとっては救いようのない鬱エンドだったのかもしれない。
それでも私は今回のシンエヴァを、これ以上ないハッピーエンドだと感じることができた。
エヴァンゲリオンはかつて、視聴者に最後の解釈を任せる形を多用してきたせいもあり、今回の新劇場版もそのような形になるのかなという思いがあった。
しかし、シンエヴァはきちんと「落とし前をつけてきた」のである。
「時間も世界も戻さない。ただ、エヴァがなくてもいい世界に書き換えるだけだ。新しい、人が生きていける世界に。」
劇中の最終盤、シンジがレイに向かって話したこの言葉。これにも違う捉え方があることは承知しているが、これは今までの罪も痛みも全て飲み込んで、成長していこうとするシンジの覚悟が表れた言葉だったのではと思う。
過去どの作品にも現れない、覚悟を決めたシンジの姿はまさに大人の姿そのもの。序が公開された14年前の私は、シンジ同様「ただのガキ」だったが、31歳になった今でも、私は人の死や願いを背負えるほど、大人になったとは思えない。
しかし、あれほど終わりを見ることが怖かった物語に、きちんと向き合うことができたことは、まだ私にも成長の余地があることを表しているように感じる。
こうして、「新たにエヴァンゲリオンを見る」というチャンスは完結した。
これ以上ない大団円だ。まさかエヴァンゲリオンに未来への希望が描かれるなど思いもしなかった。
小学生のころ、姉といっしょにレンタルビデオ店で借りてきたテレビ版エヴァの難解さに首を傾げ、旧劇の更なる難解さに混乱。
不安と共に観た新劇場版は、映像も美麗でストーリーも分かりやすく、気がつけば14年が経過していた。
人生と共に歩んできたコンテンツが完結したことに大きな寂しさを感じると共に、今こそエヴァンゲリオンに「おめでとう」と言ってあげたい気持ちだ。
散々皮肉られたあのセリフが、こんなにも相応しい形になるとは思わなかったが、これで本当に終わりなのだと思う。
「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン。」
過去のあらゆるエヴァ作品を飲み込み、受け止めた、この最終話を劇場で観られなかったことに、今さら後悔している私であった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?