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「きっかけ」は偶然を装ってやってくるもの

先日、タロットを月1で継続してくださってくれている方に「タロット占いってどんな人が向いているのか?」と聞かれたので「偶然を必然と思える人かな」と答えた。

これは偶然、目の前に出たカードから読み解いていくので、そういう答えをしたのだけれど、私はタロットでなくても普段から「偶然を必然にする」ことはよくあることだなって思っている。

例えば、何気なく手にとった本や、何気なく見た映画や動画なんかでも、スッと入ってくる言葉だったりがあって、そのことが思考のきっかけを与え、気づきをもらって、時には背中を押してくれたり、時には引き止めてくれ、寄り添ってくれた気持ちになる時がある。

これをいわゆるメッセージをもらった。ということにするならば、タロットも他の占いもやっぱりメッセンジャーなんだと私は思う。

よく占いはいいことしか信じないっていう人がいるけど、それは自分に必要な情報だけを入れているので、とてもいい方法だと思う。

私は占い師になりたいとは思っていないのだけれど、メッセンジャーにはなりたいと思っていて、タロットを通してメッセージを伝えている。

タロットカードは1枚1枚にある程度の意味合いがあるのだけど、読み取り方が色々あって、リーディングする人によって大きく変わるし、言葉や表現力の違いで多いに伝わる意味合いが変わると思う。

そして聞いている側によっても、入ってくる言葉と入ってこない言葉がある。目の前にあるカードやリーディングしている人の言葉が変わらないのに、入ってくるものは聞く人によって変わるのだ。

また、見返してみると、少し前にみたときと違った言葉が入ってくることもある。それは自分の視点や視野が変わった証拠だったりする。

当たり前だけど視点が高ければ高いほどに上を見れるし。(情報空間のことなら尚更に。)角度が変われば確率が変わる。確率っていうのは、未来的にこうなるであろうっていう確率のこと。これは俗にいう視野が広くなるってやつ。

この視点を高くしたり、視野の角度を変えることが、もたらすものは大きい。いわゆるステージアップやレベルアップって言われるものに関係しているから。

それは気づきからしか起こらない。つまりは、この機会を自分に与えているのは、結局のところ自分なんだよね。メッセージも人を通して聞いているけれど、それは本来は自分の中あったものなんだよ。

自分が思っていたことが言語化されたり、思ってもみなかったけれど、深く考えたり、思い出したり、意識してみればそうだなと思う。思考のきっかけになるのが、「メッセージ」的なやつなんじゃないかなって。

そういうきっかけはいつだって偶然を装ってやってくる気がする。タイミングってやつもそうで。偶然じゃないと、人ってきっと良いことでも悪いことでも抵抗してしまうからじゃないかな。

私は思考は思考でも論理的思考ではなく、創造的思考を伝えていきたいなといつも意識してメッセージを書いている。

そんなきっかけを与えられたら最高だよね。って思うから。それが更に癒しや人間味のあるものが伝われば、それはもうメッセンジャー冥利に尽きるってもんです。

人の脳は必要だとやたらと目に止まるようにできている。見えるから見るに変わるカラーバス効果ってやつ。これは無意識レベルで働くので、いわゆる潜在意識に近いんだと思う。

必要なら目に止まるので、タロットが目に止まった人が向いている人ってことなのかもしれない。やっぱり偶然という言葉がぴったりハマるんだよね。

そして、タロットや占いは自分と向き合いたい人のためにあるという立ち位置が一番いいのかなと私は思う。内なる声を聞くには最善の方法なのかもしれないとも感じている。依存したり神頼みのようにすがるものではないということ。

だから、多くのジブリやディズニーの物語には占い師や魔法使いがいて、いわゆる成功者の側にはパートナーのように風水師や見える人たちがいる。助言のように見えるけど、そうやって内なる声を聞いて、自分と向き合って自分を奮い立たせているように思う。

タロットの話はここまで♪

この偶然が必然になるタロットと、自分の作品作りがとても似ていると気づいたので、ちょっとその話も書いておこうと思う。

自分が作っている作品はタロットと似ていたって話

※ 当作品内容、テキスト、 画像等の無断転載・無断使用を 固く禁じます。

私の作り出している作品の世界って、ものすごくタロットと似ていて偶然を必然に変えいっている作業なんだと気づいてしまった。

AI生成画像は文字から絵を作る。これはある程度は自分の意図も組み込まれているし、頭の中にこんな絵が欲しいなっていうイメージがある。でも実際に出てくる画像はピタッと合うときもあれば合わないときもある。それをなるべく合うように合わせていく。これで一つ一つのパーツ(素材)が完成する。

※ 当作品内容、テキスト、 画像等の無断転載・無断使用を 固く禁じます。

この作業は指示は出しているけれど、偶然にできたという意味合いが結構強いなと私は思っている。筆やペンをもち、真っ白なキャンパスに自分の手で絵を描くのとは違うからだ。

次に私は出来上がったAI生成画像から要らないものを消す作業をする。ここで一回半壊させる。そして、そこから1にするために自分の頭にあるものやパーツをつなぎ合わせていく。デザインというよりリフォームな気がする笑(アートっぽく言えば、破壊と再生)これがコラージュの部分。

さらにここに文学作品を合わせる。メッセージが先のときもあれば、アート作品が先の時もある。これは特に決めていないのだけど、どちらかが先にできているので、大体が先にできた方が軸となる。

でも、時に軸になっていた方を全消しすることもある。また破壊と再生を繰り返す。そうやって多くの作品は作られていくのだけど、大まかにこの3つの工程があって出来上がる。

意図して偶然出来たものを必然として扱い、合わせて読み取りを完成させる。そこからメッセージを導き出して意味合いを持たせる。逆も然り。

タロットとやっていることは同じなのだ。タロットもメッセージが何故か最初に入ってくることもあるからだ。

なんだか、とても面白い。だからきっと私のやっている表現とタロットはとても相性がいいと勝手に思うことにした笑笑

こうやって一つ一つ繋げていくことが、確信になり自分のやっていることの軸となっていく。もちろん改善もしながらね。

そしてまた、私の頭の中には、更にそこに半壊と再生を載せたイメージが湧いてきている。それもまた偶然が必然になる形の作品だ。そしてこれが完成したら、また次に創りたいものがある。

色々やってきただけはあって、何かやってみようと思うときには既に準備は整っていたりする。そういう作品がいくつか出来上がったら、どこかのアートのイベントにでも参加してみようかなと思っている。

ありがたいことに、作品を直接、見てみたいと声をかけてくれる人も出てきたから。そろそろ外に出てみようかなって。

さて、そんな作品を持って、どこの街へ行こうか♪
いいイベントがあったら教えてください笑

ひとまず、まだ我が家の周りは雪があるので、雪解けまでは、しばらく作品作りに没頭しよう。

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