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コミュニケーションの不在

ある日、友人がSNSで日本の音楽を薦めました。興味を持って耳を傾けたものの、歌詞が一言も聞き取れませんでした。メロディは耳に心地よく、リズムは足を踊らせるものでしたが、言葉はまるで遠く霧の中に消えてしまったかのようでした。ミュージックビデオを見つけ、字幕を読みながら曲を聴いたところ、ようやく歌詞が理解できました。日本語の歌詞が聴き取れないことは、実は日頃からとても多くあります。それらの経験から常々深く考えている、音楽におけるコミュニケーションの不在について書いてみることにしました。


コミュニケーションの不在:言葉を失った音楽


音楽は、人間の感情や思考を伝えるための普遍的な言語として称賛されてきました。しかし、歌詞が聞き取れないという現象は、コミュニケーションの不在を象徴しているとも言えます。今回は、歌詞が聞き取れないことがもたらすコミュニケーションの断絶と、それが私たちの社会における人間関係に与える影響について探求します。

言葉の不在と感情の断絶

歌詞が聞き取れない音楽は、アーティストと聴き手の間の感情的な断絶を生み出します。言葉は、私たちが他者と共感し、感情を共有するための重要な手段です。歌詞が不明瞭であることは、アーティストが伝えたい感情やメッセージが聴き手に届かないことを意味し、結果として、感情の共有が妨げられます。

社会におけるコミュニケーションの希薄化

歌詞が聞き取れない現象は、社会におけるコミュニケーションの希薄化を反映しています。人々は表面的な交流に満足し、深い意味でのつながりを求めなくなっています。音楽における歌詞の不明瞭さは、このような社会的傾向の一部と見ることができます。

自己表現としての音楽の限界

アーティストは音楽を通じて自己表現を試みますが、歌詞が聞き取れないとその試みは無に帰します。自己満足に終わる音楽は、聴き手にとって意味のある体験を提供することができず、コミュニケーションの手段としての音楽の限界を示しています。

私たちが音楽におけるコミュニケーションの不在がもたらす現実に目を向け、言葉を大切にし、真の意味でのコミュニケーションを再評価する機会を得ることを願います。言葉が聞き取れない音楽の悲哀を通じて、私たちはコミュニケーションの本質を見つめ直す必要があるのです。

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