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能動態

言葉フェチの私、
言葉のセンスが素敵だなぁと思うとワクワクします。
お洒落な、粋な言葉遊びをする人には色気を感じます。
上手な描写や説明を聞くと、きゃあと思っちゃう。
最近は、言葉を扱うお仕事をしてる女友達に、イラストを描いてプレゼントしたら
逆にその感想の語彙力表現力に痺れました。笑

そういうフェチがあるので時に、ある言動を一つの考察対象の素材のように思う時があって
誰かが発した発言を脚本のように俯瞰して見るときがあります。変態。
それによって、あぁこの人の言葉のセンスが好きだなぁと思うことが多い人のことはやっぱりいい印象をもっちゃうし、逆も然り。
好みはそれぞれだと思うし、
近しい人はご存知だと思いますが私は感動しいのため、いつもそんな冷静に見れるわけでは全くありません。

でもちょっとだけ言葉フェチのおかげで得た賜物なのか、先日友人から悩み相談を受けたとき、これどうかなって話した考え方を、
それとってもいいねと言ってもらったのでちょっとシェアさせてもらいます。

英語を話す方なら身近に感じるかもしれないけど
受動態ってありますよね。
これって、直訳すると「◯◯された」みたいなことで
I was invited by him.なら、「私は彼に招待された」
It was moved.なら「それは動かされた」
となりますが
これは何かしらのアクション、行動を受ける側という見方からなる文。

じゃあアクションをした側は
I invited you to the party.「私はあなたをパーティーに招待した」
They moved it.「彼らはそれを動かした」
となります。
能動態。


これを、人によって理不尽に不快な思いをさせられた時に置き換えます。

辛くなるのは、受動態になってる時。
「私は彼女にこんなひどいことされた」
になってる。

でも能動態にしたら

「彼女は私にひどいことをした」です。

「私は彼女にひどいことをされた」だと、なんでされるんだろうとか、意地悪された私、みたいな可哀想な感じもするしなんか悲劇みたいになるけれど

「彼女はひどいことをした、意地悪をした」以上。
だったら、
勝手に彼女が意地悪しただけ🤣

いま意地悪したんだ、そうなんだ〜
という他人事にかわります。
そしてこれは事実。

意地悪したのは、した人の人生の中にメインで起きた事柄。
意地悪した側にはとても気の毒だけど、誰かに対してやったつもりでも、結局自分の中に「人生の中で時間を使ってまで他人に意地悪をした事実」が残るだけ。
そして脳や深層心理に「私は時間を使って人に意地悪をした人です」と刷り込む。

その人にも色んな背景があってそうなってるんだろうけど、それはお気の毒なことだけれど、
それはその人が自分から悪徳を積んでるのだから
それによって、嫌なことをされた側が私ってかわいそうって落ち込む必要はないと思うのです。

そんなこと言われてもそんなすぐできないよと言われるかもしれないけど
明らかに、意地悪されたなぁと思ったら一度試しにやってみてください。
かわいそうな私、、とはならず、ちょっと他人事になります。
ただ、その人が1人で勝手にやってるだけ。

ただ逆に、嬉しいことや有難いことをしてもらった時には喜んで受動態にして、あれもしてもらった、これもしてもらったと思ったら、あんな素敵なことを人にするあの人素敵!となって自分の中に素敵な知り合いが増えるし
そして今度は「あれもこれもしてもらった自分幸せだな❤️」となってすごく嬉しくなります。笑
そして私も人にあんな素敵なことする人になりたいと思う。

自分軸でいることは、わがままでいることでも、自分のことばかり考えるわけでも全く無くて、自分の能動態アクションを大切にすることなんじゃないかな、と思います。
私もまだまだだけど、
自分軸を丁寧に、大切にすることが結局周りの人を大切にすることになるんじゃないかなと、思ったのでした☺️

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