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神保町の記憶

よく一緒に飲みにいく友人と、めずらしく真っ昼間に出かけた。向かったのは神保町。目的は例の古本祭りだ。時間にはきっちりしているほうだったけど、その日ばかりは待ち合わせに遅れてしまった。

宅急便が来てしまったからとか、ふだん使わない方の路線だったからとか、思いのほか肌寒かったので上着を取りに戻っていたからだとか。言い訳をしようとすればキリがなかったが、30分の遅れは30分の遅れでしかなかった。遅刻する旨を連絡すると、「楽器屋ぶらぶらしてるわ」と返信が届く。友人には申し訳ないが、どこかそれを予知していたかのように安心しきっている自分がいた。申し訳なさそうに謝るスタンプを送りながら、ずるいなと思った。

友人には言わなかったが、実のところ、私は神保町という街が苦手だった。大学に入って初めて付き合った人との思い出の場所だったからである。ただの偶然だろうが、今回待ち合わせ場所を神保町駅ではなく、御茶ノ水駅にしてくれたのは救いだった。都営三田線の地下改札から出るところの階段の色合いは今でも鮮明に覚えていたりする。その日の空、その日着ていたワンピースのこと。喫茶店の名前、座ったテーブルの席。当時貼られていた広告のことまで覚えている。神保町はそういう、記憶の断片があちこちに散りばめられている街だった。

友人と駅の近くで落ち合って、祭りの方まで歩いて向かった。見覚えのあるカレー屋に行列が出来ていたが、それにもなるべく反応しないように、楽器屋で何を買ったのかとか、最近した買い物についての会話をして自分を誤魔化した。付き合っていた人のこと自体はもう過去のことだと振り切っているが、その記憶が自分が今の目の前にある時間に入りこんでくるのが怖かった。それに、以前、その人の住んでいた駅を電車で通った時、彼女にそういった話をして、ものすごく後悔した経験があった。彼女の表情から何かを感じたというより、そういう話を彼女にしている自分というのが嫌だった。

人の流れに沿って歩いているだけだったのに、気がつけばお祭りはどこからか始まっていた。通りにはブースが端からびったり並んでいて、道の隙間は人々で埋められていた。ひとまず、全体を見たいね、となって道の端から端までを行き、反対側のブースを回って一周しようとした。が、その途中でお互いを見失ったりしていたので、いったん時間を決めてそれぞれで、となった。

古本祭りというものは不思議なイベントだった。そもそもデジタル化やら色々言っているこのご時世で古本を買いにこんなにも人が集まっているということがある意味おかしな光景だった。ただそれは、同時に心踊る光景でもあった。それから、古本祭りにくる人たちは本好きが多いからか単独参戦の人が多く、みんな無言で本を見ているのが面白かった。物色して、そのうちの一つを選び、「あの、これ」というのが聞こえる。やたらと人がいて賑わっているように見えるが、聞こえるのはあくまでも宣伝する人たちの声だった。でも、声にならない人々の熱は感じ取れる。本を眺める眼差し。悩ましそうな、だれかの吐息。そして、ブースにちょっとでもスペースができると、それを埋めようと後ろにいた人たちが一切に肩を前にぐっと出すという動きがある。みんな本気だった。

私は結局、4冊の古本を購入した。友人と再会し、お互い「なんか疲れたね」と言い合った。彼女が行きたがっていたカレーのある老舗喫茶店は行列ができていて、その斜向かいにあった喫茶店に入り、分厚いピザトーストを食べた。ナイフとフォークを渡されたものの、適切なピザトーストの食べ方が分からず、二人して苦戦した。喫茶店のピザトーストはなんかちょっと足りない、と思えるような不完全さが好きだったのだが、良くも悪くも完璧なピザトーストだった。パシャパシャうるさく撮影していた隣のカップルを見て、あえて一枚も写真を撮らなかったけれど、あれは撮るべきだったと後悔するくらいの美味しさだった。

その日は、ずっと友人と話していながら、自分はどこか違うところにいる感じがした。それを整理してどうにか伝えようかと思ったけど、言葉にできなかった。ふつうだったら、「頑張って」とか言うはずのところを、「まあ無理しないで」と言ってくれるその人はあまりに優しいと思った。

いつか、ふわふわとした気持ちのまま乗った地下鉄。彼女がくれた言葉を手帳に書き記していく。古くていいものというのは限定的な話だから。今、忘れたくない記憶を増やす。持っているカバンがすこしだけ重たい。私を新しい場所に連れていくのは、いつも誰かの言葉だ。

購入した本たち

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