見出し画像

『フジモトマサルの仕事』と滝本哲史『2020年6月30日にまたここで会おう』を2020年5月に読んだ

平凡社から『フジモトマサルの仕事』(コロナブックス)という本が発売された。いい本で、感動した。

フジモトマサルさんはイラストレーターであり、漫画家でもあり、文章を書く作家でもあり、なぞなぞと回文も作られる方だった。出会ってからその作品が好きで、本が出る度に買っては読んでいたけれど2015年、突然、亡くなってしまった。

それから5年経って、この本がいきなり出た。なぜ今のタイミングなのかは分からないし、調べてもいないけれど、本を読んで、亡くなったのが突然ではなかったことを節々から知ることができた。

フジモトさんの絵に初めて出会ったのは、穂村弘さんの『にょっ記』(2006)という本だった。穂村さんの本を継続的に読んでいた私は、あくまで穂村さんの本としてその本を買い求めたけれど、読み進めるにつれて、その「本文イラスト」の存在感と面白さに魅了された。文章に書いてないこと以上のことが「本文イラスト」に描いてあり、しかも描かれたキャラクターは、ときどきフキダシを用いて、文章にないセリフを勝手に喋ったりしている。噛み合っているように見えるところもあれば、ちぐはぐなところもあり、そこが実に魅力的で面白かった。

『にょっ記』はその後『にょにょっ記』と『にょにょにょっ記』という続編が刊行されたが、『にょにょにょっ記』では、そのクレジットが穂村弘さんとフジモトマサルさんの共著となった。

『にょっ記』以降、フジモトマサルという名前を覚えた私は、見かけるたびにその本を買い求めた。『いきもののすべて』、『終電車ならとっくに行ってしまった』、『夢みごこち』。ほら、タイトルを読むだけでも面白そうでしょう。それらはいずれもブックデザインもすばらしく、手に取ると、カバーに描かれたフジモトさんの絵が今にも動き出しそうで、手から離すとその動きが止まりそうな感じがあった(ブックデザイナー・名久井直子さんの名前をここで初めて意識した)。

書き下ろしのイラストをあしらったマグカップも2種類、新潮社から発売された。バラ売りもしていたが、2つ買うと少しだけお得で、2つとも非常に可愛かったので、私は2つとも購入した。一緒に使う相手は長らくいなかったので、私はその2つを交互に使った。この『フジモトマサルの仕事』の「著作一覧」のところには「なまけものマグカップ・海」「なまけものマグカップ・宇宙」と記載されており、「たしかにこれも著作だよなぁ」と改めて思った。そして、マグカップが作られたのが2010年と記載されているのを見て、私はもう10年もこの2種類のマグカップを一人で交互に使い続けていることに、愕然とした。

なまけものマグカップが「著作一覧」に記されていること。それがどういうことかというと、この本がフジモトさんへの愛が、いっぱいにつまった本であり、本当に愛をもった人たちが、隅々まで心と情熱を込めて作った本であるということだ。

村上春樹、穂村弘、糸井重里、森見登美彦、長嶋有、ブルボン小林、及川賢治(100%ORANGE)、北村薫、と、お名前を目にしただけで心がときめく方々の名前が帯には並んでいる。そのお一人おひとりがフジモトさんとの思い出、フジモトさんへの思いを寄稿されていて、その一本一本に胸が詰まる。そしてその死が決して「突然」ではなかったことを知ると共に、むくむくと、フジモトさんの作品を読みたいという気持ちが湧いてくる。

冒頭、「この本がいきなり出た」と書いたけれど、決してそれは「いきなり」では無いんだということも、わかった。フジモトさんと仕事をした人たち、関わってきた人たち、それぞれの中に、今この本に文章を書く理由があり、作品を世に出したいという気持ちがずっとあり、それがまとまったのが今だったんだなと思った。言い換えれば、フジモトマサルさんは関わった人の中で生きていて、だからいきなり新刊が出ても、なんら不思議ではないんだなと思えた。

4月末。私は発売を聞きつけて、発売早々に書店を探して回った。書店の休業が相次ぐ中で、開いていそうで、入荷していそうな中規模の都内の店を何軒も回った。しかし見つからなかった。勘違いしてはならないのは、これは「出版社の刷り部数が少ない」とか「配本が悪い」とか、そういうことでは全くなく、明らかにファンが楽しみに待っていて、発売早々に買いに来て確実に売れてなくなった、ということを感じさせる無くなり方だったのだ。どこで聞いても「今朝まであったんですけど…」みたいなことを言われる。それは、フジモトさんの読者が、強い意志を持ってわざわざ探しに来て颯爽と買い求めて行ったということだ。

一人の書き手が亡くなった時、「新作が読めないのが残念だ」という声を耳にする。私もたまに言う。でも、往々にしてそれまでの作品を全部は読んでなかったりする。『フジモトマサルの世界』は、今もフジモトマサルという人の仕事が生きているということ、そのたくさんの作品がこの世に存在するということ、それの作品はまだ出会っていない人にとっては「新作」として存在すること、そしていずれもとても面白いことを教えてくれる。

時を同じくして、2019年に亡くなった瀧本哲史さんの新刊『2020年6月30日にまたここで会おう』(星海社新書)を読んだ。これも瀧本哲史さんのこと、その仕事と著作を深く愛している編集者の柿内芳文さんが作った本だった。

巻末の「あとがきにかえて」という柿内さんの文章の中に「僕は、あの会場にいなかった次世代の人間に、瀧本哲史の「遺伝子」を配りたいと思って、この本を編集した」とある。そして作中、瀧本さんの言葉として「仲間は必ず「いる」」、「仲間を、探せ!」というフレーズが登場する。

本とは、そもそもが「そういうもの」であるけれど、本が波及していく可能性を強く信じ、その作品を伝えていきたいという思いが猛烈に詰まった本として、『フジモトマサルの仕事』と『2020年6月30日にまたここで会おう』は、全くベクトルが異なる本でありながら、どこかで呼応し合っている。

私はこれからフジモトマサルさんの未読の著作を読んでいくし、瀧本哲史さんの未読の著作を読んでいく。そして、読み終えた後も、また本棚にある限り、折に触れて読み返すのだろうと思う。

その時も、フジモトマサルさんのマグカップで水が飲めるよう(私は家でコーヒーなどを飲まない)、割らないように大切に使おうと思った。





この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?