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背中の傷は恥か、誇りか。

背中に傷ができた。
この前のあん馬の練習中に失敗してできた傷だ。

もう何度目だろう。ポメル(または馬端)から手を滑らせ、ポメルの上を背中で回って地面に叩きつけられ、痛みにのたうち回る。それを見ている周りのやつらは大爆笑している。笑い事ではないのだ。まじで痛いんだよ。

笑ったやつにこの痛みを分けてやりたい。この痛みを抱えてなお笑えるのか、君はと。
いや、笑い事なんだけれども。

少し落ち着いて自分の失敗映像を見返すと自分でも大爆笑である。こんなに面白い落ち方してたんかい。これは#おもしろ失敗シリーズ行きだな。

ただ傷はすぐには治らないわけで、何日か引きずってしまう。その日のお風呂は地獄だ。風呂場でひとり、シャワー片手に深呼吸をして、覚悟を決める。イチ、ニのサン!(心の中で言う)で背中にサッとお湯をかける。
「イッテッ!!!」
と背中を反らして悶絶する。

「背中の傷は剣士の恥だ!」
とワンピースのゾロは言ったが、ぼくは恥だと思わない。そもそも剣士じゃないし。あん馬でできた背中の傷はむしろ誇りだ。チャレンジをした結果なのだ。そんなことを風呂場で傷と格闘しているときに考える。そうでもしないとこの傷は報われない。この痛みに対して、周りに一時の笑いを提供しただけでは割に合わないのだ。(自分でも笑ったけど)

あん馬という種目は命の危険がないという意味で安全だから好きになったのに、地味なケガや痛みを抱えることが多すぎる。
それに対して鉄棒とかは危険すぎる。鉄棒自体がそもそも高いのに、さらにその上に身体を放り出して、また鉄棒をキャッチするという行為は冷静に考えたら頭がおかしい。自分も放れ技をやっていたけど、とにかく冷静に考えないことが最重要任務だった。放れ技をする時の自分の動きと状況を冷静に考えれば考えるほど、怖くなった。冷静さは時に邪魔になることもある。

その点、あん馬は身の危険を感じる怖いことはない。その代わり擦り傷と打撲がすこぶる多い。足なんかボコボコだ。あん馬にぶつけた傷跡だらけで汚い。薬局で塗り続けると傷跡が消えるクリームを買って、何週間か塗り続けたが全く効果が見られなかったのでやめた。

こんなことを書きながら足の傷跡を眺めているとその傷をつけたときの記憶も蘇ってくる。トライしてはぶつけて、トライしてはぶつけてを何度も繰り返して習得した技もある。苦労して覚えた技ほど同じような箇所の傷も多くなる。
骨は折れたらその部分は強くなって再生するし、筋肉も筋肉痛を伴って大きく成長するのに皮膚は全然強くならない。同じところを同じように擦ったら同じように血が出てくる。不公平である。骨や筋肉の理論でいくとぼくの膝下はアルマジロくらいの硬さになっていてもおかしくはないのに。

そんなことを言いつつ、背中の傷も足の傷もまるで身長を刻んでいった家の柱のような、成長の印に思えたりもする。

この先もまだ伸び続けていてほしい。もっと高いところに印をつけられるように。


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