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感情はナマモノだ

この春私は大きな変化の春だった
いつの間にか新緑の美しい5月を迎え
ゴールデンウィークも終わってしまった

この6年間ずっと私のそばには
小さな子どもがいた
歩いてすぐのコンビニに行くのも
子どもがいてはささっといけないので
我慢することも多かった

子どもを連れていくとなると
まず子どもはすぐそこにいくだけなのに
たくさんの抱えきれないおもちゃを用意して
何度も落としながら靴を履いて、、
それがだんだん学習していくと
何か袋のようなものや入れ物に入れたら
落とさずにたくさん持つことができると
子ども自身が改善していった。

車から降りる時も
乗る時も何度トミカをばら撒いたことだろう

雨のなか
チャイルドシートに子どもを乗せて
ベルトを閉めるだけでも私は
びしょ濡れなのに
あれをとってくれ
ここをこうしてくれとせがまれ
もう!びしょびしょになるから無理だよと
何度イライラしたことだろう

スーパーに行ってもなるべく
スマートに回れるように
お菓子コーナーが
見えないようなコースで歩いたり

今日みたいにおやつに
ケーキを焼いていたって
『まだ?まだできない?まだ食べられない?』と
うるさいほどに何度も聞かれ

私は小さな子どものお母さんだった
小さな子どものお母さんだったんだ
そんな時間が過去のものになっていく
それを今感じている。
上の子が小学校に行き
下の子が幼稚園に行き
私は家に一人でいる。

ちょっとそこのコンビニへ行くのも
ささっと行ける
近くのスーパーに行って
食べたいなと思う甘いものだって
買うことができる。
子どもにはそんな頻繁には
ケーキとか甘いものを与えたくないから
買う習慣をつけたくないから
子どもといるときは買わなかった。

一人はとても身軽だ
一人はすごく自由だ、

子どもとの時間は
なんて騒がしいだろう
何か一つ宅急便を出そうとするだけで
一筋縄になんていかない

梱包して家を出て郵便局に行って
帰ってくる。
それだけでも腰の重いことだった

一人って
なんて身軽なんだろう
カバンの中に子どもが飽きた時用の
おもちゃを忍び込ませる必要もないし
着替えの心配もいらない
食べたいと思ったものを買って
一人でカフェにだって行ける

子どもとずっと一緒にいる時間は
なんて煩わしくてうるさくて
邪魔ばかりされていたのだろう。
世界の中心は子どもで
私のことはいつも後回しで
なんて慌ただしい日々だったのだろう

いつもお母さんお母さんと呼ばれ
見ててね見ててとずっと言われ

愛しさだけじゃない息苦しさも付きまとう日々

子どもは大きくなった。
私のいない世界で今過ごしてる

4月、子ども二人が家から昼間いなくなって
私はすごく寂しかった
学校に行きたがらない我が子を見て、
今まで自分のしてきたことが
間違いだらけなような気がして
大声で泣いた

他の子はママと離れられるのに
下の子は離れられずずっと
幼稚園に付き添っていた私。

いつかは離れるんだからと
初めは大きな心で過ごしてたけど
小学校のお迎えも早い中ギリギリまで
幼稚園にいて
分刻みのタイムスケジュールにだんだん
疲れが出て

いつの間にか
私のやってきた育児は
間違っていたのかもしれないと
そんな思考に陥った。

楽しいゴールデンウィークが終わり
また生活が始まり
私は今こうして一人の時間を過ごしている

4月は不安定でとても寂しかった
でも子どもの心のケアや
自分の休息を優先してるうちに
ここに記録することができなかった

あの時の熱い思いがもう
生々しく記録できないなと感じている

寂しい気持ちが過去のものになり
一人の時間に心地よさを感じている

感情はナマモノだなぁ
旬を過ぎてしまったのだなと今思う

一つ山をこえ、
私は新しい自分にもう出会ってしまっているなあ

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