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畑から生まれた俳句は、生命讃歌だった

去年の夏の終わりから、都内で畑を借りて野菜づくりを始めた。畑からとれるのは、もちろん野菜なのだけど、それだけではない。畑で過ごす時間が、そこでしか味わえない感覚が、いくつかの俳句になっていく。たとえば大根。

9月中旬に撒いた小さな大根の種は、みごとな放射状の葉をどんどん広げた。そして、その葉の下で、いつの間にか頭がにょきっと地中から伸び、それはいまにも這い上がらんばかりだった。

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そして、いよいよ収穫。葉っぱを束ねてぐっと引っ張ると、一瞬の抵抗の後にあっけないほどぽこっと抜けた。黒々とした土から生まれた、真っ白な大根。そして、ぽっかりと空いた穴。それは、なんともいえない感動があった。その感動をつぶさないように、壊さないように、ただただ、素直によんだ。

大根のすつぽり地球より生まる

これは、所属する句会でこれまでになく好評だった。そして評価してくださった先生や俳人から、このような講評をいただいた。

・大根を抜き取った感じが良く出ている。いかにも地球から抜き取ったという感じで、しかも「生まる」で大根の生き生きとした生命感まである。

・大根を引き抜くことを「地球より生まる」と言われたことに驚いた。大根からすれば抜かれるのではなく、地球を離れることだったのか。それを「生まる」と誕生に結びつけたので一種の生命賛歌のようになった。大根ひとつで、ここまで拡げつつ「すつぽり」でユーモアまでも漂わせているのは凄いと思う。

・「すつぽり」という楚辞により、勢いよく大地から大根を抜き出した様子が伝わります。 大地を「地球」と表現することであらゆる地球上の生命の誕生を詠っているかのようです。コロナ禍の世界の中でも新しい命は生まれ出てきます。鮮やかに力強く生命の誕生を詠んだ応援歌だと感じました。

・大地からあの真っ白く太った大根を引き、自然の奇跡を感じる。

ちなみに、コロナ前は、句会はリアルで開かれていたので、それぞれの講評をお互いが聞ける状況にあった。でもいまは、メールで代替されているので、他人の講評は聞けない(見られない)。

だからまず驚いたのは、そこに共通の言葉がずらりと並んだことだった。

この句を作ったとき、それは、目の前の大根と、後に残った穴への感動、ただそれだけだった。と思っていた。けれど、一流の俳人たちの鑑賞で気づかされた。真っ白な大根と、ぽっかり空いた黒い穴の向こうに、自分は「生命誕生」の感動を抱いていたのだと。壊れないようにそっと両手に抱え、俳句の型の上に置いたのは、その感動だったのだと。たった17音が、それぞれの読み手の中で大きく広がり、それがまたこちらに戻ってくる。そして、作ったとき以上に豊かな世界を広げる。その交換によって増幅する豊かさに、また新たな感動を覚えていた。

畑が生み出すのは、野菜だけではない。畑って、偉大だ。そして、俳句って偉大だ。


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