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NOと言ったら、相手から愛される理由

自分を大事にした結果、得られる景色、それは!

「嫌なこと頼まれても、NOと言える風景。それで相手が笑顔な光景。」


株式会社イメジン、ブランディング担当ライターの日野成美です。

前回の記事はこちら💁‍♀️


2021年以降、フレキシブルでラディカルな働き方が実現してるよ!という内容の先週はこちら。

金曜日はいつも記事が迷走した結果全とっかえ書き直しとかになるんだけど、今日もそうなった!!

パートナーと親の話はまた後日やります、やるったらやる!ごめんなさい!!大好き!!!


うつヌケハックはビジネスパーソンのうつに寄り添うというコンセプトのもと、20〜40代はたらく大人の心身の憂鬱に効くメソッドや考え方をご提案。

自分を大事にすることがイヤといううつ病マンに話を聞くと、かならずといっていいほど返ってくるのがこのワード。


「NOと言えない」


わかりみが…深い……ッッ!!

私もかつて「NOという人は他人をないがしろにしてる、卑しい人だ」とか思っていました。

自分を他人より優先して生きる人が、本当に腐って見えました。


そして私が断らなければ、相手は自分に愛想を尽かさないだろうと思っていました。

別に人間関係に愛情とか友情とか期待していなかったからです。


でもNOと言わないことで、失われていたことはあまりに多い。

今日は予定を変更して、NOと言わない人間関係について。

NOと言わないことは、自分を大事にしないことだ

「自分を大事にしない風景は、一言でいうとどんなものか?」と聞かれたら、

「なんでもYESで片付けて、NOと言わない風景」

と私は答えます。


カジュアルにNOって言えない。

断ったら死ぬと心が思ってたりする。

だからなんでもウンウンと引き受けて、セルフケアの時間が失われる。


NOと言ったとたんに殺される。それくらいの恐怖を小さいに親や学校生活で植え付けられたりしています。


家族の誰かがイラついている時に、部屋の片隅で息を止めて服のすれる音すらたてず、自分を殺して過ごしていませんでしたか?

学校ではなにをやっても怒られ、なんなら言われた通りに座っているだけで「背筋の角度がキモい」とディスられるもんだから、色々諦めていた学生時代ではありませんでしたか?


私もそうだった!!もうなにやっても怒られるっていうか花に水をあげただけでいじめっ子にディスられるもんだから(状況判断的に全然間違ってねーよチューリップがしおれてたんだよ)それを親や先生に言ったら「成美ちゃんがなにか気に障ることしたんじゃない?」みたいな探り方をされちゃうもんだから、

「人間相手には、逆らったりNOと言ったりすることは無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ」

という世界観が作られていきました。


まぁ、かつてはそれを耐え忍ぶことが仕事につながるスキルでした。

パワハラやモラハラが美徳だったかつての時代、NOと言わない社員はすばらしき宝だったのです。


しかし時代は令和!ウィズコロナ!

もはやウォーターフォールタイプではなくアジャイル型のマネジメントが主流。(※上司のいいなりじゃなくて個人個人が自発的に考えてやってこうねってビジネススタイルになってるって話ね)

昭和、ギリギリ平成までなら「いじめがある生育環境」はよい社会の模範でした。

今は違う!!!


NOと言わないと仕事にならない、と言えるほどに断るスキルは必須です。

でも私たちはNOを拒否し、恐怖する。

なんでもYESマンだった頃の心の中

仕事で頼まれたことを断れない。
パートナーのいう通りにしていればいいと思ってしまう。



「NOと言わない」が募り募るとどんな人間が生まれるか?

「いい人だから」と利用されて、「あの人なんかムカつく」と陰口を言われがちな人になる

な、な、なんかやだーーーー!!!

でもね、私はすごくわかるの、両方の気持ちがわかる!!


私もかつて、NOと言わないマンでした。

もっと言いましょう、

YESと言っていれば相手は自分のことを都合のいい人間だと思うから、見捨てない。
双方に利用価値がなくなった時にはNOと言うが、
そもそも人間関係で自分の意思が尊重されないのは当たり前だ。

人間は利用価値がなければ見捨てられる。

自分は絶対に嫌われる人間だから、相手の都合の良いように振る舞わなければならない。(まぁどうせ嫌われるけど)


つまり相手にぜんぜん興味がなかったし、その場限りでポイ捨てされるのを覚悟していました。

人とか、どうでもよかった。


いろいろあって今は違います!

だからはっきり言っちゃえる、


「NOと言わないことは、相手に向き合っていない不誠実な人間関係ではないか」

と!!

NOと言わない相手へ内心思ってたこと

というのも私もかつて、イヤとかNOとか言わない友人を複数持っていました。

いい子で優等生で、いつもニコニコ笑顔で道徳的で、頭もよく努力家の友人たちでした。立派な少女たちでしたよ。


しかし私は正直、いい子の彼女らにムカついてた。

こちらがなにを言ってもOK!YES!としか言わない彼女たち。

だんだん対等じゃなくなっていき、私が自分勝手にふるまってるように思えてきます。


や、ただ普通に話してるだけなのに、自分の意見を言うだけでワルモノみたいに思えてしまう。

相手の意見にちゃんと同意する彼女が、めちゃくちゃ崇高な人っぽく見えてくる。


彼女も実際は、イヤって思っているかもしれない。

私はこの考えが頭にあるから、いちいち「ほんとにそう思ってる?イヤならそう言ってよね」って言わなきゃいけない。

で、そう言ってやっと「あ…実はちょっと苦手かな」みたいに言われたりもするので、


面っっっどくせえええええ!!!


こうなるともう、友人とは言えません。だから彼女らとは、今は疎遠になってしまっています。


私たちは無意識のうちに、従属や隷属ではなくて

対等で、堂々として、信頼しあえる

人間関係を望んでしまいます。

それを親や幼少期の環境で得られなかった。仮に得られていたとしても、堂々とした対等でやさしい関係性はあまりに愉しいから、人間として社会で生きる上で求め続けてしまう。


私は、私たちはないがしろにされないために、どうすればよかったのか?


「いいこ」の友人たちと話してムカついた私からしたら、人間と話してる実感がほしかった。

まっすぐで素直なことばが欲しかった。

誠実に向き合ってくれた結果NOと言われても、笑っていられる。


そう、人間あつかいされたかったら、相手を喜ばせたかったら、NOと言うべきなんです。

NOと言わない人間が嫌われて、ガンガン断る人が愛される理由

大切におもってる人がガマンを重ねてたら、自分はイヤですよね。

なのに自分がガマンをずっと続けることについては、むしろ美しく喜ばしいことだと思っていたりする。

いえ、喜ばしいと「だれかに思われる」ことを期待している。


NOということでなにかが壊れると、私たちは思っています。あるいは、思っていました。

でも実は、

「相手が人間同士で話している、と感じる時間を奪ってしまっていた」


今なら言えます、私はNOと。

知っているからです、

「断られると、人間と話してるって感じがする。うれしい。」と。


私たちは、その、人間と話していたいんです。きっと。

人間はNOって言うし、わがままやよくわかんないことを言うけど、なんといってもかわいい。

NOって言うことは、人間と話している実感を得られることなんです。


相手も「人間と付き合ってる」って感じが、するよ。

ね、だから怖くない。

NOって言おう。

次回「マインドフルネスをうつ病患者がやりたくない真の理由」
もしくは特別回「うつヌケハック読者限定採用の募集記事」の予定…え?!
お楽しみに!!?


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