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「それでも人生にイエスと言う」を読んで

前回の記事でヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧 新版」について書きましたが、もう少し深く知りたいと思い、同じくフランクル著の「それでも人生にイエスと言う」を読んでみました。

著書とはいえ、この本は1946年に行われた講演がもとになっていますが、アウシュヴィッツ強制収容所での体験をもとに、精神科医、心理学者らしく生きる意味について分析された学術的、哲学的な内容になっていました。

「夜と霧」より深い内容で面白いのですが、なぜか読みにくかったです。個人的なものかもしれませんが、翻訳の問題でしょうか・・・

以下に特に残しておきたい、覚えておきたい箇所を引用します。

・最後まで大切なことは、その人がどんな人間であるかという人間性。
・言葉だけではなく行動によって生きる意味をそれぞれ自分の存在において実現するかどうか。
・人間は楽しみのために生きているのではない。神経細胞の快感も死んでしまえば、神経細胞が滅ぶということを考えれば無意味。
・幸せは目標ではなく結果にすぎない。
・私たちが「生きる意味があるか」と問うのははじめから誤っている。人生こそが問いを出し、私たちに問いを提唱しているから。
・なにをして暮らしているか、どんな職業についているかは結局どうでもよいことで、むしを重要なことは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最善を尽くしているかだけだ。
・私たちはさまざまなやりかたで人生を意味のあるものにできます。活動によって、また愛することによって、そして最後に苦悩することによってです。
・生きるとは問われていること、答えること。自分自身の人生に責任をもつことである。
・生は与えられたものではなく課せらたもの。
・人間はあらゆることにもかかわらず、困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気にもかかわらず、強制収容所の運命の下にあったとしても、人生にイエスと言うことができるのです。

「夜と霧」でも記されているように、生きることを問うのではなく、人生というものに自分が問われているということです。
自分がどのように(真剣に)生きているのか、最善を尽くしているのか、結果ではなく行為が重要であるということでしょう。
また、苦悩することにも意味があるということには勇気づけられました。
他にも同じような思想や哲学は存在するように思いますが、どんな状態にあっても、悩んでいてもOK。目の前にあることに一所懸命に生きることが大切だということでしょうか。

本書ではもっと様々なことが哲学的、学術的に書かれていますが(頭が悪い?)うまくまとめられないので今回はここまで。

後半には翻訳者の山田邦夫氏の文が50ページほど掲載されています。良いことを書いているのですが専門的な内容でちょっと難しかったですね・・・

時間を置いてもう一度読んでみたい本です。

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