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ハノイの「物乞い仲介ビジネス」を巡って

大変久々にノート更新。今回は、印象的な写真とも相まって、VN Expressで読んだとても興味深いルポ記事「物乞いを連れてー利益率の超高い搾取」を抄訳しつながら、発展を続ける、私が長年住んでいるハノイの違う一面について紹介してみたいと思います。こういう社会問題をしっかり追う硬派な記事ですが、同記事は多くのベトナムネットユーザーの関心を集めています。「だから私は物乞いにお金をやらないの」という声が多いですが、それだけでは終わらない、ベトナムの社会格差も秘められていそうです。(以下、基本は同記事内容の抄訳です。)

記事は、ハノイ市Đông Anh区にある社会保護センターに保護されている6歳の女の子、Trangちゃんを記者が訪れるところから始まる。Trangちゃんは文字は書けないが、お金の計算は妙にしっかりできた。Lương Định Của通りで物乞いをしていたところ、地元の公安に保護された。彼女の回想で良く出てくるのは3人の人物;「あいつ」「お母さん」、そして「あの人」。「あいつが自分のお金を取っていって、お母さんにお金を渡さない。そうするとお母さんは私を殴るの」。「あの人」についても彼女はよく知らない。ただあの人は母とTrangを物乞いをする場所に連れて行って、夜になると宿に連れて帰る。Trangがお金を隠そうとすると、あの人はその場を去らず、お茶を飲んで見張っているのだ。

Trangは多くの地名を覚えていない。覚えているのは幾つかの物乞いをする仕事場と、彼女の故郷「Thanh Hóa、Quảng Xương」だけだ。2018年、ハノイの社会保護センターが引き受けた646人の内、その多くがThanh Hóa省Quảng Xương郡出身だったという。(筆者注;上記地図のように、ハノイから約180Km、車で約3時間半という距離。Thanh Hóa省は海沿いからラオス国境まで横に長い省で、てっきりラオス国境の山奥かと思ったら、ハノイ市民が夏に多く訪れるサムソンビーチも近い沿岸の郡でした。)この「Quảng Xương郡」と「あの人」が、このビジネスモデルのキーワードでもあった。

各都市にいる「業者」が貧しい地方に行き、その家庭と「契約」を結び、子供たちを物乞いさせるために預かっていく。きちんと稼いで来ればそれなりに扱われるが、ノルマを満たさなければ殴られ、時に食べ物も与えてもらえない。このビジネスモデルに対する大規模な調査は、担当省庁もまだ実施できていない。

ある日、行きかう人が100万人にもなるというハノイ市Ngã Tư Sở通りでは、物乞いが5人同時に活動していた。中には、身体、及び知的障がいを抱えた人もいた。ある交差点では赤信号の76秒の間に声をかけられる約20人の内、平均すると3,4人がお金を置いていっていた。その周辺には彼らの様子をみはるものたちが。午後15時、5人が仕事を終えてその場を去っていく。見張りのものも去っていき、財布を持った女性も彼らのバイクに飛び乗って去っていく。記者の存在に気付いたその中の若者は「ひとの仕事を何つけてんだ、これ以上追いかけてるとただじゃおかないぞ」と脅かしてきた。

子どもを抱えながら物乞いをしていてセンターに保護されたある女性、月400万ドン(約2万円)で雇われているという彼女は「この子にはお母さんへ給与が払われているはずよ」という。彼女は月に25日出勤、朝早くから出れば100万ドン/日(約5千円)稼げるという。1986年生まれの彼女、保護されたのはもう3回目だと言う。彼女のいう計算で言えば、このビジネスの利益率はかなりのものだ。別の17歳のTuanくん。同じくQuảng Xương郡出身の彼の役割は物乞いではない。毎日活動場所近くの公安の前に立っているだけだ。「保護センターの車が出たら、電話するように言われている。給与は月に300-400万ドン。」

あるケースでは物乞いは82歳のおじいさん。保護センターに6カ月前にも保護された常連だ。今回またそのおじいさんを保護しようとセンターの人間が近づくと、子供と名乗る二人が「今お父さんを迎えに来たのよ」と連れて行ってしまう。おじいさんは小さくほほ笑むだけで、何も語りはしない。保護センターの職員は公安警察とは違い武器を持っているわけではなく、「子供や孫」と名乗る人間が出来てサッと連れて行ってしまう僅かの時間に、何ができるわけでもない。保護センターに連れて来ても「親戚たち」がすぐに返すように怒鳴り込んでくる。「私はエイズにかかってるのよ、早く帰さないと何するかわからないよ」といった怒鳴り声も良く聞かれる。ただの脅し文句には聞こえない。というのもあるセンターの若い職員は、麻薬中毒でHIV感染していた男と付き合っていた女性の物乞いに手を噛まれたことがあり、HIV検査を受けた時には生きた心地がしなかったと言う。

「幾ら同意があったと言っても、これは搾取であり、社会的な詐欺である」と元ベトナム国会文化教育青少年問題委員会主任のNguyễn Minh Thuyết氏は言う。そして、ベトナムも批准している国際組織犯罪防止条約(パレルモ条約)にも違反した、児童の強制労働、人身売買と考えられる。ただ、ある調査報告書に対して某地方省幹部は「一応契約はあるわけだしねえ、子供を働かせすぎちゃいけないけど…」と答えるなど、子供が親の生計を「自発的に」助けているという建前のロジックがあり、これらビジネスを人身売買と捉える見方はまだ一般には浸透していない。前出のThuyết氏は「刑事犯罪化しなければいけない」と説くのに対し、この問題を担当する労働傷病兵社会問題省社会保護局は「時間がかかる」と話す。

「お母さんは全然来てくれないの」、冒頭のTrangちゃんは言う。1カ月も誰も迎えに来てくれないという。彼女は地元の風景を覚えている、彼女だってお母さんの懐で眠りたいだろう。でも少女の気持ちは複雑だ。センターにいれば牛乳が飲めるし、スイカも食べられる。「それに、家に帰ったら、お母さんがまた私を街につれてきちゃうだろうし。」


11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。