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米川さんproofreading(校正中)

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八ヶ岳山小屋黒百合ヒュッテ山番時代を米川正利さんが描いた絵を形にできればいいねマガジン。黒百合ヒュッテhttp://www.kuroyurihyutte.com/
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記事一覧

95.秘密の花園(米川さんの絵本)

山小屋に長く入っていると、時々誰もいない所に行きたい時もある。 そんな時、いつも行く場所を決めている。 おにぎり持って、2人だけ、誰も誰も知らない秘密の場所。 お花が咲いていて、ぽかぽか天気で気持ちもぽかぽかになります。 解説米川です。 八ヶ岳は可愛らしい花をはじめとした高山植物が四季折々咲いています。 山小屋での仕事の合間に、山を歩くと夢のような美しい景色に幾度となく出会います。小屋番をしていた頃も、小屋番を息子に譲った後も、啓子さんと一緒によく行きました。 おにぎり持っ

94.怪我に注意(米川さんの絵本)

普段気をつけていても ちょっとした事で大怪我をすることがある。 何でもないような所で転んで足を骨折したり、 腰を捻ったりして動けなくなったことが沢山ある。 ちょっとした心のひずみかもしれないね。 解説2023年8月お盆を過ぎ、八ヶ岳はお昼を過ぎると落雷と豪雨となる天候が続きます。 雲については以下をお読みいただきぜひ登山に活かしてください。 また軽装での登山は危険です。 先日唐沢鉱泉さんにSaitouがおりましたところ、かなりお疲れの表情をされた方が山から下りてきて声を

米川さんの絵本番外編

いではく 北国の春北国の春、すきま風、他、沢山の作詞した作詞家は幼い頃からの親友で、時々酒を交わす仲だ。幼い頃からの仲で会話も無いし話も無いが、ただ顔を合わせてお互いが好きな酒を飲み交わすだけ。これで何時も終わってしまう。 それでお互いが満足している。 解説Saitouです。米川さん宅にてお話をしていると、よく「明日友人来るんでね、飲むんですよぉ」と嬉しそうにお話しされます。「知ってる? いではく」。何度か聞いていても、もともとの私の習性が個人名などはあまり関心がないため曖

93.蓼科山

たてしなやま。 八ヶ岳の一番北にある山。 「諏訪富士」とか「女の神山」とも呼ばれる。 見ているととっても美しい山。 でも登ると険しい山。 だから日本百名山のひとつ。 解説米川です。 蓼科山は、八ヶ岳連峰の北端に山容を見せています。遠くから見ると富士山に見える事から「諏訪富士」とも「女の神山」とも呼ばれます。 見ているのには美しい山ですが、登ると険しい山です。 三男が蓼科山荘をやっています。 Saitouです。 蓼科、私もSNSなどでの自己紹介には蓼科山の中に生息中などと書

92.黒百合平 森に囲まれた草原(米川さんの絵本)

小さな小川に鹿も、タヌキも、リスも水飲みに。 高山植物もいっぱい。 茅野から佐久に抜ける峠道。 登りきると平が開ける。 シラビソの森に囲まれた草原がある。 小川が流れていて、 クロユリや沢山の高山植物が 群落するお花畑。 解説米川です。父が生前、林業をしている時にとてもよい所を見つけたと教えてくれました。 お花畑いっぱいのたいらなところ。そこに別荘をつくって、家族で遊びに行こうと話していました。 父が急死し、別荘などという優雅な話どころではなくなった我が家ですが、母は父のお

91.黒百合ヒュッテの神様(米川さんの絵本)

木魂神社、もっこんじんじゃと読みます 山の自然を守る神様 登山者の安全を守る神様 黒百合ヒュッテの商売繁盛、家内安全の神様 解説米川です。1981年渋の湯から黒百合平に登る途中に皆から親しまれた巨木がありましたが、老化して倒れてしまいました。 樹齢800年と言われていました。 この巨木の倒れたのを契機に、八ヶ岳の自然保護を願い、大自然の恵みに感謝して、木の魂を祀り木魂神社と名付け木魂祭として祝っています。 Saitouです。諏訪の平は数えで7年に一度、御柱(おんばしら)と

90.宴会(米川さんの絵本)

小屋では宴会が付き物だった。 お客さんがいる時は毎日だ。 お客さんに叱られない様に。 解説米川です。 小屋をはじめた頃は人がいない日がたくさん続いて。そのうち山小屋に泊りにお客さんがくるようになって。 小屋番と客という関係ではなくて、腹を割って話しながら大皿のものを皆で夜が更けるまで食べて飲んで話していました。 楽しかった。たくさんの人と知り合えて、いろいろな話を聞けて、山小屋はよいですね。とても楽しかったです。 Saitouです。 82.つらら のお話にもあるように、飲

89.小屋の布団修理(米川さんの絵本)

昔はね、汚れて臭いのはシーツを剥がして 破けているのは修理して たくさんあるから忙しい 静かにしているんだよ おやつあげるからね そんな日々だった 解説米川です。 昔は多くの家が綿布団で寝起きして、修繕しながら使っていたと思います。 山小屋も、昔は登山客は布団があるだけでもありがたかった時代。 沢山布団を用意して、啓子さんがほつれをいつも直していました。 けっこう手間のかかる仕事。息子は布団で飛び跳ねて飽きるとおやつと言っていました。大変だったと思いますが懐かしい思い出

88.愛犬ころ(米川さんの絵本)

可愛い奴だ。 いつも一緒。 長い間有難う。 解説米川正利です。 長い間山小屋で家族として一緒に生活をしていた犬はコロと言う純粋な日本犬だった。姉が友達からもらった犬で姉が大変可愛がっていた。 ある日姉が山小屋にコロを連れて行った時、母が山小屋では1人では寂しいだろうとコロを山小屋に置いてきたのが山小屋に入るきっかけだった。その日から母に懐いてしまい、山小屋で人気者になってしまった。 母が亡くなり、私の代になっても私について来てくれ、話し相手になってくれた。 Saitouで

87.畑仕事(米川さんの絵本)

辛いから止めようか。 まだまだこれからさ。 始めたばかりだよ。 解説米川正利です。 小学校の頃から母親の手伝いで山の空き地を開墾して畑を作っていました。細々とやっていた。母親が山小屋を経営する様になってからやめました。 その後結婚してから茅野の自宅で家内が始めましたがそれでも細々でした。本格的に農業をするようになったのは、1980年頃からで。無農薬野菜を作り出してからで。 色々な人に教えて頂き、自分達も勉強しました。最近では自慢するような野菜が取れるようなりました。 Sai

86.歩荷

ボッカ。 山小屋にはボッカは付き物。 米の60kgは軽い、軽い。 解説米川正利です。 歩荷とは荷物を運び歩く人。山小屋などで荷物を運ぶ人を言います。 ヘリコプターで荷物を運ぶ前は全部歩荷でした。 山小屋を建てるのも歩荷ででした。60kg荷物を背負って登山口から一日4回もやりました。毎日です。 一番背負ったときは110kgありました。 山小屋を経営する物は歩荷は当たり前でした。歩荷はとてもつらい仕事でした。 Saitouです。 Saitouはお買い物に行きお米10キロ袋持って

85.急がなくては日が暮れる

渋の湯から黒百合へおんぶに手を引いて。 小屋が忙しいから子供連れてお手伝い。 早くしないと夕食に間に合わない。 解説米川正利です。 山小屋の仕事をしていましたので、子供たちが生まれ大きくなるまでは、啓子さん(奥様)はひとりで子供たちを育ててくれました。家は茅野市の駅の近くにあります。 山小屋の人手が足りなかった時や届け物がある時などは、啓子さんが子供たちを連れて山小屋までのぼってきてくれました。 啓子さんが話してくれた事がとても印象に残り、そして苦労かけたなあと思っています

84.ケルン

この道で大丈夫だ。 道しるベがある。 大丈夫。 解説 米川正利です。 ケルンとは山頂や登山道、分岐点、徒歩点などを表すために表すために小石を円錐型に積んだものです。一般に道標として使われています。 SAITOUです。 ケルンとかケアンとか言われます。ウィキペディアにはケアンで詳しく掲載されています。 英語版ウィキペディアにはcairnの語源が掲載されています。わかりやすい説明です。 乱暴な訳になりますが、1はイギリスの島の先住民によってつくられた墓碑としての丸や円錐形

83.雪洞

大雪が降った。雪のほらあな、雪洞作ろう。 入口塞ぐと雪洞は温かい。 中で騒いでも外に声が漏れないよ。 大きな声で騒ごう 解説米川正利です。 雪が降ると雪洞をつくり、みんなで小屋から雪洞にはいりました。 子供のようなワクワクした感じがいつもありました。 酒を持ってツララをマドラーにして。 大人達が大騒ぎしても誰も外にはいない冬の日。 暖かくて楽しかったです。 Saitouです。 私は米川さんからこの絵を見せていただくまで、雪洞という名前は知りませんでした。 雪洞は、「せつどう