アート、巡礼、いきなりの仕事。
数年前からフライヤーやDMをスクラップするようになった。内容は主に美術館・ギャラリーの展示や自治体の観光案内などだ。よいフライヤーは、その作品の世界観をうまく取り入れつつ情報もバランスよく配置されており、それ自体が一つの作品のようだ。
しかしフライヤーを集めるものの、その展示に実際にいってみることはほとんどない。距離だったりお金だったりの問題もあるけれど、根本的には芸術の優先度の低さがあると思う。暇な時間を芸術鑑賞に使おうという行動原理は自分の中にあまり存在していない。
ただ、一度日常を離れると、無性に美術館やギャラリーへ足を運びたくなることがある。せっかくだから記念に残る何かをしたいのかもしれない。芸術は非日常を演出する装置である。
ということで、行ってきたのは、高松市美術館。ちょうど瀬戸内国際芸術祭が開催されているがそちらは行けそうにないので、参加作家の作品を数点ずつ展示している常設展を見る。
部屋の入り口には草間彌生の作品がドーンと展示されている。よく知られている水玉ではなく、黒い大きなキャンバスに書かれた赤い網目模様と、その手前で存在感を放っている「椅子」のオブジェである。椅子は金色の生地でできた触手のようなモコモコに包まれており、ぱっと見マイクロファイバーである。
他に気になったのは、浅井裕介の絵画『世界の根っこにある大事な唄』。まるで壁画のようなエスニックな雰囲気の大作である。中心には象徴的な木が逆さまに描かれ、その根っこの部分と葉の部分で絵の世界も上下に分かれているような気がする。木の根からは人の顔のようなものが生えており、その目は根を齧って破壊する悪い顔をした動物を凝視している。さらに、動物の体の中には人の姿が描かれ、反対に人の顔の中には動物の姿が描かれている。何かが循環しているのだ。
作品のタイトルからも分かるように、作者は「根」の部分を強調している。逆さまになった木の根の世界=地中? で行われる、人と動物の関わり。しかしどちらも同じ一本の木から発生した存在である。そういったメッセージを感じた。
別の常設展には瀬戸漆器がずらりと並んでいた。1940年代から2000年代にかけての作品であり、伝統を踏まえつつもモダンな表現を試みているのが面白かった。特に『彫漆短冊箱 碧麗』という蒲鉾状の容器には、緩やかなS字の曲線が掘られており、その溝の部分にはステンドグラスのような螺鈿? が嵌め込まれていた。この青の深さはとても好きだ。
企画展『FRAGILE』は撮影可能だったので、数枚写真でご紹介したい。技巧的な絵画から、コンセプトがくっきりした現代アートまで幅広い。
現代アートは一度見ただけでは意味が不明だが、色々と自由に考察できる余地があるのは面白い。日常に少し異なる視点をもたらしてくれるのは良いアートの役割だと思う。
聖地は突然やってくる
香川を後にして、愛媛へと向かう。ひたすら高速を走って2時間あまり。この道がまた平坦でめちゃくちゃ眠くなってしまう。何とか気を確かにもって、ようやく辿り着いた場所は聖地だった。
お分かりいただけただろうか。いや、これだけで分かったら結構すごいと思う。なぜなら、ここはまだ公開されていない映画に一瞬出てくる場所だから。
もうすぐ公開を迎える新海誠監督の作品『すずめの戸締まり』。その予告PV(1:00付近)に一瞬出てくる、八幡浜旧フェリーターミナルである。
「旧」というのは、今年からターミナルが移転して旧舎は解体されてしまっているからだ。昨年はこんな感じだった。
ちなみに原作小説をちょうど今読んでいるところ。前半はロードノベルっぽい感じで、ひたすら街から街へと移動してゆく展開だ(なので当然「聖地」もたくさんある)
こういうことを書いていると、めちゃくちゃのんびりと旅をしている感じに見えるかもしれないが、実際は割とカツカツで動いている。何せ移動はあくまで手段であり、明日(もう今日だ!)から本当の目的が始まることになるからだ。
昔々、あるところに読書ばかりしている若者がおりました。彼は自分の居場所の無さを嘆き、毎日のように家を出ては図書館に向かいます。そうして1日1日をやり過ごしているのです。 ある日、彼が座って読書している向かいに、一人の老人がやってきました。老人は彼の手にした本をチラッと見て、そのま