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25.うさぎ(米川さんの絵本)

春先に登山道を歩いて居ると
野ウサギがうずくまっていた。
足に怪我をして動けない。
そっと懐に入れ小屋に帰る。
怪我を手当てしてキャベツの軟らかいところをあげる。
なかなか食べない。噛んであげると食べるようになった。
何日キャベツやホウレン草をあげると
何時の間にかうさぎがついて回るようになった。
何年もウサギと友達だった。

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解説

ウサギ、ニホンノウサギと友達になりました。野ウサギとも呼びます。
ウサギは赤色の大きな目、長い二つの耳を立てて前足で餌を口に運んでポリポリと食べている姿がとても滑稽で愛らしく、そしてウサギは人に懐くのも早いものです。
陽射しあたたかくなりだした春に向かうある日、登山道を歩いていると、真っ白なウサギがうずくまっていました。私の姿を見ても動かずに。近づくと足に怪我をしていて動けなくなっていましたので、ジャンパーのなかにそっと抱えて小屋に帰りました。
静かな山小屋。小屋にあるキャベツの柔らかい部分をそっとあげてみましたが食べてくれない。
なのでキャベツを噛んで柔らかくしてあげてみたら食べてくれました。
そうやってキャベツやホウレン草を数日あげていたら、ウサギも元気をとりもどし、そして私の傍にくるようになりました。
それから私が歩くとウサギが歩く、ウサギが私の後ろをピョンピョンついてくるようになりました。何年一緒に過ごしたことでしょうか、
友達となったウサギの懐かしい思い出話です。

現在は、ペットとしてウサギを飼っている人も多くいると思います。
私の子供の頃は山に行くと沢山見かけました。冬は真っ白になります。姿を見ると可愛いですが、若い木の実を食べてしまうので多くの人には嫌われていました。
そのため一年に何度かはウサギ刈りとして、集落総出でウサギ刈りをしていました。
大勢の人が山の裾野から山頂に向かって大きな声を出してウサギを追い出し追い上げます。頂上には鉄砲打ちが待っていて沢山のウサギを取るのです。
とても沢山捕れたものです。ウサギの数え方は1羽、2羽、何十羽も捕れました。
捕れたウサギは下山して直ぐにその場で毛皮をはぎ取ります。毛皮は毛皮屋で高く売れますし、肉は直ぐに処理してその場で参加者で分けます。
子供もその場所でお裾分けにあずかります。ウサギの肉は軟らかくて美味いです。
ウサギは当時食料としての動物でしたので、ウサギが友達になって何年か一緒に暮らしていたことは山小屋暮らししていたなかでも印象深い思い出です。
現在はウサギの頭数も減ってしまいました。人間がやたらと乱獲してしまったことと、テン、キツネが増えたことなども原因でしょう。

補足

ウサギの話はsaitouも父から何度か聞いていました。父は昭和一桁生まれでしたが、八ヶ岳裾野の茅野市内にも祖父の仕事の転勤で幼少時代過ごしていたそうです。今の玉川という所、八ヶ岳からはすこし離れたところにも住んでいたそうですが、そこにもウサギがたくさん出没していたそうで、罠をしかけてウサギを捕まえていたそうです。ちょうど第二次世界大戦中です。
そして捕まえたウサギを、幼少の父もウサギに名前をつけてとても可愛いがり飼っていたと話してくれました。
そして、ある日ウサギは突然いなくなり、そして子供たちの毛皮のベストになって戻ってきて、それを父達は着ていたそうです。とても温かかったと。そして骨はすり鉢で潰して肉団子汁で食べていたそうです。
残酷な話だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、特に戦中戦後など食べ物も少なかった時代。そして今の玉川地区は新しい家がたくさん建っています。80年程前にウサギが飛び回っていたなど、今の子供たちは想像もつかない事でしょう。
今回のお話は米川さんのお友達としてのウサギのお話ですが、米川さんの解説のお話をお聞きし、また亡き父がウサギの話をしてくれたことを思い出し、昔の人達は貴重なたんぱく質として人が生きるために生命を頂きながら、動物や自然の営みのなかで暮らしていたのだと改めて感じます。

世界では食用として現在でもウサギは食されています。
また、さまざまなウサギたちがペットとして販売されて飼育されています。

ウサギ、皆様は何を思いだしますか?
うさぎとかめ、いなばのしろうさぎ、お月さまのお餅をつくウサギさん、などなど。

米川さんの絵本校正中、引き続きよろしくお願いいたします。

おはなし絵:Yonekawa Masatoshi
共著:Yonekawa Keiko , Saitou

※この記事は米川さんの絵本proofreadマガジンに掲載中です


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