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ネルケ無方・天地いっぱいを生きる(NHKこころの時代)

「NHKこころの時代」2020年10月放送のネルケ無方氏「天地いっぱいを生きる」の再放送を観ました。
当時も観た記憶はあるのですが、番組後半に記録しておきたい話がありましたのでここに記しておきたいと思います。

安泰寺に来て30年。かつて抱いていた問いに今はどう感じているかという質問に対してネルケ無方氏はこう答えます。

生きることに意味はない。
人類いずれ絶滅するということを考えると当たり前なのです。
ただ、意味を求めるのもゲームのひとつ。
意味はなくたっていいじゃないか。むしろそのほうがほっとする。
私は「生きることに意味は無いんだ」と気づいた時、すごくほっとした。

人生の意味といったって所詮は概念。
表現できたとしても概念の話。
自分が今生きている命ではない。
生(なま)の命の次元においては、概念が通用しない。
意味は言葉があってはじめて意味ができてしまう。

今吐いている呼吸、それに意味を探しても意味があるわけがない。
自分が生きているこの一瞬の命に意味を求めてもしょうがない。
意味があるとか、意味がないという概念の手前にあるから。
それに気づくと、今ここ、自分が生きているこの瞬間を忘れないようにしようと。
これをずっと忘れていたから面白くなかった。
苦しい、退屈、面白くないから、ちゃんと息を吐いて、息を吸って、音も聞こえて世界が見えている。
当たり前だけど、実は当たり前じゃない。
(字幕をまとめたものですが、やや端折っております)

この手の話は言葉にするのは難しいのだと思いますが、自分自身ようやくなんとなくわかって来た気がします。人生の意味を問うことは人間として自然であるが、わからなくても問題は無いのではないかと。

しかし、見えない世界(あの世、転生等)、世の中(宇宙)の真理、などが解れば、「人生の意味」がわかるのではないかという気持ちはいつまでも残るのでしょう。

「人生の意味」を問うのと同時に「人生の生き方を考える」こともセットであると思っています。
「生き方を考えること」も無意味ではなく、自分自身の事でもあり、世の中の秩序なども関係してくるので、やっぱり何も考えずに生きていくということはできないのが人間なのだろうと思うのです。

生き方や思考に正解は無いのだろうと思うのですが、どこに落としどころを見出すか。そういうふうな生き方もあるように思います。

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